あの野蛮で狡猾な血が僕にもか! 「わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史」
2020年 10月 04日
やはり起きるときの痛さはひどい、倒れこむようにしてトイレに座ったが、痛みが出てから排泄も別人になったようで、今朝はあきらめて未遂のまま退場。
家事をしなくてラクチンなんて言ったので罰が当たったのか、家事をやれる幸せを痛感する。
顔を洗うのに一苦労、髭剃りもやらず、肩で息をして坐っていると、つくづく用無しになったなあ、と情けない。
悪いこともたくさんしたけれど、それでも一生懸命生きてきて、さいごがこうなるとは。
コロナに加えてブログには書いていない、もっと辛い悩みを二つと言わず抱えて、身動きすら自由にならないのだ。
サンチがやってきて膝に座って手を舐めてくれた。
子供の頃の日曜日、新聞配達から帰って、仕事が休みの母といっしょに又寝をして、朝飯兼昼飯。
メリケン粉とキャベツ、サクラエビに紅ショウガのお好み焼きを焼いた楽しさを思い出す。
想えばあのころの我が人生はきらきら輝いていたなあ。
これは愉快な本ではない。だが、歴史はつねに何らかのかたちをとって、現在にしのびこんでいるものである。おそらく、これを読む者は、アメリカ・インディアンが過去にどういう存在であったかを知ることにより、その現在の姿について、もっとはっきりした理解を得ることであろう。アメリカの神話の中で残忍な野蛮人として類型化されてきたインディアンの口から、筋の通った穏やかな言葉が語られるのを聞いて、人はあるいは驚きにうたれるかもしれない。また、真の自然保護論者であったこれらの人びとから、自分たちと大地との関わりについて何ごとかを教えられるかもしれない。インディアンたちは、生命が大地およびその資源と等しいものだということ、またアメリカが一つの楽園であったということを知っていた。そして彼らは、東方からの侵入者たちが、アメリカそのものであると同時に、インディアンのものでもあったすべてのものをなぜ破壊してしまおうとするのか、どうしても理解しかねたのである。1970年四月の日付で書かれた、筆者・ディ-・ブラウンのはしがきである。
アンドリュー・ジャクソン大統領が「永遠のインディアン国境」と保証した法律だって「東部のインディアンに対する約束不履行の実例の長いリスト」にさらに一例をつけ加えるだけだった。
その法律が施行されるまでに国境線を西に動かしてしまう始末。
ワシントンの政策立案者たちは「明白な宿命(マニフェスト・デスティニー)」という考えをひねり出して、領土拡張熱を至上の高みに引き上げた。
「礼儀正しく、非の打ちどころのない態度」でコロンブスを迎えたインディアンは、白人たちの「恩を仇で返す」千倍万倍にして返す残虐さによって、南北戦争の始まる1860年には二分の一から三分の一に減少していた。
約束はないものとして、何が何でも自分の土地を離れて遠い保留地に行け、行かなければ殺す、女子供は奴隷に売り飛ばす、交渉に応じないと長年育ててきた見事な桃の畑を無残に破壊する。
表紙の写真↑のナヴァホ族を亡ぼす白人のやり方は、読むのがつらい。
BSフジで加藤官房長官が驚きの発言。今回任命されなかった6名は「拒否したのではなくて、総合的俯瞰的観点から活動して頂くということで、…今回任命された人を任命させて頂いた」。いやいや、それは拒否って言うんですよ。不誠実で下手なごはん論法ですね。#日本学術会議への人事介入に抗議する pic.twitter.com/uVTVffLhlk
— Ikuo Gonoï (@gonoi) October 1, 2020
トランプを持ち出さなくても、菅やアベ、およびそれに群がる者どもの卑劣にして獰猛なやり方をみれば、日本人にも、あのインディアンを死に追いやった白人にも似た野蛮な血が流れていることを思い知らされる。
弱者に対して嘘をつくこと、否、嘘にも至らない意味不明なタワゴトをくっちゃべること、をまったく意に介さず、「やっつけろ!」という野蛮な連中の血が!
日本人として自分を戒めないと読みました
「そんなことしてたら じっきに鉄板が頭に落ちてくる」
中学で聞いた先生の声も思い出しました
早朝の新聞配達の少年。。 ご苦労さまでした
痛みだけでも楽になれる方法があればよいのに…。
このぐらい重なると何でこんな思いをして生きているのかと、私も思ったことがあるのですが、親からもらった命ですからこの考えを否定しました。
この本興味があります。