「火山島」の人たちに会えた 「満月の下の赤い海」(金石範)
2020年 06月 27日
けさは大掃除に疲れてしまって、ストレッチをせずにすぐに朝食、インゲンをフライパンに投げ込んで、卵をポンと割入れて塩コショウ、少しして、ああ、そうだ、と水を少々いれて蓋をする。
そのアンバイがよかったのだろう。
インゲンの柔らかさがちょうどよくて、こりゃあ、プロ並みだ。
はあちゃんが、ママが仕事から帰ってくる前に、カボチャを自分で買って、裏ごししてスープを作っておいたという。
僕にもはあちゃんの血が流れているのかもしれない。 (保育園の玄関に貼ってあったのだが、お日さまの役割は何になるのだろう)
きのうは、すばる7月号に載っている金石範の「満月の下の赤い海」を読んだ。
冒頭は幻想的で美しさのなかに禍々しさを感じさせる詩のような文章で始まる。
済州島で舞う巫女と、鴉、椿、海底、沈没船、羊水のようにぬめりまといつく海、腐っていない死者の群れが、海面に向かって舞い上がる。
金石範自身の「海の底から、地の底から」からの引用か。
在日で、実業家の父親から日本に帰化せよと迫られて母親とともに抵抗している35歳の女性が76歳の金石範と思われる作家と食事をする。
女性の母親は、虐殺の島・済州島の海女だったが、四・三事件当時、政府討伐軍に陸路を断たれたゲリラ間のレポの役を夜の海を泳いでやりとげた、と人から聞いたが、本人は一切四・三事件については話さなかった。
言葉も人格も朝鮮と日本に分割されてしまったようなディアスポラである在日朝鮮人であることが、在日二世のアイデンティティの不確かさ・悲哀を強いる。
母国語・ウリ・マㇽこそ、ウリ・ナラ(母国)の内化すべきことばなのに、日本語のほうが自然に血となり肉となって口をついて出てくる。
韓国伝統舞踊を習うと、民族的なもの、自分の存在を作った生命の根源の何かに触れるような気がして、自分をしめつけることばからの自由を感じる。
そんな女性と老作家は、ビールを呷り、強い枸杞子酒を啜り、ホルモン鍋をつつき、アメリカならエスニシティの問題で済むのに、日本で帰化することは、神の国、日本人、日本民族に同化しなければならないということ、それについての嫌悪などについて語り、済州島の沖にあるという幻の島・イオドについても語る。 小説家は、「満月の下の赤い海」という小説を完成させる。
この小説のほとんどが、その小説なのだ。
2016年の11月に読み始めて、2017年の8月に読み終えた全7巻の「火山島」(原爆忌に読み終えた 金石範「火山島」Ⅶ )。
もとはといえば、津村佑子と韓国作家・申京淑の「山のある家井戸のある家 東京ソウル往復書簡」に出てくる小説だった。
島民のほとんどが虐殺されたという島の物語、金石範もその済州島の出身だと聞いて、読み始めたのだった。
おそらくスリルにとんだゲリラ戦の様子とか残虐なテロや戦闘場面が多いのだろうと思ったら、そうではなくて7巻の最期まで四・三事件は起きないのだ。
済州島の両班の家庭に生まれたエリート・李芳根が主人公で、彼の友人である農民や学生が、日本占領時代に育ち、(日本から)解放後、どのように希望をもち、再びアメリカと親日勢力によって、苦しんで生きていくかを、こまごまとソウルや大阪などの光景を交えながら描いていくのだ。
どうして四・三事件が起きなければならなかったまでで、超長大小説は終わっていた。
思いもかけなかったが、この「満月の下の赤い海」は、「火山島」のその後を描いている。
1948年4月3日の午前二時半、武装蜂起を知らせる銃声を待つ李芳根が描かれる。
こんどは、李芳根の家の下女であったブオギが主人公で、彼女は帰ってこない李芳根を探してハルラ山の麓まで歩き、拳銃自殺し鴉に目玉を食われた若旦那の遺体をみつけて号泣する。
李芳根は、ゲリラ討伐戦が終息状態になりアメリカ軍をバックにした軍警の虐殺も終わろうとしているときに自殺した。
ゲリラに加わらなかったが、支援し、親戚の警察の幹部を殺してもいた。
島に平穏が戻ったかと見えたが、1950年6月、六・二五(ユギオ・朝鮮戦争)が勃発すると、ただちに非常戒厳令が布かれ、“アカ狩り”としょうして六・二五直後だけでも二千余名が逮捕され、そのほとんどが殺される。
