漢字がなければ 「日本語で書くということ」(水村美苗)
2021年 05月 15日
床でもなんでも道具でなくてこの手で磨くときれいになる。
汗をかいてTシャツに着かえる、初Tシャツだ。
ついでに「はじめ」に寄ったら、おりしも親方とママが店の掃除に来ていて、ちょっと話ができた。
「休む前は40キロなかったのに、今は41キロ、肥っちゃった、佐平次さんは肥らないね」膝を直し、少し目方も増やしてまたお店で会いましょう。
「もう遅すぎますか?—初めての韓国旅行」、表題を読むと、日本が朝鮮にどれだけひどい仕打ちをしたかを、今頃気がついた、というような話しかと思ったら、そうではなくて、「今さら日本の小説家が、一緒に漢字文化圏に踏み止まって下さいと言っても、もう遅すぎますか?」ということだった。
初めてソウルの街を歩いてハングルの氾濫を目の当たりにした感慨だった。
韓国が、ヴェトナムが漢字を捨てて、中国ですら簡体字を使うようになったのは、表意文字を捨てることであり、それ自体「脱亜」への意志だったという(他にもナショナリズムからの理由もあるが)。
しかし表意文字こそ、西洋に対抗できる表記法だった。
東アジアは、西洋の言葉でもって創られた知の体系には還元できないものの存在を、世界にも知らせ、自らも知る、そういう道を選ばなかった(脱亜ゆえに)。
中国の台頭によって、日本はヒンドゥ―教、ラマ教、イスラム教などの地域を含む、大きな「環中国圏」のなかの一つにしかならなくなるかもしれない。
そういうなかで「漢字文化圏」(箸を使う文化)という、いにしえの縁(ゆかり)が、とつぜん無性に大切になってきた。
それなのに、韓国がハングルのみの国になったら「圏」(三国以上でできる)はできないではないか。
彼は、初めて樋口一葉を読んだ時の驚きを語る。
日本の明治の女の人がいかに洗練の極みに達した文学を書いていたか。現在の韓国の小説家たちが、ハングルの伝統のみで書こうとするのか、という嘆きが込められていた。
日本も表意文字を捨てようとしたけれど、日本語がひらがなだけではやっていけない言葉だったから、やむなく漢字を遺した。
遺して貰ってほんとによかった、と僕は思う。
漢字がなければ、どんな書き言葉になっていたか、それなりの工夫や言葉の変化はあっただろうが、とても今のように面白く本を読むことはできないだろう。
その日本語もあと何年、今の姿をとどめているのだろう。
イギリスに生まれてよかったと思う理由は数ある中で、筆頭はシエイクスピアが母国語で読めることだ。間近に向き合うことが出来ず、遠くから声を聞くだけで、それも、さんざん苦労して言葉を学ばなくてはシエイクスピアの神髄には触れ得ない立場を想像するとうそ寒い絶望と喪失の恐怖を覚える。ホメロスは読めるつもりだし、理解の深さでは人に譲らない自信があるのだが、ホメロスが本当に詩韻のすべてを直に伝え、それが当時エーゲ海の岸辺でギリシャ人が聞いたまま、同じようにこの耳に響いているとは夢にも思わない。「ヘンリー・ライクロフトの私記」から。
何度も見てしまう写真です❣
「日本語で書くということ」ぜひ読みたいと思います
前に教えて頂いた「日本語が亡びるとき」も興味深い内容でした
偶々知った「日本語で読むということ」も注文しようかと迷い中です
「その日本語もあと何年、今の姿をとどめているのだろう」
画一的なオノマトペの頻用などを目にすると、少し不安になります
私の場合は深刻です。美しい日本語の原型も見失いそうで、本箱の整理を兼ねて古い本をみなおしています。絵文字、話し言葉で書く文章。違和感を感じていると、世代のせいにされちゃうんだろうな。