努力、天皇、陸軍、総力戦、「平民派」 「東條英機 「独裁者」を演じた男」
2020年 10月 20日
NTTの口座振替案内を見たら、ぎょぎょっ!25431円!前月の倍、なにかのまちがいじゃないか。
新聞も一紙にしようかと迷っている爺さんはびっくらこいた。
カミさんと検討してみたら、長野にいる小学校の恩師と何回か長電話(途中で同級生の住所を調べたりもして)をしたことが原因のようだ(詳細照会は手続きをしてなかった)。
そういえば、先生と電話しているときに「私のはかけ放題だからこっちからかけたら」とカミさんが言ってたのはそれか。
固定ならもう少し安かったのだろうか。
そもそも貧乏育ちの僕は電話というと、公衆電話の10円玉が消えて行く恐怖が身に染みているから基本電報みたいな電話、長電話をしないし、市外電話なんて滅相もない話だった。
圓歌(前の歌之介)の噺で、大阪に働きに行っている母ちゃんが九州にいる子どもたちの無事を知るために、呼び出し電話をかけて三分以内で話を切り上げる泣かせて笑わせるのがあったな。
呼び出し音が何回で切るという暗号みたいな電話の話も何かで聞いたことがある。
それなのに、いつのまにか、そんなに電話代を恐れることはないという根拠のない思い込みが育っていたのだ。
まあ、懐かしい先生とあれだけ話ができたのだから、止むをえないとしよう。 今の日本の状況が東條が首相になって破滅に突き進んだころとよく似ていると言われ、僕も似たようなことを書いている。
それでいて、あんがい東條のことを学んでいない。
盛岡藩に江戸から招かれた能楽師(元は宝生姓)を祖とする。
英機も剣舞をよくしたという。
父・英教は上京して陸軍大学一期生、秀才の誉が高かったが、旅団長どまり、中将となって予備役に編入される。
上官にも公然と議論を挑むような態度・人柄のせいもあったが、英教は長州閥による恣意的で不公平な人事のせいと取り、遺言で葬儀には親族以外の会葬を拒否、それは長州人の参列を拒否するためであった。
陸軍に生きた英機も長州への憎悪は強く、口にも出していた。
陸軍幼年学校で天皇の絶対的存在であることを叩き込まれる。
陸大を二回失敗したのち、合格。
東條は長州でもなく貴族や富裕階級とも無縁、ひたすら父の教え「努力即権威」の価値観を絶対視する「平民派」、その頃出現した新中間層であった。
帝大出のようなインテリとは反りが合わなかった。
この頃、第一次護憲運動があり、桂内閣が倒され陸軍の二個師団増設、軍部大臣現役武官制の廃止に追い込まれる。
すなわち
陸大を56名中11番で卒業、近衛歩兵第三連隊中隊長を経て、独逸駐在、そこで第一次大戦における総力戦の実態を学ぶ。
とうじ欧州出張中の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次と会合し、(長州閥廃止と)陸軍改革を話し合う。
この4人の集まりがのちの陸軍の派閥抗争の発端となった。
総力戦、すなわち「政戦両略の一致」のために、国民を味方につける。
外地で資源を獲得し、陸軍という”お家”の権威と存在意義を高めること。
それが東條生涯の目標となっていく。(つづく)
新聞も一紙にしようかと迷っている爺さんはびっくらこいた。
カミさんと検討してみたら、長野にいる小学校の恩師と何回か長電話(途中で同級生の住所を調べたりもして)をしたことが原因のようだ(詳細照会は手続きをしてなかった)。
そういえば、先生と電話しているときに「私のはかけ放題だからこっちからかけたら」とカミさんが言ってたのはそれか。
固定ならもう少し安かったのだろうか。
そもそも貧乏育ちの僕は電話というと、公衆電話の10円玉が消えて行く恐怖が身に染みているから基本電報みたいな電話、長電話をしないし、市外電話なんて滅相もない話だった。
圓歌(前の歌之介)の噺で、大阪に働きに行っている母ちゃんが九州にいる子どもたちの無事を知るために、呼び出し電話をかけて三分以内で話を切り上げる泣かせて笑わせるのがあったな。
呼び出し音が何回で切るという暗号みたいな電話の話も何かで聞いたことがある。
それなのに、いつのまにか、そんなに電話代を恐れることはないという根拠のない思い込みが育っていたのだ。
まあ、懐かしい先生とあれだけ話ができたのだから、止むをえないとしよう。
それでいて、あんがい東條のことを学んでいない。
盛岡藩に江戸から招かれた能楽師(元は宝生姓)を祖とする。
英機も剣舞をよくしたという。
父・英教は上京して陸軍大学一期生、秀才の誉が高かったが、旅団長どまり、中将となって予備役に編入される。
上官にも公然と議論を挑むような態度・人柄のせいもあったが、英教は長州閥による恣意的で不公平な人事のせいと取り、遺言で葬儀には親族以外の会葬を拒否、それは長州人の参列を拒否するためであった。
陸軍に生きた英機も長州への憎悪は強く、口にも出していた。
陸軍幼年学校で天皇の絶対的存在であることを叩き込まれる。
陸大を二回失敗したのち、合格。
東條は長州でもなく貴族や富裕階級とも無縁、ひたすら父の教え「努力即権威」の価値観を絶対視する「平民派」、その頃出現した新中間層であった。
帝大出のようなインテリとは反りが合わなかった。
この頃、第一次護憲運動があり、桂内閣が倒され陸軍の二個師団増設、軍部大臣現役武官制の廃止に追い込まれる。
すなわち
東條英機が軍人としての歩みをはじめたのが、民衆の力や動向を無視した政治が困難となっていた時期に当たり、陸軍が、軍備を維持するためには、自らの存在意義を社会に向けて訴えていくことが必要になった時代であった。
陸大を56名中11番で卒業、近衛歩兵第三連隊中隊長を経て、独逸駐在、そこで第一次大戦における総力戦の実態を学ぶ。
とうじ欧州出張中の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次と会合し、(長州閥廃止と)陸軍改革を話し合う。
この4人の集まりがのちの陸軍の派閥抗争の発端となった。
総力戦、すなわち「政戦両略の一致」のために、国民を味方につける。
外地で資源を獲得し、陸軍という”お家”の権威と存在意義を高めること。
それが東條生涯の目標となっていく。(つづく)
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unburro at 2020-10-20 12:51
「インテリと反りが合わなかった」
って、スガと同様ですね…
知性や学術を貶める政権が、戦争をする、ということですね。
(つづく)が、うれしい、楽しみです。
甘粕正彦との関係なども書かれているのでしょうか。
って、スガと同様ですね…
知性や学術を貶める政権が、戦争をする、ということですね。
(つづく)が、うれしい、楽しみです。
甘粕正彦との関係なども書かれているのでしょうか。
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saheizi-inokori at 2020-10-20 12:59
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Deko
at 2020-10-20 16:11
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ぎょぎょぎょですね。奥様の言われたようにすれば良かったですね。男性陣は長電話はしないのでかけ放題ではないのでしょうね。友人は私の携帯電話は何分ですよと言いますので此方からかけなおします。かけ放題使わないと無駄ですね。
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calligraphy_m at 2020-10-20 16:18
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saheizi-inokori at 2020-10-20 16:54
> Dekoさん、節約に落とし穴がありました。
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saheizi-inokori at 2020-10-20 16:57
by saheizi-inokori
| 2020-10-20 12:36
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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