オンライン寄席を見た
2020年 06月 15日
居残り会の皆さんがオンライン寄席を見ては、ラインやブログで面白そうに報告がある。
こう見えても僕は家にいるとけっこう忙しいので家でまで寄席を聴く時間がないのだが、考えて見たらYOUTUBEだから、ぜんぶ続けて見る必要もない。
鈴本の、はじめは五月上席、ちょっと退屈したのでこんげつ13日分に切り換えて、アイパッドで再生してみた。
僕は集中力が不足しているのだろう。
小さな画面に集中することができないのだ。
秋刀魚は目黒に、落語は生に限る。
さもなくばいっそ目を瞑ってラジオやテープで聴く方が想像力が働いて面白い。
小さんが弟子たちに、「その了見になれ」と教えたそうだが、噺家が旦那になったり焼餅焼きの女将さんになったりする、それが脳内に彷彿とするのが落語の面白さだ(しないこともあるけれど)。
テレビ寄席は、想像の翼の羽ばたく範囲が小さな画面のコビトたちに限られてしまう、コビトは何時まで経ってもコビトでいろんな人物に変化しない。
さらに日用の家具や本などに囲まれていると、そっちの方面からも注意が殺がれてしまう。
そろそろ洗濯物を取り入れなきゃ、とか、サンチはどうしているか、とか。
ふと書棚に目がいって、そういう時に急に読みたくなる本があったりする。
だからテレビドラマや映画も苦手である(古い映画やドラマを資料・情報として見ることはあるけれど)。
テレビドラマが苦手なのは、わかっていることをグズグズ説明するのがかったるいと云うこともある。 というわけで、飛ばし飛ばし、4・5人を見て、夕方の散歩に出てしまった。
噺家も、無観客に馴れている人と戸惑いが感じられる人がいるようだ。
漫才は飛沫の飛ばしっこだな。
でも漫才とか奇術などの方が、落語に比べると動画でみるハンデイが少ないようだ。
それ自体を見て聞いて楽しめるという意味では、落語も漫談ならユルセル。
話しの間とか省略などで客の想像力に訴えるような(達人)の古典落語の方が、動画だと物足りなさが際立つ。
無観客のスタジオで録画することに馴れている噺家は、過不足なく演じることはできるのだろうが、やはり客席との間に出来る寄席独特の空気がないのは、つまらないだろう。
古い噺家が、自分たちが若い頃は「ツバナレ」、10人未満の客しか入らず、誰もいない客席に向かって話したことも多い、と言っていた。
ぼくも学生時代に入った人形町末廣では、僕一人壁にもたれて足をのばして聴いていたこともある。
ああいうのと、まったく無人でも電波の向うには大勢の客が見ていると思うのと、、どっちもどっちか。
つまらないクスグリを言って、「客のいないところで、こういう(まずい)ギャグをいうと、我ながら哀しくなる」というのには同情した。
寄席とはまったく違うものではあるけれど。
こんなことを考えるのは、贅沢なことかもしれない。
五球スーパーラジオを買ってもらって大喜びした子供のころは、生の落語は当然のこととして、テレビのそれも見たことがなかった。
金馬、柳橋、金語楼、、ラジオを聞いた。
間とか余韻などでなく、話の面白さだけでよかった。
落語全集を近所の家から借りてきて読んだこともあった。
ハリーベラフォンテが来日して、そのリサイタルをテレビでやると聞いて、テレビのある家に見せてもらいにいった。
あの頃、テレビで寄席中継を見せてもらったら、かじりついていたかもしれない。
なまじ、東京で寄席だの独演会だのを(先達の手引きもあって)見歩いて、生の落語やその場の空気を知ったからこそ、それのミニチュアみたいな動画の、本物に引き比べての物足らなさを愚痴っているのだ。 (いつもと違う道で見つけたアウトドアグッズの店)
『夜の町』と寄席が、どう違うのかは分からないけれど、政治家たちが、もう寄席に行っても大丈夫だとお墨付きを出しても、僕は行かないかもしれない。
政治家は年寄りの一人や二人が死ぬことは、むしろ喜びとするところ、クラスターとやらさえ生じなければ、自衛・自己責任でと、突っ放す。
ずっと今のような引きこもり暮しをしていると、さすがに退屈をして、落語が聞きたくて聞きたくてたまらなくなるかもしれない。
声だけでなく、落語家の顔を見たくなるのだ。
そういうときに、YOUTUBEは救いの神になるかもしれない。
そうなるころまで、お茶の間寄席ってやってるのかな。
こう見えても僕は家にいるとけっこう忙しいので家でまで寄席を聴く時間がないのだが、考えて見たらYOUTUBEだから、ぜんぶ続けて見る必要もない。
鈴本の、はじめは五月上席、ちょっと退屈したのでこんげつ13日分に切り換えて、アイパッドで再生してみた。
僕は集中力が不足しているのだろう。
小さな画面に集中することができないのだ。
秋刀魚は目黒に、落語は生に限る。
さもなくばいっそ目を瞑ってラジオやテープで聴く方が想像力が働いて面白い。
小さんが弟子たちに、「その了見になれ」と教えたそうだが、噺家が旦那になったり焼餅焼きの女将さんになったりする、それが脳内に彷彿とするのが落語の面白さだ(しないこともあるけれど)。
テレビ寄席は、想像の翼の羽ばたく範囲が小さな画面のコビトたちに限られてしまう、コビトは何時まで経ってもコビトでいろんな人物に変化しない。
さらに日用の家具や本などに囲まれていると、そっちの方面からも注意が殺がれてしまう。
