アイスクリームは高嶺の花
2021年 09月 29日
スナップじゃなくて、ちゃんと盛装して写真館で、夫婦でにこやかに撮っている。
どっちが喜寿かわからないけれど、お母さんがお父さんに腕をからめて、ふたりともとてもいい笑顔だ。
いろいろあっただろうが、いい人生を送って来たんだね、と思ってこっちまでいい気持ちになった。
年上の老人の幸せを寿いだつもりだったが、なんと喜寿なら僕は去年、あんひとたちゃ、一年後輩ではないか。

きのうライフの写真などをのっけたので、スーパーストア関連のコメントをいただいた。
アイスクリームの棚の充実を子供のころには考えられないと福さん。
僕はアイスクリームってのは、夏休みに山梨に行く列車の中で買うアイスクリンとか、甲府の岡島で叔母が食べさせてくれたソフトクリームくらいしか、縁がなかった。
今でも、旅先で一緒に行った人から誘われなければ、買って食おうという気がおきない。
饅頭とかお汁粉なら一人旅で食うこともあり、このごろはF&Fの買い物で、豆大福などを自分のために買ってくることもある。

アイスキャンディー、色のついたのをべろべろずずっと舐め・食べると検便に使うようなヘラが残って、それを木の味がするまで舐めつくす。
あっちは子供の小遣いでも手が出たけど、アイスクリームとなると、なんせ牛乳を一本だけ取って弟と「今日は俺の番」とケンカしながら飲んだから、本能的に我が身にあまる贅沢品という感覚が染みついているのだ。
引き揚げ者用に建てた県営住宅群と道を挟んで、雑貨屋、八百屋、魚屋が並んでいた。
雑貨屋のバタはマーガリンの量り売り、おばあさんが、あれは模造だろうが竹皮にヘラでのっけて量って、手についたマーガリンをなめながら、勘定をしてくれた。
石鹼みたいで、うまいと思ったことはないが、それを冷たい食パンにつけて、トマトと砂糖湯で晩飯が定番。
頂き物の本物のバタは脳天をとろかすようなうまさだった。
あれと牛乳がアイスクリームにも使われていると聞いて、それもアイスクリームを神聖視もしくは罪悪視するようになった一因かもしれない。

コロナが流行る前の春、次男夫妻がカミさんの誕生祝いに二人を河口湖に連れて行ってくれた。
満開の桜の下をサンチや柴犬しいちゃんもいっしょに散歩して、湖畔のカフエでアイスクリーム、なんの変哲もないバニラのアイスをご馳走になった。
あれも人生のご馳走だな。
一週間のお弁当の内容を書く授業があって、正直に書いたら先生に怒られました、もっと栄養を考えるようにと。そんなこと親に言えませんよね。
それが、「見るのも嫌」にならないで、懐かしい好きな食べ物になっています、不思議なものです。
子どもの頃、アイスクリームは夢の食べ物の一つでしたね。
母のお供でデパートに行った帰りにソフトクリームを食べさせてもらったのがただ一つの嬉しい出来事でした。大きくなったら好きなだけアイスクリームを食べてやろうと夢見たものです。
アイスクリームより一般的なのはかき氷でしたね。
でも今から思うと。
金属のお皿にポツンとのってたレストランや喫茶店のアイスクリームが
今の豪華なのより美味しかったような気がする。

いまテレビでみる、「おいしい~!」ごてごてもまた別物でしょう、とても高貴とはいいがたいなにものかです。
これ撮っておけば笑顔の葬儀写真にもなって
家族葬の昨今 少し心和ませる斎場になるかも
カミさんとそんなこと言いながら見ました
決して遠からずの話題じゃなさそうです(笑)