縁なき衆生の敗戦記念日
2020年 08月 15日
少しのんびりとすることを覚えようと(イマサラ)、昨日の午後はテレビで古い映画を観た。
放映中のものを録画して、少し遅れてから見たのだ。
そういうことをするのは初めてだったので、とちゅうでコマーシャルを早送りすると、ちょうどいいところで映画に戻るのがうまくいかなかったり、とんでもないところに移動したりしてイラつく、どこがのんびりだ。
それでも、こういうふうにどうでもいいような、スナイパーの物語を見ているのも悪くはない、と思った。
願わくは、吹替でなく字幕で見たかったけれど。
さぼる快感とでもいうか。
そもそも本を読んでいればサボっていない、と思う(感じる)のは、どういうことなのか。
レコードを聴くことを覚えて買ったレコードはクラシックのみ、LPは手が出なかった。
社会人になって、転勤旅費がでたときに、思い切ってハリー・ベラフォンテのコンサートのLPを買った。
ぜいたくをしたようで嬉しかったが、ちょっと堕落したような気持にもなった。
友人たちが若いころから、いろんなジャンルのレコードとか、映画とか、演劇とか、僕には手が届かなかった楽しみに親しんでいることを知ると、僕はいかにも朴念仁だなあと思うことがある。
せっかく、そういう楽しみを知ったと思ったら、コロナやナニやかやだ。
しょせん縁なき衆生でありしか。
早寝をして、良く寝て4時ごろトイレに起きたが、また寝ができた。
顔の具合が変なので鏡をみたら、むくんでいる。
二日間、冷房の部屋でよく眠れたから、いままでの疲れが浮き出してきたのかもしれない。
ベランダの鉢の面倒をみるのを忘れていたことに気づいて、なんどもキッチンと往復してジョロで水やりをした。
鉢は、かけてもかけてもガブガブと水を飲みこんで、オリーブや名前も知らない植物たち、腹を壊さなければいいのだが。
(去年の今日撮った写真)
遅い朝飯を食いながらテレビを見ていたら、ハンサムで優しそうな若い男が料理を作っていて、女性のアナウンサー?がいろいろ尋ねている。
どういう父親になりたいか?「家族のみんなが気持ちよく暮らしていく、その仲介役になりたい」、仲介役といったか、あやふやだが、そんなようなことを当たり前の顔をしていうのだ。
若いころには想像もつかない世の中になってしまった。
とはいうものの、僕がどんな父親になりたいと思っていたかといえば、そんな明確な考えをもっていたわけではなくて、ある意味では自分勝手に生きていたのだから、こういうふうに自分の役割をしっかり自覚している人は「えらい」のかもしれない。
「黙ってオレについてこい」というほどの「オレ」でもなかったし後姿は貧相だったろう。
今日は亡妻の命日、きょねん早めに27回忌の食事会をしておいて、ほんとによかったと思う。
年賀状いがいに行き来が途絶えている亡妻の姉弟や、慕ってくれた甥や姪も集まってくれたのだ。
放映中のものを録画して、少し遅れてから見たのだ。
そういうことをするのは初めてだったので、とちゅうでコマーシャルを早送りすると、ちょうどいいところで映画に戻るのがうまくいかなかったり、とんでもないところに移動したりしてイラつく、どこがのんびりだ。
それでも、こういうふうにどうでもいいような、スナイパーの物語を見ているのも悪くはない、と思った。
願わくは、吹替でなく字幕で見たかったけれど。
さぼる快感とでもいうか。
そもそも本を読んでいればサボっていない、と思う(感じる)のは、どういうことなのか。
レコードを聴くことを覚えて買ったレコードはクラシックのみ、LPは手が出なかった。
社会人になって、転勤旅費がでたときに、思い切ってハリー・ベラフォンテのコンサートのLPを買った。
ぜいたくをしたようで嬉しかったが、ちょっと堕落したような気持にもなった。
友人たちが若いころから、いろんなジャンルのレコードとか、映画とか、演劇とか、僕には手が届かなかった楽しみに親しんでいることを知ると、僕はいかにも朴念仁だなあと思うことがある。
せっかく、そういう楽しみを知ったと思ったら、コロナやナニやかやだ。
しょせん縁なき衆生でありしか。
早寝をして、良く寝て4時ごろトイレに起きたが、また寝ができた。
顔の具合が変なので鏡をみたら、むくんでいる。
二日間、冷房の部屋でよく眠れたから、いままでの疲れが浮き出してきたのかもしれない。
ベランダの鉢の面倒をみるのを忘れていたことに気づいて、なんどもキッチンと往復してジョロで水やりをした。
鉢は、かけてもかけてもガブガブと水を飲みこんで、オリーブや名前も知らない植物たち、腹を壊さなければいいのだが。
遅い朝飯を食いながらテレビを見ていたら、ハンサムで優しそうな若い男が料理を作っていて、女性のアナウンサー?がいろいろ尋ねている。
どういう父親になりたいか?「家族のみんなが気持ちよく暮らしていく、その仲介役になりたい」、仲介役といったか、あやふやだが、そんなようなことを当たり前の顔をしていうのだ。
若いころには想像もつかない世の中になってしまった。