そろそろ洗濯物を取り入れなきゃ、とか、サンチはどうしているか、とか。
ふと書棚に目がいって、そういう時に急に読みたくなる本があったりする。
だからテレビドラマや映画も苦手である(古い映画やドラマを資料・情報として見ることはあるけれど)。
テレビドラマが苦手なのは、わかっていることをグズグズ説明するのがかったるいと云うこともある。
噺家も、無観客に馴れている人と戸惑いが感じられる人がいるようだ。
漫才は飛沫の飛ばしっこだな。
でも漫才とか奇術などの方が、落語に比べると動画でみるハンデイが少ないようだ。
それ自体を見て聞いて楽しめるという意味では、落語も漫談ならユルセル。
話しの間とか省略などで客の想像力に訴えるような(達人)の古典落語の方が、動画だと物足りなさが際立つ。
無観客のスタジオで録画することに馴れている噺家は、過不足なく演じることはできるのだろうが、やはり客席との間に出来る寄席独特の空気がないのは、つまらないだろう。
古い噺家が、自分たちが若い頃は「ツバナレ」、10人未満の客しか入らず、誰もいない客席に向かって話したことも多い、と言っていた。
ぼくも学生時代に入った人形町末廣では、僕一人壁にもたれて足をのばして聴いていたこともある。
ああいうのと、まったく無人でも電波の向うには大勢の客が見ていると思うのと、、どっちもどっちか。
つまらないクスグリを言って、「客のいないところで、こういう(まずい)ギャグをいうと、我ながら哀しくなる」というのには同情した。
屁をひっておかしくもなし独り者でも一朝なら一朝だけと、限って見るというのもあるかな。
寄席とはまったく違うものではあるけれど。
五球スーパーラジオを買ってもらって大喜びした子供のころは、生の落語は当然のこととして、テレビのそれも見たことがなかった。
金馬、柳橋、金語楼、、ラジオを聞いた。
間とか余韻などでなく、話の面白さだけでよかった。
落語全集を近所の家から借りてきて読んだこともあった。
ハリーベラフォンテが来日して、そのリサイタルをテレビでやると聞いて、テレビのある家に見せてもらいにいった。
あの頃、テレビで寄席中継を見せてもらったら、かじりついていたかもしれない。
なまじ、東京で寄席だの独演会だのを(先達の手引きもあって)見歩いて、生の落語やその場の空気を知ったからこそ、それのミニチュアみたいな動画の、本物に引き比べての物足らなさを愚痴っているのだ。
『夜の町』と寄席が、どう違うのかは分からないけれど、政治家たちが、もう寄席に行っても大丈夫だとお墨付きを出しても、僕は行かないかもしれない。
政治家は年寄りの一人や二人が死ぬことは、むしろ喜びとするところ、クラスターとやらさえ生じなければ、自衛・自己責任でと、突っ放す。
ずっと今のような引きこもり暮しをしていると、さすがに退屈をして、落語が聞きたくて聞きたくてたまらなくなるかもしれない。
声だけでなく、落語家の顔を見たくなるのだ。
そういうときに、YOUTUBEは救いの神になるかもしれない。
そうなるころまで、お茶の間寄席ってやってるのかな。
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tona
at 2020-06-15 14:09
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スマホで拝見していたのをPCでこのところ読ませていただいています。やはりちょっと画面が大きい方がいいですね。
寄席こそどんなにか劇場でご覧になった方がいいことでしょう。
でもオンラインで楽しまれたのですね。
自粛生活では随分いろいろなことも思い出されていらして、私も徒然にいろいろな場面を思い出したりしていました。
来年も見られるかなとバラなどのお花に寄せられた気持ち、同様にジーンときました。本当にそうなのですよ。
寄席こそどんなにか劇場でご覧になった方がいいことでしょう。
でもオンラインで楽しまれたのですね。
自粛生活では随分いろいろなことも思い出されていらして、私も徒然にいろいろな場面を思い出したりしていました。
来年も見られるかなとバラなどのお花に寄せられた気持ち、同様にジーンときました。本当にそうなのですよ。
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saheizi-inokori at 2020-06-15 14:12
> tonaさん、どんなシーンでもこれが最期かもしれないと思うと、ちょっと疲れますね。
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りんご
at 2020-06-15 14:38
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コビトは何時まで経ってもコビトで... わかるような
私は昨夜ウイーンからの音楽会を聴き(いいピアニストと知っているが)教会で頬に手して聴き入る老婦人になりきれなかった
早々に国会を閉じ逃げるアベがまた危ないこと言出だしてますね
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saheizi-inokori at 2020-06-15 14:50