そのなかで、(証拠を残さないために)全裸にした男女250名づつ合計500名が、満月の夜に10台のトラックに乗せられて、山地港の、旧魚船まで運ばれ、タラップを足を乱しながら必死に上らされて、裸の群像に加わる。
用意された岩石をロープで一人一人に括り付けて、沖まで運ばれ船が戻って来たのは、夜の九時半ごろ、二時間半から三時間の”作業””だったと、ブオギはトラック運転手の一人から聞き出すのだ。
やがて、すでにそれまでも血にそまっていた済州島が、夜の海の色が、ぶくぶく泡を吹くようで、月光に赤く照り返すのだった。
はるか沖あいのうねる海の上に点々と白く光っているのは、白い鴎の群れ、鴎が鮫に食いちぎられた人間の軀の肉片を、、、。
懐かしい李芳根に再会できたと思ったら、すぐに死んじまいやがった。
南承之やでんぼう爺などのその後も知ることができた。(「火山島」に出てくる人びと)
70年前の出来事だ。
済州島の空港の滑走路の下には虐殺された島民の骨が敷き詰められているから、そこに降りる飛行機には乗りたくないという金石範は、まもなく95歳。
済州島・朝鮮の悲劇を書き遺したいという強い一念を感じる。
相変わらず、食う場面も健在だ。
「火山島」はグルメ小説だ 金石範「火山島」Ⅲ&中村一成「ルポ 思想としての朝鮮籍」
そのアンバイがよかったのだろう。
インゲンの柔らかさがちょうどよくて、こりゃあ、プロ並みだ。
はあちゃんが、ママが仕事から帰ってくる前に、カボチャを自分で買って、裏ごししてスープを作っておいたという。
僕にもはあちゃんの血が流れているのかもしれない。
きのうは、すばる7月号に載っている金石範の「満月の下の赤い海」を読んだ。
冒頭は幻想的で美しさのなかに禍々しさを感じさせる詩のような文章で始まる。
済州島で舞う巫女と、鴉、椿、海底、沈没船、羊水のようにぬめりまといつく海、腐っていない死者の群れが、海面に向かって舞い上がる。
金石範自身の「海の底から、地の底から」からの引用か。
在日で、実業家の父親から日本に帰化せよと迫られて母親とともに抵抗している35歳の女性が76歳の金石範と思われる作家と食事をする。
女性の母親は、虐殺の島・済州島の海女だったが、四・三事件当時、政府討伐軍に陸路を断たれたゲリラ間のレポの役を夜の海を泳いでやりとげた、と人から聞いたが、本人は一切四・三事件については話さなかった。
言葉も人格も朝鮮と日本に分割されてしまったようなディアスポラである在日朝鮮人であることが、在日二世のアイデンティティの不確かさ・悲哀を強いる。
母国語・ウリ・マㇽこそ、ウリ・ナラ(母国)の内化すべきことばなのに、日本語のほうが自然に血となり肉となって口をついて出てくる。
韓国伝統舞踊を習うと、民族的なもの、自分の存在を作った生命の根源の何かに触れるような気がして、自分をしめつけることばからの自由を感じる。
そんな女性と老作家は、ビールを呷り、強い枸杞子酒を啜り、ホルモン鍋をつつき、アメリカならエスニシティの問題で済むのに、日本で帰化することは、神の国、日本人、日本民族に同化しなければならないということ、それについての嫌悪などについて語り、済州島の沖にあるという幻の島・イオドについても語る。
この小説のほとんどが、その小説なのだ。
2016年の11月に読み始めて、2017年の8月に読み終えた全7巻の「火山島」(原爆忌に読み終えた 金石範「火山島」Ⅶ )。
もとはといえば、津村佑子と韓国作家・申京淑の「山のある家井戸のある家 東京ソウル往復書簡」に出てくる小説だった。
島民のほとんどが虐殺されたという島の物語、金石範もその済州島の出身だと聞いて、読み始めたのだった。
おそらくスリルにとんだゲリラ戦の様子とか残虐なテロや戦闘場面が多いのだろうと思ったら、そうではなくて7巻の最期まで四・三事件は起きないのだ。
済州島の両班の家庭に生まれたエリート・李芳根が主人公で、彼の友人である農民や学生が、日本占領時代に育ち、(日本から)解放後、どのように希望をもち、再びアメリカと親日勢力によって、苦しんで生きていくかを、こまごまとソウルや大阪などの光景を交えながら描いていくのだ。
どうして四・三事件が起きなければならなかったまでで、超長大小説は終わっていた。
思いもかけなかったが、この「満月の下の赤い海」は、「火山島」のその後を描いている。