とはいうものの、僕がどんな父親になりたいと思っていたかといえば、そんな明確な考えをもっていたわけではなくて、ある意味では自分勝手に生きていたのだから、こういうふうに自分の役割をしっかり自覚している人は「えらい」のかもしれない。
「黙ってオレについてこい」というほどの「オレ」でもなかったし後姿は貧相だったろう。
今日は亡妻の命日、きょねん早めに27回忌の食事会をしておいて、ほんとによかったと思う。
年賀状いがいに行き来が途絶えている亡妻の姉弟や、慕ってくれた甥や姪も集まってくれたのだ。
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りんご
at 2020-08-15 17:02
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「けふ正午に重大放送 国民必ず厳粛に聴取せよ」
=1945年8月15日午前.朝日新聞号外特報
厳粛に聴取にせよ? 読んでて猛烈に腹が立ちました
謝罪も学習も無い コロナ戦を思いぞっとしました
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saheizi-inokori at 2020-08-15 20:28
> りんごさん、相似形ですね。
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okanouegurasi at 2020-08-16 05:50
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ikuohasegawa at 2020-08-16 06:11
卒業する先輩からもらったステレオコンポのチューナー(のみ)とヘッドホン。それが私の学生時代の音源でした。
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saheizi-inokori at 2020-08-16 10:30
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saheizi-inokori at 2020-08-16 10:31
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j-garden-hirasato at 2020-08-16 11:22
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Deko
at 2020-08-16 11:35
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こんにちわ
お暑うございます。ちょっと庭に出ても汗がだらだら。。。子供たちの世代はそのようになりつつありますね。そうなんですか。逝ってしまわれてから27年経つのですね。若い頃は親がいなくなるなどとはゆめゆめ思いもしませんでした。この年になると多くの別れが最近では人それぞれ持って生まれた寿命なのでは。大正生まれの叔母は今もホームに。。。自分の意思表示が出来元気であっという間が希望です。
お暑うございます。ちょっと庭に出ても汗がだらだら。。。子供たちの世代はそのようになりつつありますね。そうなんですか。逝ってしまわれてから27年経つのですね。若い頃は親がいなくなるなどとはゆめゆめ思いもしませんでした。この年になると多くの別れが最近では人それぞれ持って生まれた寿命なのでは。大正生まれの叔母は今もホームに。。。自分の意思表示が出来元気であっという間が希望です。
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kogotokoubei at 2020-08-16 12:46
仲介役、ですか。なれほど。それはそれで、立派かもしれませんね。私も家では、かみさんと犬のユウとの仲介役かもしれませんし、契約社員で管理職を離れた会社も、そういう役回りかもしれません。つなぎ役も、結構大変です。
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saheizi-inokori at 2020-08-16 13:44
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saheizi-inokori at 2020-08-16 13:45
> Dekoさん、平和がいちばん、でも危ないかなあ。
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saheizi-inokori at 2020-08-16 13:46
> kogotokoubeiさん、つなぎ役はいちばん大変かもしれませんね。
by saheizi-inokori
| 2020-08-15 11:48
| よしなしごと
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Comments(12)