孤独と共同の二重性 与謝蕪村@「日本精神史」
2020年 08月 18日
けさは循環器内科、まいつきの検診が半年空いた。
五時起きで洗濯などして病院に着いて、診察カードを出そうと思ったら、ない!
きのう念をいれて、これだけ取り出しておいたのだが、入れておいたはずのパス入れにない。
さては、また?とマジ青くなったが、深呼吸してトートのなかをもう一度探したら、セカンドバッグの脇のポケットにちやんといてくれた、よしよし。
受け付け番号は一番!いい気分。
採血後、空きっ腹をみたすべくコンビニで、お握りでもと思いしが、ふと魔がさして「サラダ巻き」なるものを買ってしまう。
空腹のあまり、内容のチェックをしなかったら、まずいマヨネーズとうまくないハムが入っていて、とてもマズイ。
空腹でもマズイ、サラダや海苔巻きが好きなのにマズイ。
がまんして食べたが、朝早くから働いて、血を抜かれて、自分のカネで、なんでこんな試練に遇わなければならないのかと、二秒間熟慮して、二個残した。
爆発しないように検査と自粛の強化だ。
いつもバランスのとれた食事をしているのに、、運動不足?それともアレか。
昼飯は用賀シェルイで「海鮮サラダ定食」、こんどはうまい。
マヨネーズもうまい。ザマミロ。
今回は「第32章 南画とその周辺―池大雅と与謝蕪村」。
本書は江戸時代末期までだから、あと三章を残すところまで、やってきた。
少しづつ過ぎるなあ。
上巻の「はじめに」に長谷川はこう書いている。
精神とはなにか。「人間が生きる力と生きる姿が精神」、その「人間」のなかには僕個人も含まれるはずで、後世のもう一人の長谷川が、今の時代について精神史を書く時は、その一要素を構成するのだ。
あえて定義づければ、人間が自然とともに生き、社会のなかに生きていく、その生きる力と生きる姿が精神だ。精神は一人の人間のうちにも、もっと大きな集団や共同体のうちにも見てとれるが、さまざまな精神の連続と変化のさまを一つの大きな流れとして縄文時代から江戸時代の終わりまでたどること、それが、わたしの設定した課題だった。政治の歴史や社会の歴史にぴったり重なるのではなく、その基底にあって政治や社会の動きとは異なるリズム、異なるテンポをもって接続し変化していく人びとの意志と心情と観念の歴史をとらえたかった。
そう思えば、もう少ししゃんとしなければいけないね。
江戸時代の260年は、絵画にかんしていえば、系統の異なるさまざまな流派が出現し、共存し、覇を競う時代だった。室町末からつづく狩野派は江戸時代でも将軍家の御用絵師として大きな勢力を張り、その周辺に土佐派、そこから分かれた住吉派や新しい題材に取り組む風俗画家たちがいて、そこに俵屋宗達を祖とする装飾画の流れが参入、江戸中期には尾形光琳、後期には酒井抱一、鈴木基一、中国の南宋画に学んだ南画や丸山応挙の明快・清新な写生画、西洋風の透視的な洋風画、さらに浮世絵などが現れた。
多くの流派が並び立てば、当然のこと、そこに相互影響が生まれる。画風に変化が生じる。新機軸があらわれる。そうやって、既成の流派が対立、融合、変化、消長をくりかえすのが江戸後期の絵画史だった。そのなかで、絵の作り手と受け手がしだいに拡大し、絵画は文学と並んで上流階層だけでなく普通の人びとの楽しめるものとなった。
中国の詩人・李漁がおのれの別荘伊園を題材に、隠遁生活にどんな便宜があるかを謳った20篇の詩をもとに、大雅が「十便帖」を蕪村が「十宜帖」を描いたのだ。
「十便帖」のひとつが上に挙げた「釣便図」だ。
十の便とは、田を耕す、水を汲む、洗濯をする、畑に水をやる、釣りをする、詩を吟ずる、農を課する、樵をする、夜のしたくをする、眺める。
農を課す、というのは、農をやれというような意味なのだろうが、調べてみると、李漁の詩では、美しい田園を見ていて農作業をしなければならないと思うけれど、疲れてその気にならない、読書三昧に耽ってはいけないのか、というような意味だ。
サボって本を読む快楽にも便利だということなら、異議なし。
蕪村の「十宜」とは、春、夏、秋、冬、暁、晩、晴、風、陰、雨のそれぞれが宜しいということ。
川端康成は「十便帖」を見て家を買うのをあきらめてこれを蒐集、今は川端康成記念館に収蔵されているという。
池大雅は、大らかな画風であるが、京都北山の農家の子に生まれ、幼くして父を亡くし、母とともに画扇を売って生計を立てた。
趣味で絵を嗜む文人ではなかった。
にもかかわらず、十便図は大らかなユーモアをたたえ、人びとの老後の暮らしに温かい眼差しを注いでいる。
蕪村は大雅より7年早く生まれて七年遅く68歳で亡くなっている。
「十宜帖」の蕪村は56歳、49歳の大雅の老成に対して実直な若さを感じさせる。
大雅の絵はその大らかさとのびやかさに画家のしあわせがうかがえるが、蕪村のしあわせは、絵の静けさのうちにうかがうことができるように思う。「雪夜万家図」のむこうには孤独のうちに筆を進める老画家のすがたが思い浮かぶが、孤独な蕪村の心には寂しさだけでなく、人びとの暮らしを思いやる温かな空気もまた流れていたと思う。と書き、晩年の傑作「鴉図」(左)について、その、とくに雪片の描写を「驚くべき構想力と技巧」と評し、二羽の鴉を次のように読むのだ。
俳句や書簡に見る蕪村は、俳友その他との人間関係において、孤独を受けいれつつ友を求め、人とのつながりを信じつつ孤独を噛みしめるといったところがあるが、その心情が二羽の鴉のたたずまいに映し出されているかに思える。寄りそう二羽は、寒さと雪にたいしてまずはそれに耐えるしかない。実際、それぞれが足を踏んばり、体を固くして耐えている。しかし、寄りそって二言三言ことばを交わし、意志の疎通を図ることで、寒さと雪に共同で耐えてもいる。自立しているようでつながり、つながっているようで自立しているのが、二羽の関係のありようだ。「静かに構想ゆたかに受けいれる」、僕はバタバタとなんとかかんとか、しょうがなしに受けいれようとしている。
それが人間ならぬ鳥の関係として表現されるがゆえに、自立とつながり、孤独と共同の二重性がかえってよく見えてくる。(略)
そのような人間関係の象徴として二羽のすがたをとらえる蕪村は、画家としても俳人としても生活者としても、人間関係に潜む、自立とつながり、孤独と共同の二重性を、静かに構想ゆたかに受けいれる境地にあったと思われる。
