先生は「アイタア」と叫んで頭を両手で抱えたのであった 「地の群れ」&「藤枝静男随筆集」
2020年 10月 24日
もう土曜日、6時に起きて大掃除、網戸もちょっと拭いた。
洗濯と掃除と病院通いと買い物、それに読書の毎日がいつまで続くのか。
その読書、昨日は「地の群れ」所収の目玉作品「地の群れ」を読み終わった。 「四月長崎花の町、八月長崎灰の町、十月カラスが死にまする。正月障子が破れはて、三月淋しい母の墓」アメリカの飛行機が撒いたビラの文句をつなぎあわせた手毬唄。
長崎の被ばく後、被爆者は後遺症に怯える。
十歳のとき、被爆した女の子は、ほとんどメンスがなく、しかも出血しはじめると大量に二週間もつづき、意識を失うほどの激痛に絶え間なく襲われる。
その子が死んだ後、父親は
被爆直後、家族を探して浦上に戻ったことは二か月後といい替えられるのに、その頃お腹にもいなかった娘は血が止まらない。
人間の作った差別に人間たちが苦しむ。
差別が生まれる契機をつくった人たちが、被差別の人々の対立と憎悪を必要としているのか。
コロナで世界が変わった、たしかに。
しかし、考えて見れば原爆とフクシマでとっくに世界は変わっていなければならなかったのではないのか。
スガさんよ、「前例を踏襲することなく」核兵器禁止条約の50番目の署名国にならないかい、国民の理解を得られるどころか世界の拍手を浴びることは間違いないぞ。 ずしんと重たい小説を読んで、つづけて最後の「鬼池心中」を読む気が起きなかったので、藤枝静男の随筆集を読んだ。
「青春愚談」、軽妙平易な筆致であるが、青春の愚かさが包み隠さず描かれていてじつに面白い。
浪人時代に志賀直哉の家を単身訪れて、あたかも書生のように遠慮なく家族とも付き合う様など、時代も違うが藤枝の器量、志賀直哉や小林秀雄の器量の大きさも大したもんだ。
八高の親友、平野謙と本多秋五と三人で奈良の鷺池の上、頭塔の森の近くのススキの原にテントを張って三泊する。
交番の木村さんという若い巡査が、親切に便所や洗面所を貸してくれる。
奈良に住む、志賀直哉が見に来て筵や毛布を探して貸してくれたり、奥さんや子供たちを引き連れて見学にきたり、逆に三人が志賀邸を訪れると、「満足気に私たちを眺めて」いろいろ質問したり、結婚してすぐに赤城山に山小屋を作って住んだ思い出などを回想し「僕もいつか紀州あたりの山に家族を連れてって原始生活をやってみたいと思ってるんだ」と語るのだった。
「少年時代のこと」に、藤枝で小学校を出た後、東京池袋の成蹊実務学校に進んだことが語られる。
人格教育を施すスパルタ式学校、役に立つ人間をつくる、徹底した自力主義の学校だが、藤枝は優等生にはならなかったことをユーモラスに回想している。
それをいうなら、井上光晴「地の群れ」を世に出した坂本一亀や、それを教えてくれた田邉園子にも感謝を忘れてはならないな。
洗濯と掃除と病院通いと買い物、それに読書の毎日がいつまで続くのか。
その読書、昨日は「地の群れ」所収の目玉作品「地の群れ」を読み終わった。
長崎の被ばく後、被爆者は後遺症に怯える。
十歳のとき、被爆した女の子は、ほとんどメンスがなく、しかも出血しはじめると大量に二週間もつづき、意識を失うほどの激痛に絶え間なく襲われる。
その子が死んだ後、父親は
看護婦さんになりたいといいくらしていてねえ、あの子は。看護婦さんになれば自分の痛みがとめられると本気でそう思いこんでいたんですよ。そいでも、もうみんな駄目になってしもうてねえ。あの子が痛い痛いというても注射も打ってやれん。あの子がのたうち廻っとる時は、いっそあの時一ぺんに死んでしもうとったら、父さんもお前も楽でよかったなあというて、一緒に泣いたことも何べんもあったとですよ。(中略)被爆者であることが知れると、嫁にいけなくなる。
もう、地獄地獄と思うて生きてきとりましたが、やっぱり、たった一人こうして残されてみると、どんなに痛いというて泣き叫んでも、生きとってくれたほうがどんなによかったかねえ、、
被爆直後、家族を探して浦上に戻ったことは二か月後といい替えられるのに、その頃お腹にもいなかった娘は血が止まらない。
あたし達がエタなら、あんた達は血の止まらんエタたいね。あたし達の部落の血はどこも変わらんけど、あんた達の血は中身から腐って、これから何代も何代もつづいていくとよ。ピカドン部落のもんといわれて嫁にもゆけん、嫁もとれん、、被差別部落、来日朝鮮人、炭坑離職者、なぜお互いに差別し合うのか。
人間の作った差別に人間たちが苦しむ。
差別が生まれる契機をつくった人たちが、被差別の人々の対立と憎悪を必要としているのか。
コロナで世界が変わった、たしかに。
しかし、考えて見れば原爆とフクシマでとっくに世界は変わっていなければならなかったのではないのか。
スガさんよ、「前例を踏襲することなく」核兵器禁止条約の50番目の署名国にならないかい、国民の理解を得られるどころか世界の拍手を浴びることは間違いないぞ。
「青春愚談」、軽妙平易な筆致であるが、青春の愚かさが包み隠さず描かれていてじつに面白い。
