マイケルジャクソン
2021年 09月 24日
一合瓶を窓枠においてちびちびやりながら、紅葉や渓谷の美しさを楽しむ。
山形についたら、駅前広場にあった日本酒センターとでもいおうか、仮設の、あれはテントだったか、に行く。
何種類もの日本酒の自販機が並んでいた。
銘柄ごとに一つの自販機で、同じ銘柄でも等級によって異なる自販機だったと記憶する。
面白いのは、すべてワンコイン、百円を入れてコップを下におくと、等級によって出てくる量が異なるのだ。
そしてすべて燗酒だった。
おつまみを売るコーナーもあって、、う~ん、思い出せないなあ、山寺の丸いこんにゃくを辛子をタップリつけて食った、ということにしておこう。
地元の二級酒を飲んで、そのまま仙台行きに乗って帰るのだ。
あの頃は無賃パスがあった、ほんとは職務のための旅行に限られるのが建前で、就職する前は、俺は絶対私用には使わないと力んでいたのに、二級酒の旅に使うまでに堕落していた。
堕落の果てに飲んだ駅前の熱い二級酒、これも人生のご馳走だ。
ロンドン公演のためのリハーサル、延々と熱っぽく続く本番さながらのリハーサル、マイケルの急死によって本番が行われなかった、素晴らしい奇跡のようなリハーサルだ。
ダンサーの動き、音の高低長短、表情、つながり、ごくごく微細なところを納得いくまで、謙虚な姿勢で「音のためだから」とダメ出しをするマイケル。
いずれ一流の人士が集められたはずの、それぞれがマイケルの指示を初心者のように謙虚に己を無にして吸収しようとする。
その様子と、この直後にマイケルが死んだこととを考えて、人に秀でた才能の悲劇を想った。
いや、そうではなかろう、マイケルの渾身のリハーサルをやり遂げて、マイケルに「私たちは最高のチームだ、皆さんを愛している」といわれた最後のチームの一員だったことは、人生の金メダルとしてそれぞれの胸中に輝き続けるのではないか。
昔々、大学の裏にある、おでん屋では、
二級酒を「普通」、一級酒を「日本酒」、と呼んでいました。
どちらも燗酒で、使い込まれたアルミのチロリから、
アサヒビールのガラスコップに注がれたのを、口から迎えにいったものです。
もちろん、「普通」しか飲まなかった!
おでんも、1番安いコンニャクか竹輪、バイト代が入った時には卵。
佐平次さんのお陰で、思い出しました。
山形に行こうと思っていた矢先にコロナ騒ぎで延期になり、もうすぐ2年…
会いたい人がいるのです。
意外ですね、と言っては失礼ですね。
私は有楽町の映画館で観ました。
言うことなしの感動でした!
それからもyoutubeで何度も見ています。
九州での「酒」は、「清酒」もしくは「日本酒」と注文しない限り、焼酎そのままの熱燗にて、屋台でのラーメンは「支那そば」だったかしら?
マイケル、深い裏の世界事情を知ってた人みたいでしたね、
一人の天才ミュージシャン、かつプロデューサーの遺産ですね。
私は、ポール・リード・スミスを弾きこなすギターリスト、オリアンティの印象も強いです。
一流のダンサー達がオーディションに行けただけで涙していた場面が印象的でした。
今更ながらに惜しいアーティストさんでした。
余談ですが、上の方の召し上がった『西の関』の醸造元の奥様(娘さん)と幼馴染なので、懐かしくなりました。美味しいお酒ですね。大分では、八鹿や宗麟などもお勧めです。
過ごし易い季節になりました。お健やかにお過ごしください。
先輩に教えられ、違いなどよく解らないながら(^^;
息まいて二級酒を飲んでいましたっけ、、、
各地の地酒を飲むようになって、やっと美味しさの違いが解りました。
たしかに地酒ブームによって多くの人が酒のうまさを知りましたね、特に女性。
あちこちの映画館で♥
真っ先に 見に行きました、わ。
ダンスは格好いい!
その頃 ジャズダンス ヒップホップを ジムのスタジオで
楽しんでいて。
すごーーいファンでも無かったけれど
妙に淋しかった、、あの時の記憶。
ワイファイの利く 処に 戻りました
真夜中に覗く(お忍びで 笑)
saheiziさんの ブログが 楽しみ♥