お前は悲しうござりませぬか、嫁の言葉が切ない 文楽「菅原伝授手習鑑」@国立小劇場
2020年 02月 12日
おととい文楽を観に行った。
その名も高き「菅原伝授手習鑑」、仮名手本忠臣蔵、義経千本桜とあわせて文楽三大名作と言われている。
二代目竹田出雲、三好松洛、並木千柳、竹田小出雲の合作だ。
竹本住太夫は
ぼくは「寺子屋の段」は観たけれど、きょうの三段目は初めて。
開場30周年記念で「菅原伝授手習鑑」を上演するに際し、太宰府天満宮に成功祈願をしたときに寄贈されたという紅白の梅が咲いていた。 国立劇場の文楽第210回公演を2月10日に見る、それがどうした、だけど面白い。
「吉田社頭車曳の段」
三つ子の兄弟、梅王丸は菅丞相、松王丸は藤原時平、桜丸は斎世親王の舎人であったが、桜丸と妻の八重が斎世親王と菅丞相の娘の密会を手引きしたことによって、時平が菅丞相を陥れ大宰府に流罪となってしまう。
浪人になった梅王丸と桜丸が通りかかる時平の車を遮ろうとすると「待てろう待てろう」と大声が聞こえ、松王丸=芳穂太夫が登場して床につく、面白い演出だ。
朱塗りの神社を後ろに黒々とした牛に曳かれた車の主は時平、車が壊れたかと思ったら、ぬっと立つ、デカッ!
その時平が、くわっと睨むと、さすがの梅王・桜丸もたじたじとなって動けなくなる。
松王丸に免じて命は助けてやる、と言った後、「ムゝゝ、、ハハゝゝ、、ムム、、、ハハハ」いやらしい邪悪な笑いが長々と続く。
おのおのやるべきことはあるが、とりあえず父親の古希の祝いだけは済まそうと別れる。 「佐太村茶筅酒の段」
三人の父は、古希を祝って「白太夫」の名を菅丞相から賜ったことを近所の百姓に語っている。
そこに三人の妻がやってきて、なかよく料理を作る。
この舅と相嫁たちの仲睦まじさが、その後の夫たちの忠義だのなんだのによって無残にも壊れてしまうのだ。
舎人なんて身分は低いのに。
料理の支度が出来ても夫たちが来ないので、庭の梅松桜の木を息子たちに見立てて陰膳を据えさせ祝いを始める白太夫。
嫁たちから三方、扇、頭巾を贈られたのち、八重を連れて氏神にお礼詣でに出かける。 「佐太村喧嘩の段」
白太夫と入れ替わりにやってきた松王丸と梅王丸が、取っ組み合いの喧嘩を始めて庭の桜の木を折ってしまう、フキツ。
「同 訴訟の段」
戻ってきた白太夫に梅王丸は配流された菅丞相に付き添いたいと訴えるが、お前は御台所と息子の菅秀才の行方を探せと却下、松王丸は勘当を申し出て許される。
先ほどまでの暖かな空気はどこへやら、二組の夫婦は追い出されてしまう。 「同 桜丸切腹の段」
残された八重が門にもたれて夫・桜丸を案じている姿がなんともいえずしおらしく愛おしい。
そこへ、なんと(白太夫にそう言われて)納戸に隠れていた桜丸が中央から登場する。
そこにはある種の諦観のような佇まいがある。
菅丞相流罪の責任をとって切腹するというのだ。
白太夫は氏神様にその是非を尋ねに行ったのだった。
八重はわっと泣き出し「親父様の思案はないか、コレコレコレコレ俯いてばかりござらずとも、よい知恵だして下さりませ、夫の命生き死には親父様の御詞次第、お前は悲しうござりませぬか、親の手づからこの三方、ハアゝ腹切刀は何ごとぞ」と
もうこれは定業と諦めて腹切り刀を渡すのだ、思ひ切っておりゃ泣かぬ。そなたも泣きやんな、ヤア」と」いえば、八重は「アゝ、アイ」父「泣くない」「ア、アイ」「泣きやんない」「ア、アイ」「泣くない」「アイ」「泣くない」「アイアイアイアイ」「泣きなんなんや」、さいぜんの仲睦じい舅嫁の情景が瞼に残っているだけに切ない場面だ。
桜丸は従容として襟押し寛げ九寸五分を、弓手の脇に突き立てる。 白太夫の介錯は念佛の鐘、
白太夫は、梅王夫婦に亡骸と八重のことを頼んで、菅丞相のもとへ旅立つ。 久しぶりの文楽に満足して、まっすぐに帰らず千鳥ヶ淵をぶらぶら神保町まで歩いた。
もうすぐ混雑するだろうが、今はほとんど誰も歩いていない。 神保町で、古本と新本を一冊づつ買って初めてのカフエで持って行った本を読む。
あすは予定があったっけ、とメモ帳を見てびっくり、4時から人と会う予定をすっかり失念していた。
大急ぎで桜新町に取って返したが40分も遅刻、まあ、切腹は免れた。
