草餅が人生に救いをもたらした

もうかれこれ40年近く前のことだ。
名古屋の支店にいた僕は、本社の方針に反することを言ったために定期異動を待たずに小会社に飛ばされた。
受け入れる方が、来てもらっても仕事がないから少しブラブラしていてくれというのを無理矢理受け入れてもらった。
それまで家族と住んでいた社宅も出なければならなくなって、子供の進学もあったので家族は東京に移し、一人で独身寮に住むことになった。

その引っ越しの朝、がらっと玄関の戸を開けて「おはようございます」という声、続いてドシンと物を置く音。
大垣の奥に住むUさんが、にこにこ笑っていた。
草餅をついてきたから、引っ越しの食事にしてくれ、半分は東京に持って行って東京の人たちにも食べてもらってくれ、という。
3月、雪の下からヨモギを摘んだのかもしれない。
夜明け前から餅をついたのだろう、まだ柔らかなつきたての餅が団子にして二段の箱に入っていた。

当時の引っ越しは職場の人たちが大勢で手伝いに来てくれるのだが、一段落した昼休みにこの餅を出した。
見納めになる社宅の縁側にならんで皆の顔が笑顔になった。
東京で義母にその話をして餅を出したら、「いいところで仕事をしたんだね」と涙をこぼした。

Uさん、地元のタタキ上げの大ボスで、大学出のエリートが大嫌いだったが、なぜか僕だけは仲良しで遅くまで二人で飲んで歩いた。
「俺だって大学出てるんだぞ」というと「あんたは、違うもん」と、それを最高の褒め言葉だと思った。

肝臓の数値が異常に悪くなったのにぎりぎりまで医者にいかず60そこそこで逝ってしまった。
豪放に見えて細心、むしろ小心な面もあり、医者に行くのが怖かったのだと思う。
大垣の自宅で営まれた葬儀には田舎の道に一キロ以上の行列ができた。

あの草餅こそ、我が人生のご馳走だった。
このことは7年ほど前にも記事にした。

昨日、ふとしたはずみで、あの引っ越しが、その後の僕の人生の重大な岐路になったことに思い当たった。
飛ばされた子会社で現場第一を身に染みて体験して、エリートとしてふわふわ生きるのではなく現場の人たちのために、どんなエライ連中に対してでも云うべきことを云い、やるべきことをやることが、自分の生き方であることを改めて確認したのだ。
そのスタートだった。
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(サンチが膝の上ですやすや鼾をかいていると、トイレにたつのを遠慮してしまう)

去年の引きこもり中に来し方を顧みて、反省すべきことばかり思いだして、俺の人生は何だったのか、と暗い気持ちになる日が多かった。
しかし、あの草餅を食って、それ以後の本社に戻ってからの激動のなかで、自分の使命を第一にして独裁的権力に抗って、弱い人たちのためになることをやり通した。
本社の大会議の席上、その権力者に「共産党」呼ばわりもされ、以後の会議への出禁を食らい、再び小会社に飛ばされもした。
でも僕がそれだけのことをやらなかったら、もっと困っている人がたくさんいるはずだ。

そのことは、自分は悪い、ろくでもない奴だが、まるっきり悪いことばかりしてきたわけでもなかったということにも思い至らせるのだ。

草餅の陰にいる人たちのために生きなかったら、俺ってなんぼのもんじゃ、そう思っていたのだ。
やっぱりあの草餅は人生の時のご馳走であった。
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零時、それでも思ったより寒くないな、と思ったが、待てよ北国の人たちには零度は温かい温度なんだと思い返した。

