悪影響 「津下四郎左衛門」
2021年 08月 26日
社会人になってすぐは仙台で現地見習いをやった。
怠け者だったが、たまに友人に誘われて磐梯山に登ったりもした。
今は亡き同室の男と只見に行ったことがある。
僕は、(あの僻地で)「いい旅館のいい部屋」に泊まりたがった。
友人は、泊まるところなんか安くていいから、あちこち見て歩きたいという。
といっても、川や湖を見に行くくらいのことだ。
いい部屋でご馳走、といっても、今なら旨いと思うけれど、あの頃は長野で食って育ったような鄙の味だし、友人は下戸だし、話も盛り上がらなかった。
(昨日は、三茶の歯科医に行く前に買い物をして、重い荷物を肩に、炎天下の坂道を歩いた)
僕は百閒の「阿房列車」に影響を受けていたのだ。
汽車に乗って行くこと自体を楽しみ、ときには行った先の駅で荷物を預けて、さればとてどこに行くでもなく、駅前広場のベンチに、お供のヒマラヤ山系と(精神病院の患者のように)並んで座って時を過ごし、次の列車に乗ってきた。
それでいて、きのう書いたように八代の宿が気に入ると、借金をしてでも、何度も(特別一等車で)でかける。
食うに困った挙句にする借金ほどタチの悪いものはない、といって、贅沢旅行をするために金を借りまくったのだ。
そういう随筆の表面的な飄逸や軽みに憧れていた。
それは太宰の、やはり表面にうかがえる、この世できちんとすることに重きをおかないような、そういうダラシのない生き方に自ら甘えて居るような、その日その場の刹那的な享楽をよしとする小説の世界にも通じていた。
これは、百閒や太宰が僕に与えた悪影響だと思う。
あの頃、漱石もよく読んでいたが、彼から得たものは、「猫」や「二百十日」などにみられる、ユーモア感覚でしかなかったようだ。
(義兄が送ってくれた、宮崎の芋焼酎、蓋を開けるとプンといい香り、すっきりした味わいで飲み過ぎてしまう、一度に飲めなかった分は一升瓶に移し替える)
鷗外の「津下四郎左衛門」は、岡山の名主の息子が、尊王思想に影響されて、あの横井小楠の首を取る話だ。
鷗外は、津下の息子から、亡父のことを訊き、語り手をその息子にして、この小説を書いた。
60年安保も終わった全学連とともに、反政府のデモに参加しても、内実は軽佻浮薄に太宰や百閒のうわべを読んでいた僕も若く貧しかった。
しかし、四郎のように大したこともできずに社会人になって、目前のことに夢中になって生きてきた。
きっと百閒や太宰の影響を受けなくても、同じような人生だったのかと思う。
病気になっても、病院に入ることができない東京に臨時の野戦病院みたいなものを作って対処したらどうかということは、去年、中国が武漢にあっという間にコロナ専門の千人対応の病院をおったてたことを見たりして、僕たちでも五輪村の施設を使ったらどうかなどと、ツイートもしたくらい、だれでも考え付くことである。
福井県では、まもなく100床対応の野戦病院を開設するという。
なぜ、東京では、そういうことができないのか。
緊急事態宣言で、人々に「他人ごとではないから、自粛せよ」というのみで、飲食店などが滅びるのを座視し続けるのみの、小池やスガ!なぜやらないのか!?
福井県は「自宅療養ゼロ」を最初からの必達目標として、関係者の垣根を超えた協力で、野戦病院が作られた。
対するに、スガは「自宅療養の人と緊密に連絡が取れるようにする」ということを、なんだか誇らしげに言う。
ものの考え方の立脚点がまるで、違うのだ。
あるべき姿を目指してリーダーシップを発揮するのが為政者の務めだとしたら、現実後追いで「なんせデルタ株が、、」「医療業界の協力が、、」「人流が、、」「IOCが、、」と言い訳しかできないスガや小池は、いったい何なのだ。
こいつらは、何に影響を受けてこういう、唾棄すべき・クズ人間に育ったのだろう。
こいつらが、多くの人に影響を与えて、曲がった人間が増殖し、罪もない人々が命を奪われているのだ。
皆さん、腹がたたないか!
