山本太郎は宇都宮けんじを応援すべし 「タイの僧院にて」(青木保)
2020年 06月 11日
心配した雨も今のところは大丈夫のようだ。
冷やし中華はなんといっても海の家の海水パンツのままで食ったやつがいちばんだ。
すっぱくて毒々しい紅ショウガをどっさり、練りからしにも咽せた。
ホテルの食堂なんかでびっくりするような値段で売ってる冷やし中華は、あれはインチキ、名前だけ盗んで、味はうまくもなんともない。
自身が立候補したつもりで宇都宮を支援すれば今までにない支持層が掘り起こされて、小池を倒せる。
— 佐平次 (@saheiziinokori) June 10, 2020
それが山本が国政で活躍する環境条件をつくることにもなるのだ! https://t.co/0SMdxJWHSl
山本太郎が都知事選に出馬を検討しているというツイートがあって、あちこちにリツイートした。
山本は宇都宮けんじを全力で応援すれば、今まで投票場に行かなかった人たちの票を掘り起こすことができる。
それが、これからの反アベ・小池的悪党広告代理店的政治との戦いで有力な戦力になる。
太郎は、それをバックに国会議員になるべきだ。
都知事選なんかに出馬したら宇都宮と共倒れになるだけ、シラケて棄権する人も増えるだろう。
緊急割込みで「女帝 小池百合子」を読んで、さあ、と思って取りかかった。
機知とユーモアにとんだエッセイ、この作家の作品に惹かれてその早い頃の作品集を借りたのだが、一向に面白くない。
食傷したのか、コロナで味覚が衰えたか。
つまらないものは止めて、これもコロナ以前に古本屋で買ってあった「タイの僧院にて」(青木保)を読み始めた。
聞き覚えのある名前だと思ったら、文化庁長官だったこともある人類学者だった。
泉靖一についていた大学院時代に、集団主義的な調査行動とか登山などになじまず、
もっと知的に洗練された人類学者の肖像を理想とし、思想の行為としての人類学などというもっともらしくも浅はかなたわ言の類を心の中で叫んでいた。と考えて、なんとタイの僧院で修行するのだ。
矛盾するようだが、そして矛盾は常に行動の原動力なのだろうが、行動がなくては始まらないと考えていた。異文化の体験を通しての思考作用こそ人類学者のなすべき仕事なのだ。
時おりしも1972年、大学改革闘争の真っ只中、
周囲にはびこるやたらに空疎な政治言語の氾濫と、改革闘争推進者たち自身の学問的営為の旧さには、どうにもしがたい空しさを感じてしまわないわけにはゆかないのだった。そんな筆者にテラワーダ(小乗仏教)の教え、僧修行の形式の持つ厳しさが自身の実践課題として重要なものに思われたという。
人は逃避と呼ばば呼べ!
異世界における象徴行為を通しての「再生」、自家版「オデュッセイア」に向けて旅立ったのだ。
これはちょいと洒落たエッセイよりも今の僕には面白そうだ。
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