スガに肩すかしを食らって、タンメンを食う
2021年 09月 04日
「肩すかしの菅」というブログを書いて、下北沢の皮膚科に行って、午前中ぎりぎりの受付をしようとしたら、頭上のテレビで、当該人物が肩すかしを食らわした。
ばか負けしたのは、ばか当人というお粗末。
人事を切り札にして恫喝恐怖政治を展開してきた男が、総合的に俯瞰して日本学術会議の人事に介入して、独裁への道を歩み始めたのであった。
ところがコロナも国民の理解も彼の人事の及ぶところでなかった。
そして、最後の切り札に幹事長を交代させようとしたけれど、後任を選ぶことができなかった。
最後の、そのまた最後の切り札人事は、自分の首を切ることだった。
人事を弄する者、人事で大きな大きな墓穴を掘ったというわけで、愉快痛快と云えばそうとも言えるが、肩すかしの効果は野党に及び、枝野たちはオットット~!つんのめって転びそうだ。

皮膚科で、少し強い薬を処方してもらって、都立大学に回る。
東急バス、小田急電鉄、井の頭線、東急東横線と子供が喜びそうな乗り物尽くしだ。
何か、変わったものを食いたいと思ったが、パスタ、餃子、サンドイッチ、、どれも今いち、結局なんどか来たことのある蕎麦屋に入る。
トンカツ、カレー、、それも今市日光の手前、、結局、タンメンを選ぶ。
意味不明な結局が多発するのはスガの肩すかし・ボディブローが効いているのか。

タンメン!
初めて食ったのは、上京してからだったか。
それを思い出そうとすると、長野権堂の裏小路にある福昇亭といったか、小さくても流行っていた中華料理店が浮かんでくる。
大学の春休みに帰省して、そこで生意気にも昼飯を食おうとしていたら、Nという高校の同級生に遭遇、やあやあ、と声をかけると、奴は引きつったような顔をして、市会議員選挙運動の最中だ、親父をよろしく、といってポケットからつかみ出した札束から千円札を押し付けて、後をも見ずに出て行った。
あの時、食ったのがタンメンだったか、それともあの店の名物となっている固い焼きそばだったか。
あそこは長野だが、タンメンなるものを食うようになったのは、たぶん、渋谷の今は亡き恋文横丁の中華料理屋ではなかったか。
斜めになってもすれ違えないような細い路地に、バーや食い物やが数軒ならんでいるその一軒、外からみると窓枠に並んでいるピータンが僕には珍しかった。

あれは、中華料理なのだろうか、日本の蕎麦屋で出てもなんの違和感もない。
野菜がいろいろ入っているから、これだけで一回分の食事をした気になるのが、ゲルピン学生には好都合だった。
ラー油と酢をたくさんかけて、むせながら食う。
ラーメンだと、何とか流とか何とか出汁とか、いろいろ蘊蓄があって、芸術品をめでるように食い歩く人もいるが、タンメンとなると、単にタンメンである、だからタンメンなのか。
店によって、その日の厨房の塩梅によって、味の違いはあるのだが、それはラー油や酢の量で、こっちが塩梅する。