それが蕪村の老境だった。
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tsunojirushi at 2020-08-18 13:25
日曜にふくのわ(これは用賀エコプラザにあるのです)に服を持ってゆき、暑くて倒れそうになって駆け込んだのがシェ・リュイでした。
おんなじ場所に佐平次さまが^_^
おんなじ場所に佐平次さまが^_^
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saheizi-inokori at 2020-08-18 15:13
> tsunojirushiさん、下の段が満員で、上のいちばん奥に座りました。
たまには別のカフェを探したいと思ってもあの暑さでは、バス停から直行でした。あのビルはドコモでスマホの充電もできるので便利、我が家とはバスでドアツードア、本屋があればいうことなしなんですがね。
たまには別のカフェを探したいと思ってもあの暑さでは、バス停から直行でした。あのビルはドコモでスマホの充電もできるので便利、我が家とはバスでドアツードア、本屋があればいうことなしなんですがね。
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koro49 at 2020-08-18 16:59
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saheizi-inokori at 2020-08-18 17:38
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kogotokoubei at 2020-08-18 19:15
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りんご
at 2020-08-18 19:49
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こんどはうまい。マヨネーズもうまい ザマミロ。
ふふ saheiziさんファン多しの理由ここにも
後世のもう一人の長谷川が今の時代について精神史を書く時
=そうか 名もない私も 背筋をのばして歩き続ける
確かな仕事がありますね やっほ-。
ふふ saheiziさんファン多しの理由ここにも
後世のもう一人の長谷川が今の時代について精神史を書く時
=そうか 名もない私も 背筋をのばして歩き続ける
確かな仕事がありますね やっほ-。
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saheizi-inokori at 2020-08-18 22:42
> kogotokoubeiさん、そうだったのですね。読みましょう。
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saheizi-inokori at 2020-08-18 22:49
> りんごさん、芥川賞の「首里の馬」の主人公も似たようなことを考えていましたよ。
彼女は単にそういうことで、少し人間を好きになるのですが。
彼女は単にそういうことで、少し人間を好きになるのですが。
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福
at 2020-08-19 06:46
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saheizi-inokori at 2020-08-19 09:35
> 福さん、「牡丹散って打ちかさなりぬ二三片」の句を長谷川は、写生句というより「場景を美しい世界へと構成したもの」と評しています。
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ikuohasegawa at 2020-08-20 09:54
日本精神史、思い出しました。
まだ上巻の後半を・・・ゆるりとまいります。
まだ上巻の後半を・・・ゆるりとまいります。
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tona
at 2020-08-20 10:45
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与謝蕪村と池大雅、芭蕉よりゆるくて、心がゆったりします。
コレステロールの値は女性ならこれでOKで立派なものなんですが。
手の傷(私は植木ばさみで指を深く切りました・・バカです)た、膝、涎など全部当てはまって頷きました。虫刺されで10か所を掻いて傷だらけ、まあ、他にも日替わりで珍現象が起きて、死ぬまでどれだけ闘うのか興味が出てきたところであります。
コレステロールの値は女性ならこれでOKで立派なものなんですが。
手の傷(私は植木ばさみで指を深く切りました・・バカです)た、膝、涎など全部当てはまって頷きました。虫刺されで10か所を掻いて傷だらけ、まあ、他にも日替わりで珍現象が起きて、死ぬまでどれだけ闘うのか興味が出てきたところであります。
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saheizi-inokori at 2020-08-20 12:34
> ikuohasegawaさん、お暑う御座います、ごゆるりと。
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saheizi-inokori at 2020-08-20 12:37
> tonaさん、そうかあ、興味をもって戦う、大事なところですね。
by saheizi-inokori
| 2020-08-18 12:56
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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