ぼやけて見えるから「時」がある 「時間は存在しない」
2020年 11月 25日
それ以外の、たとえばニュートンの力学、アインシュタインの相対性理論の式、量子力学の方程式、素粒子理論の方程式の、どれもが可逆性がある。
時間と熱には深いつながりがある。
時の流れとは低いエントロピーの世界から高いエントロピーの世界への流れだ。
しかし、その熱とかエントロピーという概念、過去のエントロピーの方が低いという見方は、自然を近似的、統計的に記述したときにはじめて生じるものなのだ。
だから、過去と未来の違いは、この近似的、統計的なぼやけ(粗視化)と結びついていて、仮にこの世界の詳細、ミクロなレベルでの正確な状態をすべて考慮に入れることができたら、時間の流れの特徴とされる性質は消えてしまう。
ミクロな記述では、いかなる意味でも過去と未来は違わない。
量子力学では、時計で計った時間も量子化される、つまり時間が粒になる。
粒だから最小の規模があって、時間の最小は「プランク時間」と呼ばれ、相対性や重力や量子が絡む現象の特徴となっているさまざまな定数を組み合わせれば簡単に計算できる。
一秒の一億分の一の10億分の一の10億分の一の10億分の一の10億分の一、つまり10のマイナス44乗秒が、最小の時間。
と言うことは、時間には最小幅が存在して、その値に満たないところでは、時間の概念は存在しない。
神はこの世界を連続的な線で描かず、スーラのように軽いタッチで点描したのだ。
7世紀の神学者・セビリアのイシドール、8世紀にはイングランドの聖職者・ベーダ・ウェネラビリスが、12世紀にはスペイン生まれのユダヤ人哲学者・マイモーンなどが、時間がこれ以上分割できないような「原子」でできているといっている。
プランク時間の空間における姉妹がプランク長で、約10のマイナス33センチメートルの長さである。
筆者は、大学時代、この極端に小さな規模でいったい何が起きるのか、という問いに夢中になった。
それを理解することを、自分の目標にすると決意、時間や空間がそのありようを変える極小規模の世界、基本的な量子の世界に降りたときに、いったい何が起きるのか、以来今日までずっと、この目標を達成しようと努めてきた、という。
僕も若いころ、光速を超える乗り物で地球を飛び立って、地球を振り返れば、飛び立つ前の自分の姿が見えるのかなどという、誰しも考えそうな夢想にふけったけれど、それは酒飲み談義に終わってしまった。
本書に出てくる「拡張された現在」の考えへのヒントが隠されていたのになあ。
時間が存在しない世界で時間に追われて時間を楽しみ時間を恐れて生きている。
その仕組みも明かされるのだが、なかなか要約して紹介するのは難しい。
読んでいるときに、なんとなく「ここが肝だ」と思って付箋をつけると、その先も「肝」で付箋、付箋だらけになってしまう。
付箋をつけたところを書いてみようとすると、もっとその前後を読み直さなければならなくなって、読み過ごしていた大事な記述を発見したりもする。
そのうち、ブログに書くのを忘れてもう一度読みふけっている。
それでも理解したとはとうてい言い切れない(当り前だ)。
それでも面白いのはどういうわけなのだろう。
相変わらず難しくて理解できませんが、「0」を考え出した人の事が頭に浮かびました。無いものはただ「無」のはずなのにそれを目に見えるようにした人がいた。今は0は普通に使われていて、0が無い社会は考えられなくなっている、この記事の内容はいずれ誰もが普通で当然でと思うようになるんでしょうかね。
お恥ずかしい…_| ̄|○
「時間」に触れて書いてしまうとは
こんなこともあり得るとしても
「時間」がまるで別物のように
大雑把と緻密を際立たせてしまいました
そんなこととは露知らず
アンドロメタほどの距離感で
100年に1秒の狂いは
宇宙ロケットの乗りっぱなしみたいと
アインシュタインがかすかに
頭をよぎったのも不思議です(笑)
毎日のように知的好奇心を埋めて
いただきながら楽しんでいます 多謝
saheizi
私もまいにち職人技の世界を見せていただきありがとうございます。