楽しくよませる雲助の「私の東京物語」@東京新聞

今朝は暑さがちょっとゆるんでさわやかといってもよい。
窓を大きく開けた。
もっとも8時過ぎには閉めて冷房だ。
楽しくよませる雲助の「私の東京物語」@東京新聞_e0016828_11423629.jpg
食器洗い、水が気持ちいいのだが、指先にキズができて痛い。
夜は手袋をはめて洗うのだが、朝とか昼、ときどきの茶碗やコップなどは面倒だから素手で洗ってしまう。
一回づつはわずかなようだが、一日となると結構な量を洗う。
そのときも洗剤を使うこともあって、老人のヤワなお肌にキズができるのだ。

立っている時間が長くなると夜には膝が痛くなる。
口の中の違和感がある日は、ふがふがする。
ふがふがしていると唾がたまって、涎が垂れることもある。
やれやれ、なのだ。
楽しくよませる雲助の「私の東京物語」@東京新聞_e0016828_11441469.jpg
東京新聞の「私の東京物語」、こんかいは五街道雲助だ。
こういう連載は意識して必ず読むということはないけれど、こんどは待ちかねるように読んで切り抜いたりしている。
切り抜いてどうするでもないのだが。
居残り会のメンバーと会わなくなってずいぶんだが、グループのラインはまいにちにぎやかに通信しあっている。
僕は読む専門にちかいのだが、たまに茶々を入れる。
その茶々で、この連載のことを知らせたら、まいにち記事を送ってたもれ、とのご下命があった。

全10回と紙数が限られているせいもあるのだろう、くだくだしい話がなく、生れた本所割下水のことを「文七元結」の話や志ん生のなめくじ長屋のことなどを引きながら軽妙に語って、あたかも志ん生の落語を聴くかのごとくだ。
阿部昭が『短編小説礼讃』で、志ん生の「文七元結」の一節を引いて、極上の短編を読むようだと、その省略の妙を褒めていたことも髣髴する。
きょうで4回目だが、とつぜん「本所以外で馴染みになった土地は弟子入りした十代目金原亭馬生の住まいのある日暮里でした」とあって、落語家になった動機とかユクタテなどはないのだ。

馬生が、毎朝10時ごろ「手水を終えて神棚にお灯明をあげます」、お手水、切り火、べらぼうに酒癖の悪い旦那、百匁の豚カツ、などの言葉も楽しい。
馬生はお灯明を上げた後、座卓の前に座って、一升瓶からちびりと飲み始めると料理上手のおかみさんがちょっとした肴を小鉢に作り、少し酔いが回ると藤の枕でその場でとろとろと寝てしまい、昼下がりに「風呂をたてておくれ」、さっぱりしたら、またちびり。
寄席に出る時は、おかみさんが切り火を切って、住み込みの弟子(雲助たち)も一斉に「行ってらっしゃまし」。
雲助は、その粋と気楽さに憧れたという(僕もだ)。
楽しくよませる雲助の「私の東京物語」@東京新聞_e0016828_12015951.jpg
(娘の池波志乃と中尾彬の結婚会見、馬生宅で)

第三回には、子供のころ連れて行ってもらった浅草のことが書いてあって、国際劇場のSKDのレビューの幕間(まくあい)に、まだ朝太という名前の志ん朝が出て「欠伸指南」を演っていたという。

それで思い出したのが、中学の修学旅行で国際劇場に行ったこと。
「アトミックガール!」とかなんとか大声で叫び脚を上げる、その足が脇からみているとピタッとそろっていて、なんともカッコイイとぶったまげた。


幕間には映画で、伴淳三郎の出る「糞尿譚」だったと思う。
火野葦平が芥川賞を受賞した作品が原作でクサイ映画だった。

修学旅行では、宿泊した宿に東京の親戚が面会に来てもいいことになっていて、本郷の機山館に伯母が大学生の従兄ときてくれた。
面会と言っても、玄関で立ち話じゃなかったかと思う。
そのころ、母が内職で毛糸のネクタイを織っていたので、それを二三本、従兄にお土産に持って行って渡したら、その場で開いて見て、あまり嬉しそうにしなかったのが悲しかった。
東京に親戚がいて、会いに来てくれるのは、友達にたいして自慢でもあったのだ。

