津田三蔵という「テロリスト」のこと 「湖の南 大津事件異聞」

きのうは、家事も半分くらいにして、いちにち寝転がって本を読んでいた。
酒もやめて、早めに薬を飲んで寝たら7時間以上、たっぷり眠れた。
曇り空も晴れ間がのぞき二回目の洗濯物を干す。
ストレッチもちゃんとやる。

僕はせせこましい性格だから、「ながら」族なのだ。
ゴミ出しや新聞取りに下に降りるときはエレベーターの壁に手をついて腕立て伏せをする。
ゴミを出した帰りには、肩をぐるぐる回す。
洗面ボールにお湯を貯める間は、大きな口をあいて誤嚥防止体操をしながら、かかと落としをする。
洗濯機から取り出した洗濯物を運ぶ時は腕の筋トレをしながら歩く。
片手づつ20回以上はやるのだ。
目薬を差す時はボールに座って上半身のストレッチをする。
ニュースを見ながら、ストレッチをしながら、舌や口の体操もする。
舌の体操だけをすることなんてできやしないし、ストレッチだけやるのも面倒、なにか「ながら」があってやる気になれる。

音楽を聴きながら、煎餅を食いながらブログを書いている。
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大津事件、明治24年(1891)5月11日、来日したロシア皇太子に、大津の巡査・津田三蔵(36歳)が斬りつけた。
恐露病ということばがあったほど、強大国ロシアの動向に新興日本の政府や国民は戦々恐々としていた。
皇太子・ニコライはウラジオストクにおけるシベリア鉄道の起工式に出席する途中の東方旅行で、七艘の軍艦を率いて日本に寄ったのだが、日本の実情・地理をスパイしていくのではないかなどと報じる向きもあった。
事件を受けて政府は、ロシアの怒りを恐れ、犯人津田を死刑にせよと迫るが、児島惟謙(これかた)大審院長は頑としてきかず、国法の定め通り無期徒刑とした。
憲法発布(1889)まもないなかで、司法権の独立を守った人として児島の名前は学校でも教わった。

教わらなかったのは、津田三蔵という人が、どんな生い立ちで、どういう暮らしをして、どういう考えでそんな刃傷に及んだのか。
彼の親や家族はどういう人だったのか。
維新まもない日本の社会は、どんな社会、とくに歴史上に名を遺すような人ではなく、「民衆」「庶民」、もっと言えば歴史に報われない人々はどんな人たちだったのだろう。
そんなことは、教わらなかったし、吉村昭の「ニコライ遭難」にも出てこなかったような気がする。

津田三蔵は津藩の藩医の次男、父親は不祥事を起こして蟄居させられ、三蔵10歳のときに病死する。
13歳で明治維新、16歳で廃藩置県、17歳で歩兵として名古屋鎮台に入営させられたのだ。
家督を相続した兄は身持ちが悪く、三蔵は病気がちの母親の面倒を見なければならないが、休みが取れずに心労が多い。
津藩藩校で漢学教育を受けたけれど、文明開化の学校からも取り残され、外国語学が盛んな金沢で学びたくとも外出が許されるのは短い期間で学ぶには足りない。
時代に取り残されるのではないかという焦りは強いのに、ダメな兄にお説教したり母のことが気になるばかりだ。

休みの取りやすい兵隊でいるためにわざと規則を破って昇進しないようにしているのに、まじめな性格ゆえか伍長になってしまう。
神風連の乱、萩の乱など騒乱が不平士族による激しくなると休暇はますます取れないまま、西南戦争に官軍として参加させられる。
左手に銃創を受けて、やっと戦争から解放される。

三蔵入院中に軍からは慰労として菓子料金3円、侍従長が遣わされ2円50銭を下賜される。
金禄公債として三蔵が受け取ったのは、300円証書一枚、100円証書一枚、10円証書三枚と端金3円96銭5厘は現金で、その利子として15円5銭が年に二度払われることになっていた。
当時の大工の日給が45銭、土方人足が、日給24銭、士族の手にするのは8銭足らずだった。

ようやく兵役から解放された三蔵は、伊賀上野の家に戻り、三重県、滋賀県の巡査になる。
一度やめたり、上司の頭を殴って?首になったりもしている。
滋賀の湖の回りの田舎の駐在所をいくつか転勤して、その間13歳年下(当時16歳)の亀尾と結婚したが、別居が多く、生まれた娘がすぐに亡くなったのに葬儀にも出られず、事件を起こしたときは、三上山(近江富士)のふもとの三上村駐在所勤務だった。
月俸が一円あがって「大僥倖」と喜んだのは9円、そのなかから母と妻に仕送りする。
千戸から7百戸の受け持ち戸数を月一度は調査したり、営業者への臨検、前科者の視察月三回(その周密周到なること!)、盗難の実況上申書など犯罪捜査、それらに不都合があれば徴罪を食う、という激務をこなしていた。
寒空の立番はさぞかし辛かったと思う。

こんな調子で、だらだら、書いたのは、富岡の文章を読んでいるうちに、津田三蔵がいとおしくなってきたからだ。
こんな事件を起こさなければ歴史にも名を遺さず、普通の市民として死んでいっただろう三蔵。
家族のことを思い、自らの先に希望のないことをうつむいて耐えている、人との付き合いが苦手な男、三蔵に声をかけたくなるような気がしたからだ。

事件のことなど、追って。
Commented by doremi730 at 2020-08-31 18:58
ながらで色々なさって、器用ですね~!
昔から、ながらが出来ない不器用モノなもんで
羨ましい!
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-31 21:55
> doremi730さん、きようはランチは納豆を食べながらパソコンをやってました。
Commented by okanouegurasi at 2020-08-31 23:08
ながら族です!
人物を、どうあれ活き活きと描く才能の持ち主が作家さんですね。昔、柴田遼太郎が描く坂本龍馬に胸をあつくしたことがあるけれど。(笑)
津田三蔵を検索して読みました。

Commented by saheizi-inokori at 2020-09-01 06:07
> okanouegurasiさん、彼女は司馬遼太郎の描く津田三蔵に異議申し立てをしています。
もっと津田を読み込んでいるのです。
Commented by tona at 2020-09-04 11:39 x
「ながら」族、気に入りました。
私もさらに精進を続けたいと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2020-09-04 12:12
> tonaさんも「ながら」ですか。
ながらのつもりではないのに、いつのまにか別のことも手出ししている場合があります。
これはボケです。
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by saheizi-inokori | 2020-08-31 13:27 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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