わくわくする三題噺 「首里の馬」(高山羽根子)
2020年 08月 08日
枕もとの温度計は30度近い、暑くても頭以外はきちんとタオルケットをかけていないと眠れないから、なおさら暑いのだ。
去年までは扇風機をソフトで二時間くらいのタイマーで寝ていたのに、今年はいちどエアコンを使ったらもうだらしがなくなってしまった。
心身ともにぐっすり眠ることと無縁になっている。
このマンションを建てた建築士(マンションの売り主でもある)が下に住んでいるから、こういうときは相談に乗ってもらう。
僕が口をきくと安くなる、とおっしゃるけれど、対応が遅いのとほんとに安いのかとも思う。
もう半年くらいになるのに、まだ見積もりがこない。
もっとも、懐具合の方は、「我慢できるだけ我慢せよ」というのだ。
我慢したっていつかは取り替えなければならないのに。
落語を聴いても二度寝ができなくなって、文藝春秋の芥川賞受賞作品「首里の馬」を読み終えると、4時前、もういちどしゃにむに目をつむって米朝をきく。
ウトウトしながら5時を過ごし6時を過ごし、30分後に起き上がる。
昨日の夜は、「あすは大儀だから、掃除は日曜日に延ばす」と宣言したけれど、延ばしてもやらなければならないことに違いはない。
隠居して暦に縛られない暮らしだが、日曜日は掃除の行き届いた朝をゆったりと迎えたいという気持ちがあるのだ。
大汗をかいたらかいたなりに、少し気が晴れた。
『沖縄及島嶼資料館』という私設の資料館のことが語られ、そこで無給でインデックスカードの整理と確認をしている未名子という孤独な女性が主人公だ。
資料館を作った順(より)さんが、この建物に興味を示した変わり者の中学生・未名子に中に入ってもいいといって、小さな人骨の欠片を掌に載せてくれた。
人間というものに興味を持てないと思い込んでいた、未名子は、順さんの集めた資料を見ることで、
現在自分のまわりにいる人たちも、いつしか古代の欠片、新しい人たちの足もとの、ほんの一粒になれるのだと思えたら、自分は案外人間というものが好きなのかもしれないと考えることができた。未名子が生計を立てている仕事はとても不思議な馬鹿々々しいような仕事だ。
「あまり人間のことを知らない別の知性体が、地球の人間が働いている場所というのはこんなものだろうと見よう見まねで作り上げたような」個室で、たった一人で古ぼけたパソコンを操って、宇宙のどこかにいる知性溢れる男性、南極の深海にいる美しい女、シエルターの中で生き延びることを求められている男に、三つの単語からなるクイズを出して、若干の雑談をするのだ。
問題というのは、たとえば「小さな男の子、太った男。―そしてイワンは何に?」というようなもので、この答えは「皇帝」。
とまあ、こんなふうに紹介してもちっとも要領をえない。
読んでいても要領を得ないのだが、奇妙な馬鹿々々しいような話がリアリステイックに書いてあって、その作る世界がこれからどう展開して、それぞれが結びついていくのか、わくわくする楽しみがある。
まして双子台風の合間に、未名子の家の庭に宮古馬が迷い込んでくるにおいておや。
「鴨川、波、造形の影響は、何者へ?」「北斎」みたいに「沖縄資料館、不思議なクイズ、宮古馬」の答えが待ち遠しい。
きのう買い物の帰りに文春を買ってカフエで読みだしたときに、帰らなければいけない時間と、残ったページの厚みを天秤にかけながら、なんとかして読み終えないかと先を急いだ。
自分が分からないものやことに拒否反応を示す人々への抗議、孤独である者へのまなざし、沖縄の風土・歴史、痕跡を残すことの意味、細部に対する驚きと共感、、いろんなことがあちこちで語られて、それぞれ頷けるし面白い(ユーモラス)のだが、全体としてどういうこっちゃ?という気分も残る。
小説でなければ描けない世界を楽しめばいいのだろう。
それにしても眠いなあ(小説が面白かったからだ)。
何だか訳はわからないけどとても面白かったです。
少し落語に通じるものがありますね。