その名も高き「菅原伝授手習鑑」、仮名手本忠臣蔵、義経千本桜とあわせて文楽三大名作と言われている。
二代目竹田出雲、三好松洛、並木千柳、竹田小出雲の合作だ。
竹本住太夫は
「菅原伝授手習鑑」という演目は、初めからしまいまで悪いところがない。と語っている(「文楽のこころを語る」)。
ぼくは「寺子屋の段」は観たけれど、きょうの三段目は初めて。
開場30周年記念で「菅原伝授手習鑑」を上演するに際し、太宰府天満宮に成功祈願をしたときに寄贈されたという紅白の梅が咲いていた。
三つ子の兄弟、梅王丸は菅丞相、松王丸は藤原時平、桜丸は斎世親王の舎人であったが、桜丸と妻の八重が斎世親王と菅丞相の娘の密会を手引きしたことによって、時平が菅丞相を陥れ大宰府に流罪となってしまう。
浪人になった梅王丸と桜丸が通りかかる時平の車を遮ろうとすると「待てろう待てろう」と大声が聞こえ、松王丸=芳穂太夫が登場して床につく、面白い演出だ。
朱塗りの神社を後ろに黒々とした牛に曳かれた車の主は時平、車が壊れたかと思ったら、ぬっと立つ、デカッ!
その時平が、くわっと睨むと、さすがの梅王・桜丸もたじたじとなって動けなくなる。
松王丸に免じて命は助けてやる、と言った後、「ムゝゝ、、ハハゝゝ、、ムム、、、ハハハ」いやらしい邪悪な笑いが長々と続く。
おのおのやるべきことはあるが、とりあえず父親の古希の祝いだけは済まそうと別れる。
三人の父は、古希を祝って「白太夫」の名を菅丞相から賜ったことを近所の百姓に語っている。
そこに三人の妻がやってきて、なかよく料理を作る。
手ん手に俎板摺粉鉢、米炊桶(かしおけ)に量りこむ、水入らずの相嫁同士、菜刀取って切り刻み、ちょきちょきちょきと手品よく、味噌摺る音も賑はしし笑いのたえない平和な風景をたっぷりリズミカルな動きを見せてくれる。
この舅と相嫁たちの仲睦まじさが、その後の夫たちの忠義だのなんだのによって無残にも壊れてしまうのだ。
舎人なんて身分は低いのに。
料理の支度が出来ても夫たちが来ないので、庭の梅松桜の木を息子たちに見立てて陰膳を据えさせ祝いを始める白太夫。
嫁たちから三方、扇、頭巾を贈られたのち、八重を連れて氏神にお礼詣でに出かける。
白太夫と入れ替わりにやってきた松王丸と梅王丸が、取っ組み合いの喧嘩を始めて庭の桜の木を折ってしまう、フキツ。
「同 訴訟の段」
戻ってきた白太夫に梅王丸は配流された菅丞相に付き添いたいと訴えるが、お前は御台所と息子の菅秀才の行方を探せと却下、松王丸は勘当を申し出て許される。
先ほどまでの暖かな空気はどこへやら、二組の夫婦は追い出されてしまう。
残された八重が門にもたれて夫・桜丸を案じている姿がなんともいえずしおらしく愛おしい。
そこへ、なんと(白太夫にそう言われて)納戸に隠れていた桜丸が中央から登場する。
そこにはある種の諦観のような佇まいがある。
菅丞相流罪の責任をとって切腹するというのだ。
白太夫は氏神様にその是非を尋ねに行ったのだった。
八重はわっと泣き出し「親父様の思案はないか、コレコレコレコレ俯いてばかりござらずとも、よい知恵だして下さりませ、夫の命生き死には親父様の御詞次第、お前は悲しうござりませぬか、親の手づからこの三方、ハアゝ腹切刀は何ごとぞ」と
恨みつ頼みつ身を投げ伏し、悶え焦がるる有様は、物狂はしき風情なり白太夫は「神前で、祝儀に貰った扇三本に梅松桜の絵があるのを幸い、御籤を引くように引いてみたが、何度も引いたが、桜の絵は出ず、がっかりして帰ってくると庭の桜が折れていた。
もうこれは定業と諦めて腹切り刀を渡すのだ、思ひ切っておりゃ泣かぬ。そなたも泣きやんな、ヤア」と」いえば、八重は「アゝ、アイ」父「泣くない」「ア、アイ」「泣きやんない」「ア、アイ」「泣くない」「アイ」「泣くない」「アイアイアイアイ」「泣きなんなんや」、さいぜんの仲睦じい舅嫁の情景が瞼に残っているだけに切ない場面だ。
桜丸は従容として襟押し寛げ九寸五分を、弓手の脇に突き立てる。
「なまいだ、なまいだなまいだなまいだなまいだ」八重が泣く声、打つ鉦も拍子乱れて、桜丸は右の肋へ引き回し、「憚りながら、ご介錯」「ヲゝ、介錯」と後ろへ廻り、撞木振り上げ「南無阿弥陀仏」と打つやこの世の別れの念仏 九寸五分取り直し、喉(ふえ)のくさりをはね切って、かっぱと伏して、息絶えたり八重が夫の血刀を取り上げて自刃せんか、いつの間にか戻ってきて陰で手を合わせていた梅王夫妻が、それを取り上げる。