> りんごさん、一人で何人もの人物に成り代われるのが落語という語りの芸の特徴です。
視覚は付随的なものなのですね。
動画も見ないで目をつむって聴いていた方がいいかもしれません。
あべが?さっそく調べましょう。
太郎が出馬らしいですね。
視覚は付随的なものなのですね。
動画も見ないで目をつむって聴いていた方がいいかもしれません。
あべが?さっそく調べましょう。
太郎が出馬らしいですね。
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りんご
at 2020-06-15 15:33
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え!太郎は盛り上げに登場,宇都宮氏にバトンし退場?
腐った都政は,実務に長け誠実な宇都宮氏が再建する
じゃないと いよいよ首都に自民党政治が蔓延ですね
国民罰則の前に充分な補償+プロセス開示(議事録)ですわ
腐った都政は,実務に長け誠実な宇都宮氏が再建する
じゃないと いよいよ首都に自民党政治が蔓延ですね
国民罰則の前に充分な補償+プロセス開示(議事録)ですわ
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saheizi-inokori at 2020-06-15 16:12
> りんごさん、太郎の会見を聞きましたが、応援ではそれほど力を発揮できないというのです。
小池の票を食い、今まで投票しなかった人をターゲットにするとも。
消費税五パーセントで折り合えない立憲と共闘することはあり得ないそうです。
どこまで理解者を増やせるか?
小池の票を食い、今まで投票しなかった人をターゲットにするとも。
消費税五パーセントで折り合えない立憲と共闘することはあり得ないそうです。
どこまで理解者を増やせるか?
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りんご
at 2020-06-15 16:56
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時間がない小池票に体当たり! で宇都宮氏はどうなるの
うぅ 下のTwitter動画で語る安富さん的心境です
れいわ勝手に応援団 in Europe!ウィーン 組の1人
(&アジア・中東・米・北欧・NZ) Twitter
うぅ 下のTwitter動画で語る安富さん的心境です
れいわ勝手に応援団 in Europe!ウィーン 組の1人
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saheizi-inokori at 2020-06-15 18:19
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rinrin1345 at 2020-06-15 19:54
私はずーっとYouTubeの落語です。イヤホンで聴くと途中で寝てます。動作が見られないのが残念です
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saheizi-inokori at 2020-06-15 21:58
> rinrin1345さん、私も枕がわりの落語のお世話になっています。
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ikuohasegawa at 2020-06-16 06:28
私もYoutube落語のお世話になっています。
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福
at 2020-06-16 06:30
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野坂昭如が「湾岸戦争を映像ではなくラジオで聴いたら、また違った感情に襲われるかもしれない」というようなことを述べていました。
相撲もラジオの方が、想像力が強く発動して楽しかった、なんてよく聞きます。
ラジオというメディアにはそうした床しさがありますね。
相撲もラジオの方が、想像力が強く発動して楽しかった、なんてよく聞きます。
ラジオというメディアにはそうした床しさがありますね。
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saheizi-inokori at 2020-06-16 10:06
> ikuohasegawaさん、権ちゃん主任もありましたね(鈴本)。
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saheizi-inokori at 2020-06-16 10:08
by saheizi-inokori
| 2020-06-15 12:35
| 落語・寄席
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Comments(14)