会津の生のホルモン
2021年 09月 23日
きのうの午後は図書館にいったついでに等々力に出て、この間旨かったおでんの袋などを買い込んで家の近くまで来たら、床屋に誰もいない。
今家によってすぐ来るから、といって散髪してもらう。
あんまり近いのでかえって入りにくかったのだが、入ってみれば見かけより清潔で、なによりも仕事が丁寧で腕がいい。
なに、バリカンでばっと刈ってしまっても差し支えないほどの枯れ草ばかりが申し訳程度に残っている(冬の)草原なのだが、それだけにハサミでチョキチョキやってもらう情緒を大事にしたい年ごろなのだ。

長年この地で仕事をしているので、問わず語りにご近所の噂、日体大の学生が金メダルをもってきて見せた話などをしてくれる。
かそけく聞こえていたラジオの相撲中継、子供の頃に聞いたあの絶叫調ではなく冷静すぎて盛り上がらない。
栃錦のフアンと云ったってテレビで見もしないであの実況で好きになったのが今考えると不思議だ。
栃錦が勝つと翌朝学校に行って、若乃花派にエバルのが楽しみだった。
「大相撲」なんていう雑誌を借りてきて舐めるように見たり読んだりしたなあ。
あまり会話をするのは、よろしくないと思いつつ、ジャイアンツが優勝しないように、とか、河野と岸田のどっちがいいか、いや高市が油断できないぞ、などと、いわゆる床屋政談が面白いのは、会話枯渇症ゆえか。

若いころの思い出話を別ブログ、「花も嵐も踏み越えて鉄道人生44年」に書き始めたら、枯れていた井戸に呼び水をしたかのように、次々にあの頃のことが思い出されて止まらない。
そのうち、どれを書くか、迷うことが多い。
あっちに書く代わりにこちらの「人生のご馳走帖」に書いてみよう。
会津坂下駅の会津若松駅よりの隣に若宮という無人駅があって、その管理は会津坂下駅長があたることになっていた。
ときどき掃除や草むしりに行き、冬は雪かきにいく、これは若い駅員が一人で行くことになっていたが、大変で気の毒なので僕も一緒に行って汗をかき手に豆を作った。
その若宮駅のすぐ近くに、おんぼろの一軒家があった。
入っていくと、障子もボロボロ、あがると畳もボロボロ、そこで非番の連中とホルモンを食った。
ボロボロの襖をあけて、おばさん(朝鮮人だ)が、真っ赤に火が熾きた七輪と、どっさりホルモンを入れたバットを運んでくる。
店のドブロクを飲み、持参した「栄川(えいせん)」の二級酒を冷やで飲む。
会津坂下近辺には、今は幻の酒になってしまった「飛露喜」を作る廣木酒造や豊国酒造、末廣酒造など名だたる酒蔵が数多あるのだが、長さんをはじめとして駅のみんなは「えいせん」がいい、それも一級や特級よりも二級酒がいい、同じ「栄川」と書いても「さかえがわ」の方はダメと頑なに言い張るのだ。
バットのなかのホルモンは、まずそのまま生で食う。
駅の構内で獲ったアメリカザリガニには尻込みした連中が、豚の得体のしれない臓物を生で(もっともタレに漬け込んではあったが)、うめえうめえ、と食う。
僕もうめえ、うめえと食う。
仙台で見習いをしていたころ自衛隊の基地のある苦竹の朝鮮人の家で、すでに体験済みだから驚きゃしない。
生で食って、ドブを、エイセンの冷やを、あおる。
ついで焼いて食う、香ばしさが加わる。
飽きると再び生で、酒が一本空く。
部屋は煙が濛々と立ち込め、僕たちは汗を拭きながら飲む、食う、飲む、笑う、話もしただろうよ。

今家によってすぐ来るから、といって散髪してもらう。
あんまり近いのでかえって入りにくかったのだが、入ってみれば見かけより清潔で、なによりも仕事が丁寧で腕がいい。
なに、バリカンでばっと刈ってしまっても差し支えないほどの枯れ草ばかりが申し訳程度に残っている(冬の)草原なのだが、それだけにハサミでチョキチョキやってもらう情緒を大事にしたい年ごろなのだ。

かそけく聞こえていたラジオの相撲中継、子供の頃に聞いたあの絶叫調ではなく冷静すぎて盛り上がらない。
栃錦のフアンと云ったってテレビで見もしないであの実況で好きになったのが今考えると不思議だ。
栃錦が勝つと翌朝学校に行って、若乃花派にエバルのが楽しみだった。
「大相撲」なんていう雑誌を借りてきて舐めるように見たり読んだりしたなあ。
あまり会話をするのは、よろしくないと思いつつ、ジャイアンツが優勝しないように、とか、河野と岸田のどっちがいいか、いや高市が油断できないぞ、などと、いわゆる床屋政談が面白いのは、会話枯渇症ゆえか。

