英国の村に住んでみたかった 「クリスマスの朝に」(マージェリー・アリンガム)
2021年 01月 13日
昨日の雨のお湿りを含んだ冷気が心地よい。
手伝うドライバーに対して「感動しました」と餃子屋の主人、「感動させたのはあんただよ」とテレビに云う僕。
NHKがぬか漬けの特集をしていたのをチラ見。
亡妻が亡くなったあと、子供たちのために毎朝洗濯と食事作りをした。
栄養が偏らないように、25品目とか30品目とか、具沢山の味噌汁(前夜から昆布を鍋に)、鯵の開きとか鮭の焼いたの、野菜サラダ、卵焼きなどを、我ながら手際よくパラレルに(だって出勤前だもの)作った。
そのときに、出汁をとった後のカツブシや昆布とナスやキュウリなどの野菜を板摺したのを混ぜて、塩と味醂をかけて小鉢に置き、小皿で重しをしておくと即席の糠漬け風が出来た。
テレビでも似たようなことをしているのを見てあの日々を思い出した。
誰に教わったわけではなく、必要は発明の母だったのだが、今思うとあれは発酵食品にはならないのだった。
いま、ああ云うことをやれと言われてもできないだろう。
郵便局で荷物を二つ送り、昨日から使用開始された出張所でマイナンバーカードの電子何とかの更新をする。
なんのためにするのかもよくわからないままに、「いざというとき」に困らないように、従順なジジイであることに自分でも腹が立って、窓口で「腹がたつねえ」といったら女性スタッフも「ほんとですねえ」とまじめに相槌をうった。
彼らも被害者なのだ。
カートのない店で籠をぶら下げてキャベツやジャガイモなど重いものを持ち歩くのは(片手に傘とバッグ)しんどかった。
題名通りにクリスマスに読もうと思ったのに、年越しの昼に読んだ。
キャンピオンという、たぶん高等遊民が探偵のシリーズの「今は亡き豚野郎(ピッグ)の事件」と「クリスマスの朝に」の二編と「マージェリー・アリンガムを偲んで」というアガサ・クリスティの文章が載っている。
六月の夕べの六時半に息を吞むほど美しくなければ、英国のカントリーハウスと呼ぶに値しないが、<千鳥足の騎士団>はまさに正真正銘のカントリーハウスだ。豚野郎が(インチキを弄して)買い取って下劣なリゾートを開発しようとして、だれかに殺されたカントリーハウス。
そういうものに無縁な僕は、かつて遊んだゴルフ場の食堂で酒を飲みながら見た夕景色を思い出してみたりする。
田舎育ちの者なら誰でも知っているように、”標準的な村人”などというものは存在しないのだから。日本の村はどうなんだろう。
そもそも村とは、誰もが隣人にさしたる迷惑もかけずに好き勝手に暮らせる、てんでんばらばらの共同体であるところに意味がある。
「クリスマスの朝に」はとても短い、いかにもクリスマスにふさわしい、ちょっと寂しくとても心温まる話だ。
アガサ・クリスティー、ドロシー・L・セイヤーズ、ナイオ・マーシュと並んで英国四大女流ミステリ作家のひとりに列せられるアリンガム、と解説(川出正樹)にある。
僕はまだナイオ・マーシュも知らない。
川出は、名探偵アルバート・キャンピオンを
控えめなれど芯が強く、真摯だけれど遊び心も十分―<英国紳士>という形容が、実にしっくりとくると評し、アガサはアリンガムを
マージェリー・アリンガムならではの特徴―幻想性と現実感の混在する味わいでしょう。そして彼女には、普通はあまり探偵小説とは結びつけられることのない、もうひとつの資質があります。つまり優雅さ。優雅な作風は、近ごろではめずらしくなりました。ヴァージニア・ウルフ、エリザベス・ボウエン、、、ほかにはあまり思い浮かびません。繊細な感性で選び抜かれた言葉が使われることのなんと少ないことか。と書いている。
おやおや、また未読の作家の名前が出てきたぞ。
猪俣美江子 訳
創元推理文庫
お子さんたちは口には出さないかもしれませんがみんな親孝行ですものね、感謝しているのですね。
夫の職場に妻が寝ているのでという理由で毎朝カップうどんを食べている人がいるそうです。
なんという悪妻!という前に自分で作ればいいのにとも思います。
今家事ができるのも、その時の知恵や頑張りが身についているからなのですね。尊敬します。
バージニア・ウルフのダロウェイ夫人をもとに作ったアメリカ映画「めぐり合う時間たち」を見たことがあります。
メリル・ストリープが大好きです。もう71歳ですがきれいな方です。
難しい映画で2回見て納得しました。
クリスマスの朝にも読んでみたいですね。
それにしても外国の村は(テレビで見るだけですが)(どうしてあんなにきれいなのでしょうね。
せんじつ新日本風土記で東北の冬を見ましたが、日本の村も美しいですよ。
ただヨーロッパの村は、違う世界のようです。