Commented by pallet-sorairo at 2020-08-19 16:35
saheiziさん、修学旅行で国際劇場のラインダンス見たんですか@@!
いやはや時代を感じますねぇ(^^ゞ
そういえば子どものころ、修学旅行で東京へやってきた親戚の誰彼に会いに
両親に連れられて宿泊先へ行ったことがあったの思い出しました。
>その場で開いて見て、あまり嬉しそうにしなかったのが悲しかった。
悲しいですね、なんだか涙が出てきちゃいました。
Commented at 2020-08-19 18:19
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by jyariko-2 at 2020-08-19 18:26
寄席にはコロナで行かれなくなってしまったのですか
他の能や狂言も Saheiziさんに穴が開いてしまった
のではないかと思っていたのです
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-19 18:57
> pallet-sorairoさん、榮太樓の梅干し飴をお土産に上野の松坂屋で買いました。
江ノ島もみたのです。東大の構内も。
ほかにどこに行ったか思い出せないです。二泊だったかなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-19 18:58
> 鍵コメさん、ありがとう。
元気というわけにはいかないけれどがんばっていますよ。
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-19 19:02
> jyariko-2さん、買い物と病院と近所の散歩以外は引きこもり中です。
昨日のように、久しぶりの病院にいって帰りに外食すると気晴らしになりましたよ。
松本の写真をみてがまんがまん。
Commented by doremi730 at 2020-08-20 00:55
「私の東京物語」五街道雲助さんの記事を楽しく拝見し
もっと読みたくて、ネット検索して、いろいろと前の
記事を読めました。ありがとうございます。
山本寛斎さんの「私の東京物語」も追悼で載っていて
楽しめました♪
Commented by maru33340 at 2020-08-20 05:19
馬生さんのエピソード良いですね。
何だかその姿が目に見えるようです。
Commented by at 2020-08-20 06:43 x
馬生のおかみさんのつくる小鉢の肴、どんなものだったんでしょう?
そこで思い出したのが、中尾さんが「アレ食べたい」というと、志乃さんがさっと作って供するという話です。
二代続いた家の習いなんでしょう。

>牡丹散って
美学者、矢張り画家なんですねぇ。
Commented by j-garden-hirasato at 2020-08-20 07:04
東京でも、朝はエアコンなしで過ごせますか。
長野でも、朝晩はずいぶん過ごしやすくなりました。
夜に窓全開では、少し寒いくらいです。
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-20 09:36
> doremi730さん、ネットに載っていましたか。
他の人のは、ときどきツマミ読みするくらいですが、雲助はさいしょに読む記事になりました。
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-20 09:37
> maru33340さん、蕎麦屋にいた馬生を思い浮かべながら読みました。
けさの志ん生と文楽の印象も面白いですよ。
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-20 09:40
> 福さん、できたカミさん、ということですね。
志ん生のカミさんもそうでした、きっと。
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-20 09:43
> j-garden-hirasatoさん、起きるとガラス戸を大きくあけて朝の空気を取り込みながら、洗濯や掃除をします。
ほんとに90分ほどのわずかな時間、すぐエアコンをつけないと大変です。
長野にいたころ、軒の物干しにご飯の残りをつるして冷蔵庫の代わりにしました。
朝晩涼しいのが魅力ですね。
Commented by ikuohasegawa at 2020-08-20 10:00
修学旅行の泊まりが本郷だったことを思い出しました。
あの頃は、本郷にそういう宿が幾つもあったようですね。
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-20 12:36
> ikuohasegawaさん、今も機山館はあるようです、ホテルになって。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2020-08-19 11:55 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31