Commented by eblo at 2021-01-10 12:11
子供の頃に「生きるは仮の姿、その人の人生は死ぬときに後悔するかしないかで決まる」と思いました、何故そんなことを思ったのかは覚えていませんが。
思うようには生きて来られませんでしたが、この考えは何かを判断するときの基準にはなってきました。
saheiziさんに助けられた人は多かったのでしょう、だから今でも人望がある。みんなのために100歳でも200歳でも生きて発信し続けてください、後悔しないために。
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-10 12:15
> ebloさん、私は後悔のほうが多いです。後悔におしつぶされそうだったときに草餅の思い出が助けてくれました。
Commented by doremi730 at 2021-01-10 13:38
ズンと心に沁みるいいお話ですね、、
早朝から草餅を搗いて下さった大ボスさんは
saheiziさんに感謝とメッセージを込められ
saheiziさんはそれをしっかり受け取られて
弱者を守り続けられた!!
その片鱗が今も♪
Commented by stanislowski at 2021-01-10 14:28
今日のとても力が湧いてくる記事に私が励まされるようです。
餅は腹を満たす。
餅つき機が無かった頃は大変な仕事だったと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-10 14:45
> doremi730さん、uさんに久しぶりに話しかけました、心の中で。
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-10 14:46
> stanislowskiさん、家族、もしかすると近所の人なども手伝わないとつけません。
おそれ多いことでした。
Commented by waku59 at 2021-01-10 15:19
イイネを10回くらい押したかったです♪
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-10 16:29
> waku59さん、ありがとうを20回!
Commented by jyariko-2 at 2021-01-10 16:46
そのつきたて草餅を私も食べていたらなー
きっと私の人生も変わっていたように思えて来ました
今ふと外を見たらぽっかり浮かんだ雲がピンクに染まっています
いいお話しと言い景色このままボーッとしていたいです
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-10 18:19
> jyariko-2さん、それが、その草餅にアンコが入っていたかどうかが思い出せないのです。
感激して食べた人生の草餅だというのに。
Commented by rinrin1345 at 2021-01-10 18:48
そうなんですよ。今年は特に昨日が−15℃今日がマイナス8℃最低気温ですから外にいるわけではないのですが寝ていても違うのです。今日は随分楽と思うのですよ
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-10 21:57
> rinrin1345さん、マイナス15℃!
冷蔵庫よりずっと冷たい、零度なんてポカポカですね。
体にもいろんな影響がでるかも、たいへんですね。
おだいじに!
Commented by otebox at 2021-01-10 22:10
いいお話をありがとうございます。今更ですが「惚れ」ました。
とても真似できないでしょうが心に収めて生きようと思います。
Commented by たま at 2021-01-11 01:21 x
 かまどに据えた大窯に目一杯水を張ってお湯を沸かし、まずはヨモギを湯通しして、次に、そのお湯の一部を石臼に張って余熱しつつ、事前に冷水でといでいたモチ米を2段、3段重ねの蒸篭で吹かし、上部から蒸気が上がったのを合図にして、水気を拭き取った石臼に一番下の蒸篭のモチ米を放り込み、まずは男手2人の杵で押し競まんじゅう、少し粘り気が出たところに茹であげたヨモギを投入し、これからがツキ手(男衆)とアイノ手(女衆)の2人による餅つき本番。正月や冠婚葬祭の餅つきは、家族総出の半日仕事だったかと。
 ちなみに、私は本来右利きでありながら、鍬と杵の持ち方だけはギッチョのため、アイノ手を入れる母の右肩によく杵をぶつけては怒られたものです。
 ちなみに、私の田舎では、草餅は必ず餡子入りの丸餅にて、通常は熟した夏豆(ソラマメ)を使った沪し餡で、(貴重な)小豆を使った粒餡はごく稀だったような・・・。
Commented by noboru-xp at 2021-01-11 05:38
大垣って岐阜県の大垣市ですか?
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-11 09:51
> oteboxさん、身に余る言葉、恐縮です。
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-11 09:53
> たまさん、そうですね。
普通の餅よりはるかに大変な手間をかけるのですね。
イマサラながら感激のし直しです。
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-11 09:54
> noboru-xpさん、そうです。
二度ほど行きました。その一度は葬式でしたが。
Commented by maria-12 at 2021-01-11 10:45

直言するというのは胆力を試されますね。
佐平治さんの生き方の元が草餅だったとは!!
理解してもらったと心から思う人たちに支えられてきたのですね。
草餅を作るのは大変な手間暇かかります。
それでも佐平治さんにもっていきたいというその心意気が伝わってきます。
善き人には善き人たちが集まる。
佐平治さんは、肝が据わっていますね。
ご家族の支えも相当なものです(^_-)-☆

Commented by saheizi-inokori at 2021-01-11 11:27
> maria-12さん、育ち盛りの子どもたちのことを考えなかったわけではありません。
胆力と云うよりそうせざるを得なかったのです。
亡妻には苦労をかけました。
Commented at 2021-01-11 13:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-11 16:33
> 鍵コメさん、ああ、行きたいなあ。
行って、まだあるのなら駅の近くの居酒屋で豚肉のすき焼きを食べたい。
会津の言葉を聞きながら栄川を飲んで。
Commented by tona at 2021-01-12 09:11 x
お酒でも顔は赤くならないけれども(父譲り)、もっと好きなのが餡子(上戸の人に気持ち悪いと言われました)。
昨日餡の中で何が一番私は好きなのだろうかと問われれば、実は草餅なんだと気が付きました。生活クラブ生協のを2回立て続けに注文して昨日もやってきました。
saheiziさんの周りの人の人生のご馳走と時代と状態は違うけれどもひょんなところで合致しました。ピント外れですが。
Commented by saheizi-inokori at 2021-01-12 09:41
> tonaさん、ときどきカミさんが出してくれる草餅でうまいのがある、あれは生活クラブ?生協?
亡き義母が作ってくれたのもうまかったです。
というより八ヶ岳で一緒にヨモギを摘んだことがいい思い出になっています。
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by saheizi-inokori | 2021-01-10 11:48 | 人生の御馳走帖 | Comments(24)

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