玉の井というユートピア 「荷風と東京 『断腸亭日乗』私註」
2020年 08月 24日
資源ゴミを出して、東京新聞の雲助の記事を居残り会のラインに送るとき、もたもたしてしまった。
洗濯ものを干そうとして、外を見たら音もなく、かなりの雨が降っている。
もたもたがなければ干したばっかりだったはず、悪いことの後には良いこともあるね。
もう降らないだろうねと、青空に念を押して、二回の洗濯物を干しまくった。
(吉原大門交差点、左は見返り柳 東京新聞)
洗濯ものを干そうとして、外を見たら音もなく、かなりの雨が降っている。
もたもたがなければ干したばっかりだったはず、悪いことの後には良いこともあるね。
もう降らないだろうねと、青空に念を押して、二回の洗濯物を干しまくった。
雲助の「私の東京物語」(東京新聞)は、吉原の話。
噺家たちがいかにも吉原を体験したような話しぶりをするので、自分の年と比べて不思議に思うことがあるが、雲助も、良く落語ファンの方から、吉原はどんな様子だったかと訊かれるそうで、売防法施行のときに10歳だったから、いくらおませでも女郎買いは無理です、と書いている。
それでも「勉強のために」吉原に行って、旅館になっていた大見世に泊まったりしたそうだ。
雲助より五つ年上の僕の子供のころ、信濃吉田という最寄駅から家に歩いて帰ると、通りに面してその種の店が何軒かあって、店の前に女性たちが縁台に座ったり立ったりして客待ちをしている。
たまに「坊や遊んでいかない」などと誘われたが、意味が分からず、足を速めて通り過ぎた。
母と近所のおばさんにその話をして「あの女の人たち、なにしてるの?」と訊いたら、顔を見合わせて笑って答えなかったことを覚えている。
売防法に備えて廃業した店が読売新聞販売店になって、そこで働いたときは小学校5年だったか、もううすうす真相を知っていた。
阿漕な店主で、その店をやめて朝日新聞の販売店に移ったら、とてもやさしくて、それで朝日ファンになったのかもしれない(今は、その朝日も嫌になって毎日に変えたけれど)。
昨日は、久しぶりに「荷風と東京」(川本三郎)を読んだ。
「私娼というひかげの花」「ある夜の女」「墨東の隠れ里―玉の井」「陋巷での安らぎ」「『墨東奇譚』と「寺島町奇譚』」を続けて読んだ。
浅草から追い出された「汚くて、臭くて、みすぼらしい、およそ美というもののない」私娼窟に荷風は通いつめる。
(「墨東奇譚」挿し絵「玉の井の土手」、上は木村荘八、下は私家版の荷風撮影写真)
噺家たちがいかにも吉原を体験したような話しぶりをするので、自分の年と比べて不思議に思うことがあるが、雲助も、良く落語ファンの方から、吉原はどんな様子だったかと訊かれるそうで、売防法施行のときに10歳だったから、いくらおませでも女郎買いは無理です、と書いている。
それでも「勉強のために」吉原に行って、旅館になっていた大見世に泊まったりしたそうだ。
雲助より五つ年上の僕の子供のころ、信濃吉田という最寄駅から家に歩いて帰ると、通りに面してその種の店が何軒かあって、店の前に女性たちが縁台に座ったり立ったりして客待ちをしている。
たまに「坊や遊んでいかない」などと誘われたが、意味が分からず、足を速めて通り過ぎた。
母と近所のおばさんにその話をして「あの女の人たち、なにしてるの?」と訊いたら、顔を見合わせて笑って答えなかったことを覚えている。
売防法に備えて廃業した店が読売新聞販売店になって、そこで働いたときは小学校5年だったか、もううすうす真相を知っていた。
阿漕な店主で、その店をやめて朝日新聞の販売店に移ったら、とてもやさしくて、それで朝日ファンになったのかもしれない(今は、その朝日も嫌になって毎日に変えたけれど)。
「私娼というひかげの花」「ある夜の女」「墨東の隠れ里―玉の井」「陋巷での安らぎ」「『墨東奇譚』と「寺島町奇譚』」を続けて読んだ。
浅草から追い出された「汚くて、臭くて、みすぼらしい、およそ美というもののない」私娼窟に荷風は通いつめる。
東京の奥へ、奥へと隠れ場所を探し続けた荷風が、ようやく見つけた玉の井には「陰湿な、うらぶれた、それから安っぽい色彩のもつ悪徳のムードと、その地帯をとりまく昔ながらの江戸の風情を残している隅田川周辺の風物、ここに扼殺し切れない荷風の中の叙情詩人とつながるところがある。
荷風の現実脱出の心情ともつながる」(吉行淳之介)。
