うたたねしながら死にたい 「星のなまえ」(高橋順子)
2021年 07月 28日
交差点に面している小さな(少し汚れて見える)店、はいって見たら12時前のせいか、客はいない。
エアコンが利いて、扇風機が利いて、外見よりよほど清潔で整った店内だ。
高田純次の「じゅん散歩」に来た時の写真とか色紙を眺めながら、迷うことなく「冷やし中華」を注文する。
大きな、明るい声で復唱するおかみさん。
毎日体重を測っているが、さいきんかなり減り始めて、ついに60キロを前後するようになった。
BMI(スマホのアプリが教えてくれる)は、22.0。
野菜が好きで、晩飯はまずボウルいっぱいの生野菜を食べてから始める。
なんとなく体重が減るのはいいこと、というスリコミがあって、テレビで同い年くらいの、たとえばタモリなどの腹がぽっこりしてくると、やや優越感をもって眺めているが、もうこれ以上減らすことはないだろう。
まだ、豚カツとかステーキを食う気にはなれない(近くにそんな店もないし)。
12時を回って学生、爺さんなどが入り始めるころ、食い終える。
うまかりし。
予約しておいた本・二冊を借りるときに、「お薦めの本」みたいな棚にあった本。
スーパーのレジ脇においてある雑誌とかお菓子みたいなものか。
車谷長吉の妻であり、車谷の小説に出てくる人で詩人だということは知っていたが、著作を読むのは初めてだ。
星の名前とか伝説とか、思い出であるとかを書きつつ、ときどきいろんな詩人や作家の星について書いたものを紹介する。
引用した詩などについて、彼女の感想を述べる形でその解釈も書いてくれるので、詩的想像力に欠ける僕にはありがたい。
たとえば、吉行理恵の詩
流れ星
猫は
明るい星
窓枠に 肘をつき
部屋のなかを 見守っている
目の中で
綾取りを繰り返す 姉妹
縁者たちにかこまれて
お婆さんはうわごとを言う
「うたたねしながら 死にたいわ」
その瞬間(とき) 星が流れた
この詩のあとの、高橋の文章の一部。
詩人は猫の目が明るくて、星のようだと思う。星に見守られているような気がする。部屋のなかでは「お婆さん」が最期の息を引き取ろうとしている。「うたたねしながら 死にたいわ」というつぶやきが星への祈りとなって、それが聞き届けられるのである。こんなことを最期につぶやくお婆さんもいないだろうが。高橋は「可愛らしくて不思議な詩」と評しているが、彼女の評釈の助けを借りた僕も同感だ。
最終行が映像的な効果を出している。星の目をもつ猫がまるで流れ星のように、出窓から飛び下りる。空にはほんものの星も流れたかもしれない。
ハレー彗星のことだが、僕は、たしかこれを観て東京の人たちは西郷さんの死を悼む星だと噂して「西郷星」とよび畏怖したのではなかったか、と思ったが、調べてみると勘違い平行棒で、西郷星は火星のことだった。
高橋の文章は、百閒の随筆をさらに引用し、その最後がどう終るかを書いて
これが文学なのだ、巧いなあ、と私は思った。と書いている。
そこのところは、ここに書かない(ケチだから)。
「百鬼園随筆」を引っ張り出そうかな。
当時、日本現代詩人会の会長さんだったような記憶があります。車谷さんを亡くされて間がなかったころ。
彼女の詩は、あまり知りません。この機会に読んでみようと思います。
紹介してくださってありがとうございます。
それなら 死も恐くないわ(^^)羨望
吉行理恵さんの詩ご紹介ありがとうございます。素敵な詩。
それからsaheiziさんの、勘違い平行棒には笑えました。
私もこの新しいボキャブラリーを頂いて、自分の日常に時々、連発(*^^)v
して遊ぼうと思います。笑
それから、最後旅立つときは、もちろん両脇にノンとアントン。頭のそばにはジョン。
あれれ?家族はどこに?(*^^)v