新自由主義とAIに対する予言の書 「エレホン」
2021年 01月 09日
歯根の長さを測って警報を鳴らす「歯根管長測定器」の原理を訊いた、日本人の発明だという。
蕎麦屋によって鴨焼きで一杯やりたかったが、我慢してキャロットタワーの「こだわりや」で頼まれた買い物をした。
こういう買い物をしていると、20円の違いをとても大きいものに感じるかと思うと、100円くらいの差なんてどうでもよくなったり、値段に対する物差しが、しょっちゅう狂う。
なんでも高ければ品質も良いとは限らないということも少しわかってきた。
買い物をしていたら、左の股関節あたりが急に脱力したようで痛みも出てくる。
前日も「ザ・ガーデン」で買い物をしていて同様の症状がでて買い物車につかまって歩いた。
店の棚を左右を見て身体をひねることが多いので、そのときにどこかがどうかするのだろう。
というわけで、土曜日の大掃除はトイレなどに絞って中掃除にとどめた。
ルンバも、なんだかつきあうみたいに途中でドックに戻ったりした。
お前も疲れたか。
150年前に書かれた、当時の自由主義経済勃興期のイギリスを風刺したユートピア/ディストピア小説は、同時に「現代の予言書」であり「警告の書」だ。
作者・バトラーは「金儲けのために」ニュージーランドに渡り、雪を頂く美しい大山脈を超える冒険をして「エレホン国」に到着する。
そこに住む人々は奇跡のように美しく、並外れて陽気で、落ち着きや気安さも備えている。
一見理想郷のような国、ところが、この国では病気の人は罰せられる、重ければ重いほど厳しく。
人を騙すとか盗むとかの行為は罰せられず、被害者が罰せられる。
弱い者は滅びて当然の世界なのだ。
どんな病気でも罹患が判明した時点で法的に最大限に厳しく鎮圧されなければならない。
肺結核になった被告は重労働付きの終身刑に処され、情状酌量として毎日ヒマシ油を二杯飲まされる。
不運であることが罪となる。
音楽銀行という公式銀行は世間体を気にする人たちが口座をもっているが、そこでの貯蓄額は社会では全く価値がない(教会のようだ)。
じっさいに通用するのはもう一つの非公式な銀行の貨幣なのだ。
真理、正義、希望や愛を語る公式宗教はあっても、人々が従うのは世間知や世間体の女神の教えである。
子供たちは名門校「屁理屈大学」に行くことについてプレッシャーを与えられる。
その大学は(オクスフォード大学のように)「喜びに満ちた神々しいまでに美しい町」にあり「まったくあり得ない奇妙奇天烈な一連の偶発事勃発を想定し、そこに生じる疑問に知的な回答をさせる」「仮説学」を学ぶのだ。
子供たちが親からひどい目に遭うのは、生まれる前に自ら強く希望して現世に生まれてきたからだ(と信じられている)。
子供たちは生まれると「未生者告白書」に署名する(実際は大人の代理人)。
そこには親の苦労を知りながら生まれることを望んだのだから、現世では親の云うことはなんでも聞くし、全身全霊で仕える、持って生まれた肉体的汚れや欠陥はすべて自分に責任がある、というようなことが書かれている。
エレホン人は従順で我慢強い。理屈を言われるとすぐになびいて常識を犠牲にしてしまう。
そして2020年の暮れから21年の正月にかけて、150年前に出版された本書を読んだ僕がもっとも驚いたのは「機械の書」だった。
エレホン国の人たちは機械や時計を持たないのだ。
それは500年前に書かれた「機械の書」が「人は機械の召使になる」と予言したために、人々はすべての機械を破壊したからだ。
機械の進化のスピードが人間の進化のスピードを上回るからというのだ。
本書に引用される「機械の書」は、機械に「意識」があるのか、人間と機械の違いは何かなど、現代の量子論やさいきん読んだばかりのユヴァル・ノア・ハラリのAIと人間の未来予測に通じる問題提起で、興奮とスリルを感じさせた。
ユーモアもロマンスもある。
良い本を読んで、こいつぁ春から縁起がいいわえ、とちょっとやけっぱちの見栄を切る。
武藤浩史 訳
新潮社
なにげに加島アートが飾られてる歯医者さんを
冬真っ白けのここから拝見させていただき
こいつぁ春から縁起がいいわです~
Saheiziさんの読書のお陰、我が家の会話が弾みます特に夫との会話に幅が広がり、いろいろな面で私の学びの時間が生まれます。
日曜日の午前中、とても良い時間を過ごしましたよ!