1948年4月3日の午前二時半、武装蜂起を知らせる銃声を待つ李芳根が描かれる。
こんどは、李芳根の家の下女であったブオギが主人公で、彼女は帰ってこない李芳根を探してハルラ山の麓まで歩き、拳銃自殺し鴉に目玉を食われた若旦那の遺体をみつけて号泣する。
李芳根は、ゲリラ討伐戦が終息状態になりアメリカ軍をバックにした軍警の虐殺も終わろうとしているときに自殺した。
ゲリラに加わらなかったが、支援し、親戚の警察の幹部を殺してもいた。
島に平穏が戻ったかと見えたが、1950年6月、六・二五(ユギオ・朝鮮戦争)が勃発すると、ただちに非常戒厳令が布かれ、“アカ狩り”としょうして六・二五直後だけでも二千余名が逮捕され、そのほとんどが殺される。
そのなかで、(証拠を残さないために)全裸にした男女250名づつ合計500名が、満月の夜に10台のトラックに乗せられて、山地港の、旧魚船まで運ばれ、タラップを足を乱しながら必死に上らされて、裸の群像に加わる。
用意された岩石をロープで一人一人に括り付けて、沖まで運ばれ船が戻って来たのは、夜の九時半ごろ、二時間半から三時間の”作業””だったと、ブオギはトラック運転手の一人から聞き出すのだ。
やがて、すでにそれまでも血にそまっていた済州島が、夜の海の色が、ぶくぶく泡を吹くようで、月光に赤く照り返すのだった。
はるか沖あいのうねる海の上に点々と白く光っているのは、白い鴎の群れ、鴎が鮫に食いちぎられた人間の軀の肉片を、、、。
懐かしい李芳根に再会できたと思ったら、すぐに死んじまいやがった。
南承之やでんぼう爺などのその後も知ることができた。(「火山島」に出てくる人びと)
70年前の出来事だ。
済州島の空港の滑走路の下には虐殺された島民の骨が敷き詰められているから、そこに降りる飛行機には乗りたくないという金石範は、まもなく95歳。
済州島・朝鮮の悲劇を書き遺したいという強い一念を感じる。
相変わらず、食う場面も健在だ。
「火山島」はグルメ小説だ 金石範「火山島」Ⅲ&中村一成「ルポ 思想としての朝鮮籍」
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ppjunction at 2020-06-27 15:23
昔「にあんちゃん」と言う韓国籍の10代の少女が書いた小説があったのですが、私も10代の頃に読んで初めて日本に居る韓国人の事情を知りました。
この作者の家族も済州島からの難民だそうです。
島を脱出して九州の炭鉱で、子供だけで働きながら生きながらえたのでしょうけど、とんでもない衝撃的な時代でした。
このお兄さんは後に帰化し、僧侶になられたと聞きましたがー。
この作者の家族も済州島からの難民だそうです。
島を脱出して九州の炭鉱で、子供だけで働きながら生きながらえたのでしょうけど、とんでもない衝撃的な時代でした。
このお兄さんは後に帰化し、僧侶になられたと聞きましたがー。
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saheizi-inokori at 2020-06-27 15:59
> ppjunctionさん、にあんちゃん、私も読んだ覚えがあります。
10年以前によく通った韓国料理のお店のママは済州島の人でした。
うまかったなあ。
済州島はその不幸な生い立ちから、日本に脱出する人が多いのだそうです。
4.3事件のときもずいぶん密出国しています。
10年以前によく通った韓国料理のお店のママは済州島の人でした。
うまかったなあ。
済州島はその不幸な生い立ちから、日本に脱出する人が多いのだそうです。
4.3事件のときもずいぶん密出国しています。
「火山島」を図書館で借りたのに字が小さくて老眼には辛すぎて諦めました。もっと若い時に知っていれば…と悔しく思ったものです。せめてその後が書かれているという新しい小説を読みたく思いすばる7月号を注文しました。
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saheizi-inokori at 2020-06-27 18:26
> テイク25さん、そうなんです、小さい活字で二段、読みごたえは内容だけでなく物理的にもありました。
