御残念様と生き運様 「堺事件」(森鷗外)
2021年 08月 22日
洗濯のない朝は、洗面所とトイレの手洗いを磨くだけ、なんか忘れ物をしているようにラクチンだ。
ストレッチと軽い筋トレを、ゆとりをもってやれた。
さいきんは歯磨きしながらの、かかと落としと洗顔前のボールに水を張る間のスクワットもしている。
やらなければラクチンということは、ラクチンでないことをやり続けなければならないということ。
それは、身体のバランスを整えておくに如かず、というわけだ。
片足立ちも、一分は楽にできる(日が多い)。 一昨年の今頃の「はじめ」で、サンマサンマ、サンマ苦いか、食いてえぞ。
マジに「はじめ」が心配だ。
鷗外の「堺事件」。
「国」のために腹を切った若者たちの話。
明治元年、戊辰の歳正月、徳川慶喜は、戦に敗れ大阪城を守れず、海路江戸に逃げた跡、大阪、兵庫、堺の諸役人も職を捨てて潜み匿れ、これらの都会は無政府状態に陥る。
そこで、朝命により堺の取り締まりに入ったのが、土佐藩だった。
ようやく落ち着きを取り戻した堺に大阪にいたフランス兵たちが、官許を得ずにやってきた。
土佐兵に遮られて、いったん引き返したフランス兵が、20艘の艀に乗って上陸してきて、人家に上がり込んだり神社仏閣に無遠慮にたちいり、女子をからかったりする。
身振りで帰れと言っても通じないので、陣所に引き立てようとしたところ、中の一人が隊旗を奪って逃げだした。
歩兵隊の中にいた、旗持ち梅吉という鳶頭が追い付いて、鳶口で水兵の脳天を打って倒す。
艀に乗っていたフランス兵が一斉射撃を開始、土佐藩の両隊長も「撃て」と号令する。
フランス兵が13人死ぬ。
フランス公使・レオン・ロッシュから、土佐藩主が自らフランス艦に赴き謝罪すること、銃撃を指揮した士官二人と、従った隊の兵卒20人を当該地において死刑にすること、殺害されたフランス人の家族の扶助料として15万ドル支払うことを要求、朝議の容るるところとなる。
土佐藩では、両隊の士卒73人を、一人づつ呼び出して、当日射撃したかどうかを訊問する
兵卒16人は刀を取り上げられて、酒肴を供せられ、酔っ払って寝てしまったが、土居という男がみんなを起こして、「このまま打ち首という恥辱を受けて死んでもいいのか」という。
彼らは羽織袴を身に着け、藩の重役に談判にいく。
16人は互いに顔を見合わせて、微笑を禁じえなかった。
代表の一人が、「有難くおうけするが、ひとつお願いがある。我々を士分に取り立ててください」というと、しばらくのちに重役が、士分取り立てを約し、絹服一重づつを下し置かれた。
それから、切腹の場面に至るまでの、彼らの稚気あふれる行動、例えば寺の鐘を打たせろと言って窘められたり、持っている金をお寺に寄付したり、自分たちの入る筈の甕に入ったのはいいが、出られなくなって甕を傾けてだしたなど、すぐに腹を切る者とは思えないような、明るい行動の描写がある。
フランス公使(代理)も列席する中で、まず箕浦が腹を切った。
「フランス人共聴け。己は汝等(うぬら)のためには死なぬ。皇国のために死ぬる。日本男子の切腹を好く見て置け」と言って、
箕浦が「まだ死なんぞ、もっと切れ」と叫んだ声は、三丁くらい響いた。
12人目の橋詰が、腹を切ろうとしたところ、役人が駆けつけてきて、フランス公使が退席したので、一時切腹を差し控えろという。
フランス公使は、土佐の人々の身命を軽んじて公に奉ぜられるのには感服したが、何分その惨憺たる状況を目撃するに忍びないから、残る人々の助命を日本政府に申し立てるとのこと。
土佐藩では、宝珠院に11基の石碑を建て、本堂の後ろの縁の下には9つの大甕を伏せておいた。
堺では11基の石碑を「御残念様」といい、九個の甕を「生運様」と云って参詣するものが跡を絶たない。
なお、士分取り扱いの沙汰は終になかった。
冷たさを感じるほどに淡々と事実を述べ、その事実によって、深い感動を与える。
土佐弁を話す若者たちの息吹を感じた。
ストレッチと軽い筋トレを、ゆとりをもってやれた。
さいきんは歯磨きしながらの、かかと落としと洗顔前のボールに水を張る間のスクワットもしている。
やらなければラクチンということは、ラクチンでないことをやり続けなければならないということ。
それは、身体のバランスを整えておくに如かず、というわけだ。
片足立ちも、一分は楽にできる(日が多い)。
マジに「はじめ」が心配だ。
鷗外の「堺事件」。
「国」のために腹を切った若者たちの話。
明治元年、戊辰の歳正月、徳川慶喜は、戦に敗れ大阪城を守れず、海路江戸に逃げた跡、大阪、兵庫、堺の諸役人も職を捨てて潜み匿れ、これらの都会は無政府状態に陥る。
そこで、朝命により堺の取り締まりに入ったのが、土佐藩だった。
ようやく落ち着きを取り戻した堺に大阪にいたフランス兵たちが、官許を得ずにやってきた。
