鷗外の「新しい女」 「ぢいさんばあさん」「安井夫人」
2021年 08月 21日
さすような光の下で洗濯物を干し終わって一時間ほどしたら、曇ってきたので、スマホをチェックしてみると、11時から雨が降るという。
やれやれ、室内に干しなおしたが、雨は降らない、もうそのままにしておく。
NECの121コンタクトセンターに電話して、門前払いをかいくぐり人間によるサポートで回復する。
僕も似たようなことをやったのに、彼の言うとおりにするとパソコンが勝手に再起動したりして不思議なことだ。
心臓の不調を医師に訴えて、心電図をとると異常なしになるようなものか。
鷗外がこんなにも読みやすく面白かったかと、いささか興奮する。
鷗外選集21巻を大事に持ち歩いてよかった。
とは言え、古本屋では5千円前後で手に入るのだ。
読んだ小説の、それぞれに登場する主人公たちが魅力的だ。
「ぢいさんばあさん」のばあさんは、わずか4年の新婚生活ののちに、夫が生来の癇癪をおこして刃傷沙汰を起こし、無期限の免職追放になった後も、夫の祖母に仕え、夫の家の墓を守り通し、図らずも37年ぶりに恩赦によって許された夫と再会する。
そのあとの二人は、
近所のものは、若しあれが若い男女であったら、どうも平気で見てゐることが出来まいなどと云った。(略)婆さんは、将軍家斉から、永年の夫の留守中の貞節を褒められて銀十枚をもらう、その時、夫は72歳、婆さんは71歳だった。
二人の生活はいかにも隠居らしい、気楽な生活である。爺さんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀剣に打粉を打って拭く。体(たい)を極めて木刀を揮る。婆さんは例のまま事の真似をして、其隙には爺さんの傍に来て団扇であふぐ。もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆さんが暫くあふぐうちに、爺さんは読みさした本を置いて話をし出す。二人はさも楽しさうに話すのである。
16歳で器量よしで有名な、おとなしい女性が、30になる、痘痕があって、片目で、背の低い、男のもとに嫁きたいといったのだ。
江戸儒学の集大成とされ、近代漢学の礎を築き、谷干城や陸奥宗光など多くの逸材を育てた安井息軒の妻・お佐代さんのことだ。
お佐代さんは、美しい肌に粗服を纏って、質素な仲平(息軒)に仕え、多くの子供を育てて一生を終わった。
夫に仕えて労苦を辞せなかった。そして其報酬には何物をも要求しなかった。
お佐代さんは必ずや未来に何物かを望んでゐただらう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれてゐて、或は自分の死を不幸だと感ずる余裕を有せなかったのではあるまいか。其望の対象をば、或は何物ともしかと辨識してゐなかったのではあるまいか。こういう生き方に感動する僕は古い、女性差別の観念にとらわれた人間なのかもしれない。
しかし、この二人は僕の身の回りにいた人たちの面影を偲ばせるのだ。
「堺事件」については、また別の記事に書く。
欲(?)を言えば有り・・・いろいろ振り返れば有り・・・・・
雨漏りのしない家でまあまあ健康でここまで来た と思えば有難く・・・・・
後悔することばかりですが もう一度やり直してみても
ワタシはワタシ 同じ事なのかもしれないとも思います
幼児の頃親が読み聞かせてくれた時代、saheiziさんが読み聞かせてくれるーーー貴重なページ。
お上の事には・・・
お挙げになった鷗外の作品は人が生きる上での忍耐とか自己犠牲とか、
そのようなテーマが語られていますね。
厳めしい風貌が目に浮かぶようです。
忍耐や自己犠牲は、単に長いものに巻かれるということではなかったようです。
安井夫人も、本人はそうと意識しなくても「遠い理想」に向けて献身したのではないでしょうか。
私自身が安井氏みたいに冴えないのに、私も安井氏のような人は外見だけで嫌だと親に言ったかもです。なんて傲慢な私。安井夫人、すぐに読んでみます。