花に挨拶を 「ヘンリー・ライクロフトの私記」
2021年 05月 10日
スマホを構えてグーグル検索画面を出してシャッターを切ると花の名を教えてくれる。
しごく簡単な操作で事足りるのだが、その映像や花の名は別に記録しておかないと、みんな消えてしまう。
束の間の喜びでもいいけれど、こんどからちゃんと両方を記録しておこう。
きのう、花の名だけは、「つきぬきりんどう」と記録したけれど、花の映像は忘れて来たので、グーグルから借りて来た。
同じように、よく見かける、ブラウスの花柄のようなこの人の名を「においばんまつり」と知って、写真を忘れたのがこれ。
もう花の名前を調べるのはやめよう、どうせすぐ忘れるのだから。
そう思っていたが、ヘンリー・ライクロフトが、
「はりもしゅく」、ヘンリーが、
僕にとっても子供の頃の色とりどりの思い出をよみがらせてくれる花がある。
サクラ、アジサイ、ヒマワリ、ダリヤ、コスモス、、ああ、なんてこった!名前の出てこないたくさんの花が恨めしそうに頭の中で揺れている。
サンチ、助けてくれよ。
思い出したぞ、ヤグルマソウにレンゲ、ヒャクニチソウにマツバギク、ヒメジヨン、、いくつ思い出せるだろう。
これは、サルビアガラニチカ、きのうの散歩で僕が撮った花、こんな名前だとは知らなかった。
どこか似ている「徒然草」、あっちもいい加減に読んでそれっきりになっているが、今読み直せばいちいち心に響くのだろうか。
少し前に読んで、自分の未熟さを突きつけられるようでいたたまれなくなった。
ヘンリーの私記には、どこかダメな僕をハラカラのように受け入れてくれるところがある。

束の間の喜びでもいいけれど、こんどからちゃんと両方を記録しておこう。
きのう、花の名だけは、「つきぬきりんどう」と記録したけれど、花の映像は忘れて来たので、グーグルから借りて来た。
同じように、よく見かける、ブラウスの花柄のようなこの人の名を「においばんまつり」と知って、写真を忘れたのがこれ。

そう思っていたが、ヘンリー・ライクロフトが、
散歩の途中に見かけた花は何であれ、正しい名で呼びたいと思う。それも、学名ではなしに、一般的に知られている通り名の方がいい。「ああ、ヤナギタンポポか」と言うだけではつまらない。それでは黄色い舌状花を十把一絡げに「タンポポ」で片付けるのと同じで、花が可哀想だ。花の方でも、きちんと個性を認めてもらえば嬉しかろう。花という花にずいぶん世話になっているから、せめてものお返しでそれぞれに挨拶しなくてはいけない。同じ理由から、何はともあれ学名「ヒエラキウム」は避けて「ヤナギタンポポ」と言うようにしている。俗称で呼べば、それだけ親しみが増すというものだ。と時空を超えて諭してくれたから、もう少し丁寧に花をみようと思い直したのだ。

暑い夏の日を浴びてこの花が発する特有の芳香が何とも言えず微笑ましい。愉快にも通じる気持ちがどこから来るかは分かっている。子供の頃の思い出につながるのだ。
僕にとっても子供の頃の色とりどりの思い出をよみがらせてくれる花がある。
サクラ、アジサイ、ヒマワリ、ダリヤ、コスモス、、ああ、なんてこった!名前の出てこないたくさんの花が恨めしそうに頭の中で揺れている。

思い出したぞ、ヤグルマソウにレンゲ、ヒャクニチソウにマツバギク、ヒメジヨン、、いくつ思い出せるだろう。


少し前に読んで、自分の未熟さを突きつけられるようでいたたまれなくなった。
ヘンリーの私記には、どこかダメな僕をハラカラのように受け入れてくれるところがある。
この広い世の中に、常に変わらぬ共感と理解を期待できる相手がたった一人でもいるだろうか。いや、何人であれ、本の好みや評価からしておいそれと一致するものではない。そのような知性の諧和は例外中の例外だ。人は生涯をかけてこれを庶幾う(こいねがう)が、願望は悪魔のように人を駆りたてて不毛の地に押しやり、果ては泥沼の混迷に陥れる。そうなってはじめて追い求めていたのは幻想と知るのだが、誰だろうと人はみな、あらかじめ釘をさされている。汝、孤独に生きよ。凡俗を脱したと思えるなら幸いだ。脱したと錯覚している限りはだけれども。そんな幸いに恵まれない人間も、せいぜい苦々しい幻滅を避けるようにすることだ。どれだけ不快だろうと、現実を直視した方がよほどいい。あるところで空しい希望をきっぱり断てば、その埋め合わせに、いよいよ翳りのない心の平穏が訪れる。「脱したと錯覚している限りは」、凡俗我にそんな錯覚はもとよりないけれど。

スマホに花の名を教えてくれる機能があったんですね。
私は芭蕉の植物を詠んだ画賛句が好きなんですが、嘱目が基盤にあってのこと、と某書で読んで納得しました。
何にしても対象を正確に把握することは難しいもんです。
私は芭蕉の植物を詠んだ画賛句が好きなんですが、嘱目が基盤にあってのこと、と某書で読んで納得しました。
何にしても対象を正確に把握することは難しいもんです。
0
私は「カラスノエンドウ」がとても懐かしい大切な思い出とつながっています。
草むらなどで見かけるたびに、幼い孫に植物の名前を一つひとつ教えてくれた祖母の声と笑顔がよみがえります。
こうしてたったひとつの話題でも、なにか通じ合うような感覚を勝手に抱いて嬉しがるのもまた、人間ならではですね。
草むらなどで見かけるたびに、幼い孫に植物の名前を一つひとつ教えてくれた祖母の声と笑顔がよみがえります。
こうしてたったひとつの話題でも、なにか通じ合うような感覚を勝手に抱いて嬉しがるのもまた、人間ならではですね。
> 福さん、以前のアプリは写真を投稿して名前を聞いていたのですが、今利用しているのは写すとすぐに教えてくれるのが便利なようです。
ハワイに行ったときにガイドにはなの名を訪ねると、赤い花、現地ではシンプルに名付けているとのことでした。
ハワイに行ったときにガイドにはなの名を訪ねると、赤い花、現地ではシンプルに名付けているとのことでした。
by saheizi-inokori
| 2021-05-10 10:42
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
Comments(6)