土佐兵に遮られて、いったん引き返したフランス兵が、20艘の艀に乗って上陸してきて、人家に上がり込んだり神社仏閣に無遠慮にたちいり、女子をからかったりする。
身振りで帰れと言っても通じないので、陣所に引き立てようとしたところ、中の一人が隊旗を奪って逃げだした。
歩兵隊の中にいた、旗持ち梅吉という鳶頭が追い付いて、鳶口で水兵の脳天を打って倒す。
艀に乗っていたフランス兵が一斉射撃を開始、土佐藩の両隊長も「撃て」と号令する。
フランス兵が13人死ぬ。
フランス公使・レオン・ロッシュから、土佐藩主が自らフランス艦に赴き謝罪すること、銃撃を指揮した士官二人と、従った隊の兵卒20人を当該地において死刑にすること、殺害されたフランス人の家族の扶助料として15万ドル支払うことを要求、朝議の容るるところとなる。
土佐藩では、両隊の士卒73人を、一人づつ呼び出して、当日射撃したかどうかを訊問する
此訊問が殆ど士卒の勇怯を試みると同じ事になったのは、人の弱点の然らしむる所で、実に已むことを得ない。射撃したと答えたのは29人、フランスの要求する20人のうち、両隊長と小頭各二人を除く16人は籤引きで選んだ。
兵卒16人は刀を取り上げられて、酒肴を供せられ、酔っ払って寝てしまったが、土居という男がみんなを起こして、「このまま打ち首という恥辱を受けて死んでもいいのか」という。
彼らは羽織袴を身に着け、藩の重役に談判にいく。
上官の命令によって、働くには理も非もない。命令のあるたびに、いちいち理非を考えたら、戦争はできないでしょうに。藩の上役は相当待たせた上で
我々には、いったいどういう罪があるのか、委曲を教えてくれ。
太守(山内豊範)は病躯を押して、長髪のまま、大阪に戻り、そのまま、フランス軍艦へ挨拶しにいった。君辱めらるれば臣死すというではないか、切腹を申し付けるから、皇国のためを信じて有難くお受けしろと答えた。
16人は互いに顔を見合わせて、微笑を禁じえなかった。
代表の一人が、「有難くおうけするが、ひとつお願いがある。我々を士分に取り立ててください」というと、しばらくのちに重役が、士分取り立てを約し、絹服一重づつを下し置かれた。
それから、切腹の場面に至るまでの、彼らの稚気あふれる行動、例えば寺の鐘を打たせろと言って窘められたり、持っている金をお寺に寄付したり、自分たちの入る筈の甕に入ったのはいいが、出られなくなって甕を傾けてだしたなど、すぐに腹を切る者とは思えないような、明るい行動の描写がある。
フランス公使(代理)も列席する中で、まず箕浦が腹を切った。
「フランス人共聴け。己は汝等(うぬら)のためには死なぬ。皇国のために死ぬる。日本男子の切腹を好く見て置け」と言って、
短刀を逆手に取って、左の脇腹へ深く突き立て、三寸切り下げ、右へ引き廻して、又三寸切り上げた。刃が深く入ったので、創口は広く開いた。箕浦は短刀を棄てて、右手を創に挿し込んで、大網を掴んで引き出しつつ、フランス人を睨み付けた。介錯の男の第一刀は、浅く、箕浦は「馬場君どうした、静かにやれ」と励ますが、二の大刀も頸椎を打ってかっと音がする。
箕浦が「まだ死なんぞ、もっと切れ」と叫んだ声は、三丁くらい響いた。
12人目の橋詰が、腹を切ろうとしたところ、役人が駆けつけてきて、フランス公使が退席したので、一時切腹を差し控えろという。
フランス公使は、土佐の人々の身命を軽んじて公に奉ぜられるのには感服したが、何分その惨憺たる状況を目撃するに忍びないから、残る人々の助命を日本政府に申し立てるとのこと。
土佐藩では、宝珠院に11基の石碑を建て、本堂の後ろの縁の下には9つの大甕を伏せておいた。
堺では11基の石碑を「御残念様」といい、九個の甕を「生運様」と云って参詣するものが跡を絶たない。
なお、士分取り扱いの沙汰は終になかった。
冷たさを感じるほどに淡々と事実を述べ、その事実によって、深い感動を与える。
土佐弁を話す若者たちの息吹を感じた。
「はじめ」のことが本当に心配ですね。
どんなに多くの自営業や飲食店が必死に踏ん張っているのか、スガ内閣は考えようとも想像しようともしていないのでしょう。公助は一切しないから自分たちで何とかしろという姿勢を貫き通すつもりなのだと恐ろしく思います。彼らの仕事である政治さえしていません。
5月6日の参議院厚生労働委員会参考人質疑での「つくろい東京ファンド」の稲葉剛氏の"自助も共助も限界だ。公助の姿が見えない。政府はどこにあるのか。この国に政府が存在するということが貧困の現場から見えない。″という訴えに胸が詰まりました。
(https://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?sid=6334 )
どんなに多くの自営業や飲食店が必死に踏ん張っているのか、スガ内閣は考えようとも想像しようともしていないのでしょう。公助は一切しないから自分たちで何とかしろという姿勢を貫き通すつもりなのだと恐ろしく思います。彼らの仕事である政治さえしていません。