現役時代、生きるか死ぬかみたいな問題が起きて、何日も何日も昼も夜もないような仕事をつづけた。
社内のほとんど(上司も)が、当然ながら権力のほうにくっついて、僕たちはポリバケツの生ごみ呼ばわりをされた。
それでも、へいへいと言いなりにならなかったのは、もちろん地方にいる関係者やその家族の暮らしが、どうなるかが、僕たちの頑張りにかかっていたからだ。
少数派のなかの更に少数派であった僕と一緒に戦ってくれる部下たちもいた。
晩飯も食わずに、夢中になって激論を戦わし、作業をして、12時過ぎになると、さすがに帰ることになる。
そんなとき、ちょっと腹を満たして行こうと、寄ったのが深夜までやっている、屋台に毛の生えたような中華料理や。
ポリバケツに刻んだタンメンの具が入れてある、「はいよ」、元気よく、そのバケツから具を取り出して丼にぶち込んで出してくれるから、僕らは黙々と食って帰る。
その野菜が、一日バケツに入れてあった、その底のほうからすくいだした野菜が、ちょっと嫌な臭いがあったが、知ったこっちゃねえ、ずるずると食ってしまった。
そうやって頑張って、多くの人を救うことができたが、僕は窓際に追いやられた。
昨日のタンメンは、上品で、ラー油がないというので、酢と胡椒をたくさんかけたけれど、やっぱり上品だった。
でも、具の量に比べて相対的に多すぎるかと思われた麵も最後の一本まで食っていくと、おやここにもあるぞ、とモヤシや可愛い肉が出てきて、宝探し的楽しみも味わうことができた。
タンメン腹で、いろいろ買い物をして帰宅、寝転がって本を読んでいたら、懐かしい友人から電話があって、いろいろ思い出話など、なんと40分もした。
ガースーが辞めることになって、気分よかんべ―と言うから、選挙のためにスガには総裁でいてほしかったと、答えたら、そりゃそうだ、って。
晩飯を食っていたら、友人と噂して懐かしがった、秋田湯沢の男から電話があって、(標準語で)スガが辞めても地元の人たちにはさしたる感慨はない、といった。
風呂上がりに目方を測ったら、いつもの納豆腹に比べて麵分だけ肥えて59キロをオーバーした。
ばか負けしたのは、ばか当人というお粗末。
人事を切り札にして恫喝恐怖政治を展開してきた男が、総合的に俯瞰して日本学術会議の人事に介入して、独裁への道を歩み始めたのであった。
ところがコロナも国民の理解も彼の人事の及ぶところでなかった。
そして、最後の切り札に幹事長を交代させようとしたけれど、後任を選ぶことができなかった。
最後の、そのまた最後の切り札人事は、自分の首を切ることだった。
人事を弄する者、人事で大きな大きな墓穴を掘ったというわけで、愉快痛快と云えばそうとも言えるが、肩すかしの効果は野党に及び、枝野たちはオットット~!つんのめって転びそうだ。

東急バス、小田急電鉄、井の頭線、東急東横線と子供が喜びそうな乗り物尽くしだ。
何か、変わったものを食いたいと思ったが、パスタ、餃子、サンドイッチ、、どれも今いち、結局なんどか来たことのある蕎麦屋に入る。
トンカツ、カレー、、それも今市日光の手前、、結局、タンメンを選ぶ。
意味不明な結局が多発するのはスガの肩すかし・ボディブローが効いているのか。

初めて食ったのは、上京してからだったか。
それを思い出そうとすると、長野権堂の裏小路にある福昇亭といったか、小さくても流行っていた中華料理店が浮かんでくる。
大学の春休みに帰省して、そこで生意気にも昼飯を食おうとしていたら、Nという高校の同級生に遭遇、やあやあ、と声をかけると、奴は引きつったような顔をして、市会議員選挙運動の最中だ、親父をよろしく、といってポケットからつかみ出した札束から千円札を押し付けて、後をも見ずに出て行った。
あの時、食ったのがタンメンだったか、それともあの店の名物となっている固い焼きそばだったか。
あそこは長野だが、タンメンなるものを食うようになったのは、たぶん、渋谷の今は亡き恋文横丁の中華料理屋ではなかったか。
斜めになってもすれ違えないような細い路地に、バーや食い物やが数軒ならんでいるその一軒、外からみると窓枠に並んでいるピータンが僕には珍しかった。

野菜がいろいろ入っているから、これだけで一回分の食事をした気になるのが、ゲルピン学生には好都合だった。
ラー油と酢をたくさんかけて、むせながら食う。
ラーメンだと、何とか流とか何とか出汁とか、いろいろ蘊蓄があって、芸術品をめでるように食い歩く人もいるが、タンメンとなると、単にタンメンである、だからタンメンなのか。
店によって、その日の厨房の塩梅によって、味の違いはあるのだが、それはラー油や酢の量で、こっちが塩梅する。