しかし読み通させる力のある小説で、読んでよかったと思います。
神聖喜劇といい勝負、でも神聖は二度読みましたが、火山島をもういちどは無理なあ。
しかし読み通させる力のある小説で、読んでよかったと思います。
神聖喜劇といい勝負、でも神聖は二度読みましたが、火山島をもういちどは無理なあ。
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りんご
at 2020-06-28 04:39
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「アメリカならエスニシティの問題で済むのに、日本で帰化することは神の国、日本人、日本民族に同化しなければならないということそれについての嫌悪」
うわー 言われている
民族への同化を国籍とトレードする。。! 赤面!
「アメリカならエスニシティの問題で済むのに、日本で帰化することは神の国、日本人、日本民族に同化しなければならないということそれについての嫌悪」
うわー 言われている
民族への同化を国籍とトレードする。。! 赤面!
「アメリカならエスニシティの問題で済むのに日本で帰化することは神の国、日本人、日本民族に同化しなければならないということ、それについての嫌悪」 うわ 深く同情いたします
国籍と同化(圧力)をトレードする国は勧められませんよね
うわー 言われている
民族への同化を国籍とトレードする。。! 赤面!
「アメリカならエスニシティの問題で済むのに、日本で帰化することは神の国、日本人、日本民族に同化しなければならないということそれについての嫌悪」
うわー 言われている
民族への同化を国籍とトレードする。。! 赤面!
「アメリカならエスニシティの問題で済むのに日本で帰化することは神の国、日本人、日本民族に同化しなければならないということ、それについての嫌悪」 うわ 深く同情いたします
国籍と同化(圧力)をトレードする国は勧められませんよね
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saheizi-inokori at 2020-06-28 07:05
> りんごさん、美しい国日本!
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j-garden-hirasato at 2020-06-28 07:38
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saheizi-inokori at 2020-06-28 10:07
> j-garden-hirasatoさん、「雨雨ふれふれ」という歌もありましたよ。
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Deko
at 2020-06-28 19:29
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故郷の同級生にも在日の方があまりそういう意識もなくお付き合いを大人になり色々あったであろうなと思いました。日本に住み生活してゆくうえで何方かを選ばなければならない状況も自分のルーツを大切に生きるのも又生き方ですね。
70年前に大国の事情で2分された北朝鮮韓国同胞は手を取り合えないのでしょうか。
70年前に大国の事情で2分された北朝鮮韓国同胞は手を取り合えないのでしょうか。
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saheizi-inokori at 2020-06-28 21:05
> Dekoさん、同胞が手をとりあえない、それが国際社会なのかもしれないけれど歯がゆいですね。
by saheizi-inokori
| 2020-06-27 12:59
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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