5月6日の参議院厚生労働委員会参考人質疑での「つくろい東京ファンド」の稲葉剛氏の"自助も共助も限界だ。公助の姿が見えない。政府はどこにあるのか。この国に政府が存在するということが貧困の現場から見えない。″という訴えに胸が詰まりました。
(https://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?sid=6334 )
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りんご
at 2021-08-22 22:26
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介錯の人へかけた声を想像し この部分を何度か読みました
耐性なぞ超えたものでしょうね 謎のままにしておこう きょうは気が弱いです
サンマ「はじめ」。。なんで救えぬのか日本の政府よ! いい繕い言を左右にするが
国民に直接お金を払えばロックダウンできるはず 中抜きできない策はしたくないのか
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saheizi-inokori at 2021-08-23 09:04
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saheizi-inokori at 2021-08-23 09:08
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jyon-non at 2021-08-23 12:56
スガ総理が最初、口にし自助共助公助でしたね。
おかしいことをいう総理だと思いましたが、このことだったかと戦慄を覚えました。
公助は一番最後で、そこまでたどり着けず亡くなる人は多いのです。
コロナでなくても、自営業で辛酸をなめて結果命を落とす瀬戸際まで追いやられる人たちが
いらっしゃるのが現実ですよね。
ホントに非道な政治だと思います。
おかしいことをいう総理だと思いましたが、このことだったかと戦慄を覚えました。
公助は一番最後で、そこまでたどり着けず亡くなる人は多いのです。
コロナでなくても、自営業で辛酸をなめて結果命を落とす瀬戸際まで追いやられる人たちが
いらっしゃるのが現実ですよね。
ホントに非道な政治だと思います。
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saheizi-inokori at 2021-08-23 13:53
> jyon-nonさん、横浜市長選でIR反対の小此木を支援してみたり、保身のみで定見のない政治家でもあります。
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reikogogogo at 2021-08-23 16:56
saheiziさん実は青空文庫に縁あって、此の境事件など、私の最近の読書は青空文庫が多いのです。
偶然にも鴎外に関わる話題、ドッキリです。
それから焼き魚、枝豆我が家の夕食レモンなしの大根おろし添え手抜きでした。
偶然にも鴎外に関わる話題、ドッキリです。
それから焼き魚、枝豆我が家の夕食レモンなしの大根おろし添え手抜きでした。
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ikuohasegawa at 2021-08-23 16:57
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saheizi-inokori at 2021-08-23 22:34
> reikogogogoさん、青空文庫、知らないけれど良い名前ですね。
鴎外って、ユーモアもあり、余計なことを書かないけれど、夢中にさせます。
鴎外って、ユーモアもあり、余計なことを書かないけれど、夢中にさせます。
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saheizi-inokori at 2021-08-23 22:36
> ikuohasegawaさん、これからの市政運営は、たいへんでしょうが頑張って欲しいですね。
by saheizi-inokori
| 2021-08-22 11:34
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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