社内のほとんど(上司も)が、当然ながら権力のほうにくっついて、僕たちはポリバケツの生ごみ呼ばわりをされた。
それでも、へいへいと言いなりにならなかったのは、もちろん地方にいる関係者やその家族の暮らしが、どうなるかが、僕たちの頑張りにかかっていたからだ。
少数派のなかの更に少数派であった僕と一緒に戦ってくれる部下たちもいた。
晩飯も食わずに、夢中になって激論を戦わし、作業をして、12時過ぎになると、さすがに帰ることになる。
そんなとき、ちょっと腹を満たして行こうと、寄ったのが深夜までやっている、屋台に毛の生えたような中華料理や。
ポリバケツに刻んだタンメンの具が入れてある、「はいよ」、元気よく、そのバケツから具を取り出して丼にぶち込んで出してくれるから、僕らは黙々と食って帰る。
その野菜が、一日バケツに入れてあった、その底のほうからすくいだした野菜が、ちょっと嫌な臭いがあったが、知ったこっちゃねえ、ずるずると食ってしまった。
そうやって頑張って、多くの人を救うことができたが、僕は窓際に追いやられた。
昨日のタンメンは、上品で、ラー油がないというので、酢と胡椒をたくさんかけたけれど、やっぱり上品だった。
でも、具の量に比べて相対的に多すぎるかと思われた麵も最後の一本まで食っていくと、おやここにもあるぞ、とモヤシや可愛い肉が出てきて、宝探し的楽しみも味わうことができた。
タンメン腹で、いろいろ買い物をして帰宅、寝転がって本を読んでいたら、懐かしい友人から電話があって、いろいろ思い出話など、なんと40分もした。
ガースーが辞めることになって、気分よかんべ―と言うから、選挙のためにスガには総裁でいてほしかったと、答えたら、そりゃそうだ、って。
晩飯を食っていたら、友人と噂して懐かしがった、秋田湯沢の男から電話があって、(標準語で)スガが辞めても地元の人たちにはさしたる感慨はない、といった。
風呂上がりに目方を測ったら、いつもの納豆腹に比べて麵分だけ肥えて59キロをオーバーした。
タンメンもsaheiziさんの手にかかると
奥が深い!
会社が新社屋建設中に五反田に1年引っ越してた時
モヤシや野菜が山の様に丼分くらい盛られたタンメンを
食べました。麺に辿り着く頃にはお腹一杯で(^^;
タン野菜か?デシタ
奥が深い!
会社が新社屋建設中に五反田に1年引っ越してた時
モヤシや野菜が山の様に丼分くらい盛られたタンメンを
食べました。麺に辿り着く頃にはお腹一杯で(^^;
タン野菜か?デシタ
3
> doremi730さん、野菜高騰につきかな、昨日のはやや麺勝ちでした。
>スガが辞めても地元の人たちにはさしたる感慨はない
そうなんです。だあれも残念だなんて言わないし!
我が母なんといったと思いますか?
『ちゅうとはんぱに やねばえがったのにな~』さすがと思いました。
ポリバケツに入れたタンメンの具のちょっと嫌な臭いに笑ってしまいました。
たぶん一番足が速いのは「もやし」かな?
野菜高いのですね。
そうなんです。だあれも残念だなんて言わないし!
我が母なんといったと思いますか?
『ちゅうとはんぱに やねばえがったのにな~』さすがと思いました。
ポリバケツに入れたタンメンの具のちょっと嫌な臭いに笑ってしまいました。
たぶん一番足が速いのは「もやし」かな?
野菜高いのですね。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
昨日夫に誘われシブシブ映画を見に行きました
「パンケーキを毒見する」という物です
乗り気ではなかったのですが引き込まれてしまいました
現役の政治家や古賀茂明さんや前川喜平さんなどが本音で語り
政治の裏側を知らされた感じでした
菅さんの手法もいろいろ でも終わりましたね
「パンケーキを毒見する」という物です
乗り気ではなかったのですが引き込まれてしまいました
現役の政治家や古賀茂明さんや前川喜平さんなどが本音で語り
政治の裏側を知らされた感じでした
菅さんの手法もいろいろ でも終わりましたね
> 鍵コメさん、考えることが少なくて、暮らして行けるのなら、それがよろしいのではないでしょうか。
by saheizi-inokori
| 2021-09-04 12:35
| 人生の御馳走帖
|
Comments(12)