そのうち、どれを書くか、迷うことが多い。
あっちに書く代わりにこちらの「人生のご馳走帖」に書いてみよう。
会津坂下駅の会津若松駅よりの隣に若宮という無人駅があって、その管理は会津坂下駅長があたることになっていた。
ときどき掃除や草むしりに行き、冬は雪かきにいく、これは若い駅員が一人で行くことになっていたが、大変で気の毒なので僕も一緒に行って汗をかき手に豆を作った。
その若宮駅のすぐ近くに、おんぼろの一軒家があった。
入っていくと、障子もボロボロ、あがると畳もボロボロ、そこで非番の連中とホルモンを食った。
ボロボロの襖をあけて、おばさん(朝鮮人だ)が、真っ赤に火が熾きた七輪と、どっさりホルモンを入れたバットを運んでくる。
店のドブロクを飲み、持参した「栄川(えいせん)」の二級酒を冷やで飲む。
会津坂下近辺には、今は幻の酒になってしまった「飛露喜」を作る廣木酒造や豊国酒造、末廣酒造など名だたる酒蔵が数多あるのだが、長さんをはじめとして駅のみんなは「えいせん」がいい、それも一級や特級よりも二級酒がいい、同じ「栄川」と書いても「さかえがわ」の方はダメと頑なに言い張るのだ。
バットのなかのホルモンは、まずそのまま生で食う。
駅の構内で獲ったアメリカザリガニには尻込みした連中が、豚の得体のしれない臓物を生で(もっともタレに漬け込んではあったが)、うめえうめえ、と食う。
僕もうめえ、うめえと食う。
仙台で見習いをしていたころ自衛隊の基地のある苦竹の朝鮮人の家で、すでに体験済みだから驚きゃしない。
生で食って、ドブを、エイセンの冷やを、あおる。
ついで焼いて食う、香ばしさが加わる。
飽きると再び生で、酒が一本空く。
部屋は煙が濛々と立ち込め、僕たちは汗を拭きながら飲む、食う、飲む、笑う、話もしただろうよ。

会津盆地の真昼間のホルモン、もう逆立ちしてもあんなことはできやしない。
飛び切りの人生のご馳走だった。
飛び切りの人生のご馳走だった。
「花も嵐も踏み越えて鉄道人生44年」
大事に読ませていただいています。
行間から人のぬくもりがただよってきて
それはsaheiziさんが人とのつながりを大切にしていらしたからなのだと思いました。
昭和はあたたかみがあった・・・などと言い切ってしまうのは
短絡的で感傷的ではありますが
こんな世の中だからこそ、saheiziさんの文章は心にしみいります。
楽しみに読ませていただきますね。
大事に読ませていただいています。
行間から人のぬくもりがただよってきて
それはsaheiziさんが人とのつながりを大切にしていらしたからなのだと思いました。
昭和はあたたかみがあった・・・などと言い切ってしまうのは
短絡的で感傷的ではありますが
こんな世の中だからこそ、saheiziさんの文章は心にしみいります。
楽しみに読ませていただきますね。
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
「花も嵐も…」勝手にリンクを張らせていただきました。ご了解をお願いいたします。

=大変で気の毒なので僕も一緒に行って汗をかき・・こんな駅長がいたこと!
大胆磊落なご馳走と酒宴、読んでいて映像まで浮かび惹き込まれます
運行を支える業務と技術の数々、 そして国鉄という巨象の中枢に
いらした方から、昭和の史実を知る貴重な機会を頂け感謝いたします
「うめえうめえ、と食う」
良いですね〜
しかし、牛のホルモンはともかく、豚の臓物を生で、というのは
ちょっと勇気がいりますね…新鮮で下処理が丁寧なら良いのでしょうか…
先日、低温処理、安全認証済という牛の生レバーを食べましたが、
何だかぼんやりした味で、ホントの生の旨さとは別物でした。
残念…
良いですね〜
しかし、牛のホルモンはともかく、豚の臓物を生で、というのは
ちょっと勇気がいりますね…新鮮で下処理が丁寧なら良いのでしょうか…
先日、低温処理、安全認証済という牛の生レバーを食べましたが、
何だかぼんやりした味で、ホントの生の旨さとは別物でした。
残念…
> oteboxさん、了解です。
> りんごさん、思い出すことも泉のごとく、忘れてしまったことは泥沼のごとく、こうして毎日更新するのと記憶が磨滅するのと競争だなあ。
> unburroさん、追って、調べたら平成27年から豚肉の生食は法律で禁じられたのですね。
やっぱりもう再現不能のご馳走でした。
半世紀以上も前のことですから、もうE型肝炎ウイルス感染も大丈夫でしょう。
やっぱりもう再現不能のご馳走でした。
半世紀以上も前のことですから、もうE型肝炎ウイルス感染も大丈夫でしょう。
> baobab20_z21さん、激動の人生だったと思いますが、張り合いはありました。
豚のホルモンを生で!
想像を絶しますが、もう経験できないご馳走ですね。
どぶろくと栄川を替わり番こにあおり!(@@)
豪放磊落で、かつ皆の為を思っていろいろ変革もし
若いのに切れるsaheizi駅長は慕われていたのがよく解ります。
「花も嵐も、、」毎日楽しみに拝見しています。
想像を絶しますが、もう経験できないご馳走ですね。
どぶろくと栄川を替わり番こにあおり!(@@)
豪放磊落で、かつ皆の為を思っていろいろ変革もし
若いのに切れるsaheizi駅長は慕われていたのがよく解ります。
「花も嵐も、、」毎日楽しみに拝見しています。
もうひとつのブログ、拝読しました。
佐平治さんが会津坂下駅の若き駅長さんでいらしたとは!!
坂下は思い出深い特別な地なのですね。
なんだかぐっと親近感が増してしまいました(勝手にすみません)。
そう、同じ「栄川」でも「えいせん」のほうなのですよね。
父が好んでいたのでよくお土産にしました。
佐平治さんが会津坂下駅の若き駅長さんでいらしたとは!!
坂下は思い出深い特別な地なのですね。
なんだかぐっと親近感が増してしまいました(勝手にすみません)。
そう、同じ「栄川」でも「えいせん」のほうなのですよね。
父が好んでいたのでよくお土産にしました。
by saheizi-inokori
| 2021-09-23 11:37
| 人生の御馳走帖
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Comments(17)