懐かしの地蔵通り「ソウル」 「ソウルの風景-記憶と変貌ー」
2021年 06月 23日
漢方の副産物として体重が1キロ減って、61キロを切った。
しかし、ここで手を緩めると揺り戻しがくる。
洋の薬を補充方々、先生の意見を聞きに下北沢の皮膚科に行く。

自然食品の店は、端境期のものはおかないようだ。

開扉の15分前に着いたらトップ、ひとつしかない椅子に座って嬉しい花いちもんめだ。
先生も、もう少し続けようと、薬を処方してくれた。
下北沢で買えなかった野菜などを三茶の「こだわりや」と東急ストアで買う。
ここは楽天と東急両方のポイントがつけてもらえる。
ポイントをつけて喜んでいても意味がないので、ここで使うことにしている。

けっこう歩いて疲れてバスに乗ったら、こんどは座れない。
みじめな顔になったのだろう、優先席の若い女性が代わってくれた。
遠慮する気持ちもなく、座る、やれやれ。

ぼくは宗主国の人間として朝鮮で生まれたくせに、ニ三日の漢江以北のみの観光旅行でしか韓国のことを知らない。
10歳下の四方田にソウルの今昔や、韓国に歴史がどのように根付いているのか(忘れられつつあるのか)などを教えて貰う。
金大中のノーベル賞受賞を喜ばない韓国人が多いというのは、僕たちが佐藤のそれを冷ややかに見たのと通じているのかと思ったら、「日帝36年、慶尚道37年」という言葉があって、慶尚道出身と全羅道出身の権力争いがあって、全羅道、光州出身の金にたいする強い反感が慶尚道の人たちにあるというのには、四方田も驚いたようだ。

おそらくナヌムの家を訪れることは、気楽に、そして友好的な気分のうちに遂行できる虚構の巡礼の一種なのだ。そこで彼女たちは、日本での生活ではどこまでも曖昧なままにされている自分の、女性としてのアイデンテイテイを、明確に確認することができる。少し苛酷な表現になるかもしれないが、元宗主国の国民である彼女たちは、女性である自分を認識するために、旧植民地での元従軍慰安婦との出会いという悲惨にして善意の物語を必要としているのではないだろうか。少しでなくかなり苛酷な四方田の指摘は、しかし、一面の真相をついているように思える。
ぼくも、ときにこういう「善意の物語」を求めて街を歩くもの。

そのおかげで見知らぬ韓国の文化人の内実に触れられたような気持ちにもなる。
極楽とんぼの僕とはまるで違う、歴史の重みを感じつつ、それと真剣に向き合っている人たちだ。
日本人と韓国人の違いはあるのか。
20年前のソウルの女性はほとんど化粧をせず東京の女性の厚化粧を気味悪がったが、20年経ってまったく逆になってソウルの女性がべったりと化粧をし、東京ではナチュラルメイクとなったという。(それから20年の今はどうなのか、きっと見分けがつかないのかもしれない)。
四方田は、
人が往々にして真に韓国的なるもの、真に日本的なるものと信じこんでいるものの正体とは、案外この程度のものではないかという。
日本人のなかに「韓国的」なものが入り込み、韓国人の中に「日本的」なものが入り込む(本書にはその事例が紹介されている)。
そしてビビンバのように混ぜ合わされてハイブリッド文化ができていくことは、
国家が民族主義的イデオロギーのもとに自国文化の純粋化をいかに呼び掛けようとも、また他国の文化を禁止しようとも、それにはまったくおかまいなく、あたかも水が高いところから低いところに流れてゆくように、進行してゆく現象である。といい、さらに日本国内で在日韓国人は
このハイブリディティを彼らが日本人に先駆けて実践し、その規範(?)を日本人に提示してみせることではないか。ともいう。
ああ、懐かしの
地蔵通りの「ソウル」!
あのママは元気でいるのだろうか。

自分の立ち位置を自覚して訪れているかどうか。あらゆる善行の底を流れる
自己満足感に意識的であるかどうか。
医者、食べ物を求めてご自宅よりずいぶん遠いところを歩いているのですね。
医者は教えていただきたくなる時が来ると思います。