浪人時代に志賀直哉の家を単身訪れて、あたかも書生のように遠慮なく家族とも付き合う様など、時代も違うが藤枝の器量、志賀直哉や小林秀雄の器量の大きさも大したもんだ。
八高の親友、平野謙と本多秋五と三人で奈良の鷺池の上、頭塔の森の近くのススキの原にテントを張って三泊する。
交番の木村さんという若い巡査が、親切に便所や洗面所を貸してくれる。
奈良に住む、志賀直哉が見に来て筵や毛布を探して貸してくれたり、奥さんや子供たちを引き連れて見学にきたり、逆に三人が志賀邸を訪れると、「満足気に私たちを眺めて」いろいろ質問したり、結婚してすぐに赤城山に山小屋を作って住んだ思い出などを回想し「僕もいつか紀州あたりの山に家族を連れてって原始生活をやってみたいと思ってるんだ」と語るのだった。
私は氏(直哉)を訪ねるようになってから、ごく自然に、自分の気持ちのうえのことについて嘘が云えなくなり、割に純粋に正直になり勇気も増してきた。自分に対して純粋であれば氏のような人間になれ、そうでなければあんな人にはなれない、ということを信ずるようになっていた。「地の群れ」で、自分のせいでないのに「出口のない」地獄で生きる人々のことを読んだから、なおのこと、藤枝という人の幸福を感じた。
人格教育を施すスパルタ式学校、役に立つ人間をつくる、徹底した自力主義の学校だが、藤枝は優等生にはならなかったことをユーモラスに回想している。
子供を一人前の人格を持つものとして信用するという学校の善意の方針は、反対に私を、僅かな盗みを働いたことで絶望させた。自力しか信じまいと努力することで、かえって私は自分の意志の弱さと不徹底を思い知った。試肝会や三日間の断食を我慢して通過することによって私は臆病になり劣等感に悩まされた。藤枝が教師にかくれて小説を読むようになったひとつの原因には、そういう弱い人間が生きて行く世界がそこに生き生きと描写されて私を慰めてくれたためということもあったと思われる、と書いている。
私たちは凝念の理想境は無念無想であることを教えられていた。その境地に到達すれば危険が身に迫っても身体は無意識に働いてそれを避けることができるというのであった。藤枝静男を読む気にさせてくれた、笙野頼子に感謝する次第だ。
そしてある凝念の時間に、教頭の落合先生がそれを実験してみせてくれた。眼を閉じて泰然と坐している先生の頭上に四年生の竹刀が打ち下ろされた。狙いはあやまたず、また先生の身体も動かなかった。そして先生は「アイタア」と叫んで頭を両手で抱えたのであった。
それをいうなら、井上光晴「地の群れ」を世に出した坂本一亀や、それを教えてくれた田邉園子にも感謝を忘れてはならないな。
まだ遅くはありません、五十番目の国になるべきです。絶対にならなければならない国です。先頭に立たねければならい国でしたのにね。
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saheizi-inokori at 2020-10-24 13:44
> テイク25さん、せめて50番目というハエある署名をして汚名をソソイデほしいものです。
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りんご
at 2020-10-24 15:49
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saheizi-inokori at 2020-10-24 16:07
> りんごさん、残念無念のアイタアにりそうです。
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okanouegurasi at 2020-10-25 05:07
原爆とフクシマでとっくに世界は変わっていなければならなかったのではないか。>おっつしゃる通りです。世界は>を日本は、に置き換えて、強く同感いたします。
アイタア...が良かったなあ、この先生正直ですね。(笑)
アイタア...が良かったなあ、この先生正直ですね。(笑)
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j-garden-hirasato at 2020-10-25 07:47
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saheizi-inokori at 2020-10-25 10:13
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saheizi-inokori at 2020-10-25 10:14
by saheizi-inokori
| 2020-10-24 11:37
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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