怠け者だったが、たまに友人に誘われて磐梯山に登ったりもした。
今は亡き同室の男と只見に行ったことがある。
僕は、(あの僻地で)「いい旅館のいい部屋」に泊まりたがった。
友人は、泊まるところなんか安くていいから、あちこち見て歩きたいという。
といっても、川や湖を見に行くくらいのことだ。
いい部屋でご馳走、といっても、今なら旨いと思うけれど、あの頃は長野で食って育ったような鄙の味だし、友人は下戸だし、話も盛り上がらなかった。
僕は百閒の「阿房列車」に影響を受けていたのだ。
汽車に乗って行くこと自体を楽しみ、ときには行った先の駅で荷物を預けて、さればとてどこに行くでもなく、駅前広場のベンチに、お供のヒマラヤ山系と(精神病院の患者のように)並んで座って時を過ごし、次の列車に乗ってきた。
それでいて、きのう書いたように八代の宿が気に入ると、借金をしてでも、何度も(特別一等車で)でかける。
食うに困った挙句にする借金ほどタチの悪いものはない、といって、贅沢旅行をするために金を借りまくったのだ。
そういう随筆の表面的な飄逸や軽みに憧れていた。
それは太宰の、やはり表面にうかがえる、この世できちんとすることに重きをおかないような、そういうダラシのない生き方に自ら甘えて居るような、その日その場の刹那的な享楽をよしとする小説の世界にも通じていた。
これは、百閒や太宰が僕に与えた悪影響だと思う。
あの頃、漱石もよく読んでいたが、彼から得たものは、「猫」や「二百十日」などにみられる、ユーモア感覚でしかなかったようだ。
鷗外の「津下四郎左衛門」は、岡山の名主の息子が、尊王思想に影響されて、あの横井小楠の首を取る話だ。
鷗外は、津下の息子から、亡父のことを訊き、語り手をその息子にして、この小説を書いた。
歴史の大勢から見れば、開国は避くべからざる事であった。攘夷は不可能の事であった。智慧のある者はそれを知ってゐた。知ってゐてそれを秘してゐた。衰運の幕府に最後の打撃を食はせるには、これに責むるに不可能の攘夷を以てするに若くはないからであった。此秘密は群衆心理の上には少しも滲徹してゐなかったのである。(略)61歳の、政府の参与・小楠を刺したとき、四郎左衛門は、22歳の浮浪青年だった。
横井平四郎(小楠)は最も早くそれを知った一人である。私の父は身を終ふるまでそれを暁らなかった一人である。
(略)
私は残念ながら父が愚であったことを承認しなくてはならない。父は愚であった。しかし私は父を辨護するために、二個条の事実を提供したい。一つは父が青年であったと云ふこと、今一つは父の身分が低かったと云ふことである。
しかし、四郎のように大したこともできずに社会人になって、目前のことに夢中になって生きてきた。
きっと百閒や太宰の影響を受けなくても、同じような人生だったのかと思う。
福井県では、まもなく100床対応の野戦病院を開設するという。
なぜ、東京では、そういうことができないのか。
緊急事態宣言で、人々に「他人ごとではないから、自粛せよ」というのみで、飲食店などが滅びるのを座視し続けるのみの、小池やスガ!なぜやらないのか!?
福井県は「自宅療養ゼロ」を最初からの必達目標として、関係者の垣根を超えた協力で、野戦病院が作られた。
対するに、スガは「自宅療養の人と緊密に連絡が取れるようにする」ということを、なんだか誇らしげに言う。
ものの考え方の立脚点がまるで、違うのだ。
あるべき姿を目指してリーダーシップを発揮するのが為政者の務めだとしたら、現実後追いで「なんせデルタ株が、、」「医療業界の協力が、、」「人流が、、」「IOCが、、」と言い訳しかできないスガや小池は、いったい何なのだ。
こいつらは、何に影響を受けてこういう、唾棄すべき・クズ人間に育ったのだろう。
こいつらが、多くの人に影響を与えて、曲がった人間が増殖し、罪もない人々が命を奪われているのだ。
皆さん、腹がたたないか!
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kuroguly18 at 2021-08-26 13:47
選挙に行きますよ。
今まで以上にご近所に声をかけます!
今まで以上にご近所に声をかけます!
6
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saheizi-inokori at 2021-08-26 15:04
> kuroguly18さん、やりましょう!
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weloveai at 2021-08-26 16:26
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rinrin1345 at 2021-08-26 18:16
東北大震災の時すぐ色んなものを建てて助けたのになぜ今それが出来ないのが不思議です。家に放っておかれたらどんなに不安でしょうに。そちらに住んでいる息子達家族を心配しています。
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・・・
at 2021-08-26 20:31
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病床数を増やしても面倒見れる医療従事者がいないから。
ってことに気づかないのか?さすがマスゴミOB。
ってことに気づかないのか?さすがマスゴミOB。
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saheizi-inokori at 2021-08-26 22:23
> weloveaiさん、なぜ自民なのか?不思議でしょうがないです。
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saheizi-inokori at 2021-08-26 22:25
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saheizi-inokori at 2021-08-26 22:29
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saheizi-inokori at 2021-08-26 22:31
> ・・・さん、追って、私はマスゴミobなんて大層な者ではありゃーせんで。
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りんご
at 2021-08-27 00:01
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野戦病院。。 仰っておられましたね!
「伊でもNYCでもスペインでも感染爆発した時は患者を入院させる病室が足りず廊下や倉庫
にもベッドを置き寝かせ、その間に体育館や見本市会場に臨時病棟を作り患者を搬送した
でも、倫理面から入院の必要な患者を病院に運ばないという選択肢はなかった」
上の文を読み、医療崩壊の語が早々に流布された違和感を思い出しました
選挙で引き摺り下ろしましょう!
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saheizi-inokori at 2021-08-27 08:28
> りんごさん、没義道という言葉を思い出しました。
by saheizi-inokori
| 2021-08-26 12:08
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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