因果はめぐる 「安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル」
2021年 04月 30日
若い父親と3年生くらいの女の子、一年生くらいの男の子、それに三つくらいの男の子。
お父さんが自転車を引いて、上のふたりが後になり先になりして、小さい子はパパにまとわりついて、とうとう自転車のサドルをまたがせている。
気をつけてね、と心のなかでつぶやいて追い抜いた。
交差点の斜め向かいに新しくできた焼き鳥やの前で「全品百円」「化学調味料非使用」「天然水にこだわって」などの能書きを眺めたが、百円の鳥そのものの質・由来についての能書きがないことをもって誘惑を克服できた。
その代わりにその隣の菓子やで、柏餅のこしあんとヨモギをひとつづつ、赤飯一折も買って、その先の駒沢公園を歩こうと思ったら、雨、というより風が激しくなってきたので、バスに乗って帰る。
バスを降りて、歩いていたら、あ、さっきの親子連れ、こんどは傘をさして、ちっちゃいのはちゃんと籠に入っていた。
駒沢公園に行ってきたのか。
家の近所にも、しょっちゅうパパが投げるボールをバットで網籠みたいなのに打ち込んでいたり、素振りを直してもらっている巨人の星親子がいる。
僕の父は叱られた思い出しか遺さず、さっさと逝ってしまった。
そういうのは人格形成に影響があるのかもしれない、などと考えつつ家にたどり着いた。
笛美のハンドルネームの若い女性が始めたオンラインデモが燎原の火の如く広がって、紆余曲折のすえ、アベ政権を追いつめ、アベの退陣につながった。
オンラインデモが始まったのが、2020年の5月8日、まだ一年経っていないのに、ずいぶん前のことのよう感じがする。
戦後制定された「検察庁法」は、個別の事件について捜査現場に対する法相の指揮権を認めず、検事の定年を明記するなど人事権の行使に一定の制約を加え、検察の独立に配慮しているが、制度としては、検察幹部の任命は内閣の専権事項となっている。
政治の側は、その人事権と検事総長を通じて行う指揮監督権とを背景にして、さまざまな機会に捜査に注文を付け、人事に口を挟もうとしてきた。
それに対して、メデイアや野党は、監視し牽制してきた。
戦後から昭和末期まで、日本の社会・経済システムは、自民党の長期支配のもと大蔵省を中心とする官僚機構を核とした護送船団方式で運営され、検察は官僚機構を政治の介入から守る役割を担ってきた。
検察に対する国民の信頼が薄れたり、メデイア(とくに記者クラブ)がその監視機能を果たさなくなったり、野党がだらしなくなったりすると、政権の口出しに対して検察は強く抵抗できなくなる。
バブル崩壊にともなう金融機関の不良債権処理をめぐる失政で、大蔵省は国民の信頼を失い、金融機関からの接待汚職で守護神・検察から摘発されて、護送船団体制は終わりを告げた。
検察も不正を内部告発しようとした大阪高検公安部長を微罪で逮捕し(2002年)、厚労省村木局長の無罪事件で証拠の改竄をするなどが明るみに出て、国民の信頼を失っていた。
そこに、従来権力の行使を抑え気味にしていた政権が、牙をむいたのが「政治主導」を強調する第二次安倍政権だった。
結局、今回の人事騒動の本質は、安倍政権の、安倍政権による、安倍政権のための人事劇であり、黒川や林、そして稲田や法務事務次官の辻らも、それに振り回された「被害者」だったといえるのではないか。検事総長になることを、なんども拒否し続けた黒川は、その才能のゆえに政権に使われ、あたかも安倍君側の奸のごとくにいわれてしまった。
筆者は、毎日・朝日新聞記者としての47年間の多くを、特捜検察が捜査する政界汚職や大型経済事件の取材に費やす過程で、検察は単に金融・腐敗政治に目を光らす庶民の味方というより、一定の政策的意図をもって法執行を行う、唯一無二の特別な国家機関であることに気づき、検察そのものを主たる取材対象としてきた。
戦後の検察内部の人事抗争の流れ・事件なども紹介されて、こんかいの黒川・林抗争の特殊性を語る。
政治の動き、政治家や官邸官僚(杉田など)の思惑と検察内部の反応やエリートたちの立居振舞などが、まだ僕も忘れ切ってはいない表面に現れた国会の質疑と絡み合う。
官邸の意向と検察内部の思惑とがお互いに思い通りにならないままに、稲田検事総長は広島地検を督促し(?)河井夫妻の逮捕にこぎつける。
なぜこの捜査に警察は手をこまねいていたのか?
官邸で力を振るう杉田官房副長官は警察庁OBであり、警察庁の幹部候補生が官邸に出向し政権の危機管理を担う。
河井は安倍やスガの側近であり、法相に抜擢されたのは桜を見る会の捜査や黒川人事と無関係だったのか。
一強体制に過信して、政敵を憎んで安里選挙をゴリ押しし、悪女の深情けなのかはたまた御身の守護神としてか黒川検事総長にこだわった安倍(スガ)政権が、文春砲や黒川の自爆的麻雀などで躓き、それが広島選挙の敗北を招来し、政権の存続を脅かす。
その間、良くも悪くも重要な役割を果たし続けたのは国民世論であり、待っていたように暴かれるスキャンダルだ。
小説より奇なる、因果はめぐるノンフィクションだ。
店主が目利きで美味しい魚しか売ってなそうな雰囲気(笑)
息子以外は二人とも無愛想。
でも毎日何時間もかけて三崎から来るだけあって、品質は信頼がおけます。
行きつけの居酒屋もここで仕入れています。この日はカツオがなかったのが残念でした。