ここを舞台に私娼お雪との交渉を描いた名作(といっても子供の頃に読んだだけだからもう忘れてしまった)『墨東奇譚』の「わたくし」は、玉の井に行くときは、古ズボンに古下駄、髪には櫛を入れず、煙草は必ずバットと身をやつし、変装する。
そして玉の井から家に帰ると、顔を洗い髪を掻直し、香をたく。
それは、現実から、夢の世界、幻影の町に入って行くための儀式なのだ。
荷風にとって玉の井はあくまで夢の町、ユートピアである、と川本は強調する。
『墨東奇譚』は恋愛小説ではなくて、荷風のユートピアを描いた隠れ里探求譚で、ヒロイン「お雪」は夢の女、「ミューズ」なのだとも。
(玉の井で育った、滝田ゆうの「旧玉の井停車場跡」「私家版昭和迷走絵図」より)
荷風の現実脱出の心情ともつながる」(吉行淳之介)。
ここを舞台に私娼お雪との交渉を描いた名作(といっても子供の頃に読んだだけだからもう忘れてしまった)『墨東奇譚』の「わたくし」は、玉の井に行くときは、古ズボンに古下駄、髪には櫛を入れず、煙草は必ずバットと身をやつし、変装する。
そして玉の井から家に帰ると、顔を洗い髪を掻直し、香をたく。
それは、現実から、夢の世界、幻影の町に入って行くための儀式なのだ。
荷風にとって玉の井はあくまで夢の町、ユートピアである、と川本は強調する。
『墨東奇譚』は恋愛小説ではなくて、荷風のユートピアを描いた隠れ里探求譚で、ヒロイン「お雪」は夢の女、「ミューズ」なのだとも。
一般に狷介孤高と思われている荷風が、玉の井の家で別人のようにくつろいでいる。女にも心易く扱われている。いっしょに白玉を食べたり、女の身の上話を聞いたり、女に頼まれて留守番をしたりしている。いかにも荷風は楽しそうだ。この家では荷風は、ただ物好きな老人と親しまれていたのだろう。女の抱え主から玉の井の町の様子なども聞いている。まるで一家の一人のような扱われ方だ。「衰残、憔悴、零落、失敗。これほど深く自分の心を動かすものはない。暴風(あらし)に吹きおとされた泥まみれの花びらは、朝日の光に咲きかける蕾の花よりもどれほど美しく見えるだろう」(荷風・「曇天」)と書いた荷風の敗残趣味が、生き生きとよみがえっている。
玉の井には、行ったことがない。
膝の具合いがよくなって、コロナも許してくれるなら、何も亡くなった後でもいいから、玉の井を歩いてみたい。
『墨東奇譚』『寺島の記』滝田ゆうの『寺島町奇譚』も読んでからだな。
僕にも少し敗残趣味みたいなものがあるのだ。
膝の具合いがよくなって、コロナも許してくれるなら、何も亡くなった後でもいいから、玉の井を歩いてみたい。
『墨東奇譚』『寺島の記』滝田ゆうの『寺島町奇譚』も読んでからだな。
僕にも少し敗残趣味みたいなものがあるのだ。
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at 2020-08-24 21:03
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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saheizi-inokori at 2020-08-24 22:23
> 鍵コメさん、そうですね。
ありがとう。
ありがとう。
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j-garden-hirasato at 2020-08-25 07:09
「坊や遊んでいかない」
ある意味、大らかな時代でしたね。
ある意味、大らかな時代でしたね。
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rinrin1345 at 2020-08-25 08:23
描く人が違うと全然雰囲気が違いますね。それが面白いのですけど
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saheizi-inokori at 2020-08-25 09:37
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saheizi-inokori at 2020-08-25 09:39
by saheizi-inokori
| 2020-08-24 12:25
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
Comments(6)