白太夫は、梅王夫婦に亡骸と八重のことを頼んで、菅丞相のもとへ旅立つ。
亡骸送る親送る、生きての忠義死したる義臣。住太夫は「桜丸切腹」の床本を読んでいるだけで泣けてくるという。
ひと樹は枯れし無常の桜 残る二樹は松王、梅王 三つ子の親が住み処、末世にそれと白太夫、佐太の社の旧跡も、神の恵みと知られける
《桜丸切腹》のようなええ演目をやらしてもろうて、お客さんに泣いてもらえなかったら、よっぽど演者が悪いのです。千歳太夫と蓑助に和生に勘十郎、、みんなよかった。
もうすぐ混雑するだろうが、今はほとんど誰も歩いていない。
あすは予定があったっけ、とメモ帳を見てびっくり、4時から人と会う予定をすっかり失念していた。
大急ぎで桜新町に取って返したが40分も遅刻、まあ、切腹は免れた。
Commented
by
福
at 2020-02-13 06:41
x
日本文化の本質は感傷性にあると読んだことがあります。主人公の悲運に同情して、涙を流す。菅公、判官、楠公はその代表格。
近代文学はそうした伝統性を否定し、乾いたところから出発しましたが、何のことはない、傑作はみな感傷性を湛えています。高橋義孝の言を借りれば「系統発生的なもの」ということになりましょうか。
近代文学はそうした伝統性を否定し、乾いたところから出発しましたが、何のことはない、傑作はみな感傷性を湛えています。高橋義孝の言を借りれば「系統発生的なもの」ということになりましょうか。
0
Commented
by
j-garden-hirasato at 2020-02-13 06:57
文楽ですか。
未だ、未経験です。
未だ、未経験です。
Commented
by
saheizi-inokori at 2020-02-13 07:35
Commented
by
olive07k at 2020-02-13 07:35
Commented
by
saheizi-inokori at 2020-02-13 07:36
> j-garden-hirasatoさん、滅びないうちにぜひどうぞ。楽しいですよ。
Commented
by
saheizi-inokori at 2020-02-13 07:37
> olive07kさん、最後の遅刻は野暮用でむしろ遅れた方が粋というものでしたよ。
Commented
by
ikuohasegawa at 2020-02-13 07:58
40分遅刻はアウトでしょうかセーフでしょうか。
コメントのやり取りからすると・・・セーフかな。
コメントのやり取りからすると・・・セーフかな。
Commented
by
saheizi-inokori at 2020-02-13 09:08
Commented
by
kanekatu at 2020-02-13 11:31
当方は第2部の『新版歌祭文』『傾城反魂香』に行きましたが、両方とも良かったです。滅びるどころか客の入りもよく、ファンは増えている気がします。土日などチケットの入手が難しいそうですね。橋下め、ざまあみろ!
Commented
by
saheizi-inokori at 2020-02-13 11:50
Commented
by
hanamomo60 at 2020-02-13 22:58
先ほど息子からのメールがきて、東京は暖かかったのですね。
梅が満開!
紅梅も、白梅も、蝋梅もみな満開ですね。
文楽の面白さ、こちらで齧り、いつか私もこの目で見たいものと思っています。
太宰府天満宮、はるか昔にいきました。
飛梅が咲いていていい香りでした。
梅が満開!
紅梅も、白梅も、蝋梅もみな満開ですね。
文楽の面白さ、こちらで齧り、いつか私もこの目で見たいものと思っています。
太宰府天満宮、はるか昔にいきました。
飛梅が咲いていていい香りでした。
Commented
by
saheizi-inokori at 2020-02-13 23:04
by saheizi-inokori
| 2020-02-12 12:48
| 能・芝居・音楽
|
Comments(12)