寅さんはリトマス試験紙だ 映画「男はつらいよ お帰り寅さん」

30年以上も前のことだ。
窓際に追いやられ出勤してもやることがない。
はじめは多くの新聞を丹念に読んで(不思議に本を読むのは憚られた)一日を過ごしたが、お茶を淹れてくれる女性が心なしか気の毒そうにするのや、忙しそうにしている社員たちを見ているのも辛く、外出して一日を暮らすことにした。

長野から出てきて学校と会社とその周辺しか知らなかったぼくの足が向かうのは浅草が多かった。
カフェに入るという慣習もないから、ひたすら歩いて行きつくのは三本1000円の映画館。
がらがらの暗がりで落花生を齧りながら擦り切れたような映像を眺めていると、突然、肩をつつかれた。
びっくりして振り返ると、ホームレスと思しき男が「なあ、あんちゃん、あんなにやさしい人間なんかいるわけないよな」と涙ながらに話しかける。
画面はフーテンの寅さんが妹のさくらだったか満男だったかのために、独り善がりの奮闘をして爆笑の場面だった。
のちに山田監督が新聞紙上で、「男はつらいよ」は見る人によって、笑いもすれば泣きもする、渋谷で笑う場面が浅草では客を泣かすと書いていて、うべなるかなと思った。



恒例にしていた小三治の落語会の切符を取るのをあきらめて映画を見た。
甥の満男が主人公、新進作家として照れながらサイン会をやったり、娘が寅さん一家らしい気立ての良い高校生になっている。
亡き妻の七回忌にくるまやに懐かしい顔が揃うところから始まる。
さくら夫妻もめっきり老人夫妻になった、いい歳を取った夫妻だ。
満男の初恋の相手・イズミ(ごくみ)が、ヨーロッパから来日して満男と再会、施設に居て明日をも知らない父(許せなかった)に、会おうかどうか逡巡しているのを、満男が説得して会いに行く。

はにかみ屋で真っ直ぐな、打算とは縁の遠い満男はおじさん・寅さんの申し子のようだ。
目の前に困った人がいて、自分しか手を差し伸べられる人がいないと思ったら、親身になって手を差し伸べる。
迷ったとき、困ったときにおじさんならどうするかと考える。

随所に、見覚えのある懐かしい寅さんの名場面が出てくる。
「早い話が、俺が芋食ったらお前が屁をするか」「ああ、生きててよかったと思うことが何度かある、そのために生きているんじゃないか」「あんたが一生懸命、俺に聞いてほしいという気持ちは分かる」名セリフを遺しやたらと美人にもてた男だったなあ。

笑うよりもジンと来ることの多くなったぼくはあのホームレスに近づいたのかもしれない。
この映画を見て泣くなり笑うなりできるかどうか、それがアベ的なものに汚染されていないことのリトマス試験紙になるのじゃないか。
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正月の日曜日、尾山台と等々力を歩いたがなかなか店が見つからず、8000歩も歩いた末に入った小料理屋。
下仁田ネギの焼いたのがウマかった。
寅さんはリトマス試験紙だ 映画「男はつらいよ お帰り寅さん」_e0016828_10271509.jpg
となりに近所の大地主の息子らしいのが来てワインで夕食を食いながら、なにか仕事をしなくては(家賃収入で食べている)なあ、と太平楽を並べているのがチト気になったが、考えて見ればぼくも仕事をしていないのだ。
店の冷蔵庫に入れておいてもらったヨーグルトを忘れてきてしまった。
勘定する直前まで、意識していたのにバスの時間に気を取られて忘れて飛び出したのだ。
Commented by kogotokoubei at 2020-01-06 12:09
 まだ観ていません。行かなきゃ。
「男はつらいよ」の文庫版シナリオ集の解説で、遠藤周作が、こんなことを書いています。
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「根なし草」のもつ笑いと寂しさ。それは山田監督の作品を流れる主題のように思える。「家族」や「同胞」のような彼の別な作品には家を捨てねばならない家族たちが描かれている。
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 浅草の人も、何らかの理由で「根なし草」にならざるを得なかった身の悲哀を感じていたのかもしれませんね。
Commented by saheizi-inokori at 2020-01-06 12:21
> kogotokoubeiさん、ポバティーサファリの著者によれば、ホームレスの多くが家庭の崩壊や機能不全によるものだといいます。
しかし、家があってもデラシネ的な感覚を抱く人は多いのでしょう。
千ベロのあと幸兵衞さんが歌ったのを思い出しましたよ。
Commented by eblo at 2020-01-06 12:38
そんなことがあったんですね。
少し前に窓際族のことを書いたのですが、気分悪くなかったですか?
テレビで寅さん映画を話題にしている番組を観たことがありますが、クスっとくらいはありましたが、私はあんな大笑いはできませんでした。私たちの年代の人でないと、寅さんの言葉を理解できない時代なのかもしれません。
Commented by saheizi-inokori at 2020-01-06 13:15
> ebloさん、ある意味で窓際になったのは勲章だと思っているのです。
寅さんワールドはなまぬるいけれど、そこがいいなあ。
Commented by テイク25 at 2020-01-06 16:42 x
「労働者諸君!額に汗して働きたまえ。」と裏の工場の若者たちに呼びかける場面が印象に残っています。社会はあの頃とすっかり変わってしまいました。

「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名を呼べ。おじさん、どっからでも飛んできてやる・・・」
満男はいつもおじさんと話しているのでしょうね。
Commented by otebox at 2020-01-06 17:59
今さらですが、やっぱりみにいこうかな。
わたしゃ生涯「蚊帳の外」族でありました。(ちと大袈裟・初めの8年は蜷川与党でした)気概だけで駆け抜けた30年でしたよ。
Commented by maru33340 at 2020-01-06 18:16
僕も20年程前同じような経験をしました。
あることで時の部門長に直言して窓際に置かれ、半年近く封筒の宛名書きしかすることがない時を過ごしました。

「おかえり寅さん」は昨年封切りの次の日に見て泣きました。
昭和の女優たちのなんと華やかで美しかったこと。
Commented by saheizi-inokori at 2020-01-06 18:28
> テイク25さん、そういう人がいるという満男は幸せです。
これから希少な存在になるかな。
Commented by saheizi-inokori at 2020-01-06 18:30
> oteboxさん、アルバムをめくるような楽しみがありますよ。
Commented by saheizi-inokori at 2020-01-06 18:33
> maru33340さん、ほんとに!
何人登場したでしょう?楽しいアルバムでした。
Commented by そらぽん at 2020-01-06 19:25 x
はにかみ屋で真っ直ぐな,打算とは縁の遠い満男を思うだけで
嬉しいよ~ そんな人が生き易い社会であって欲しいです

イランの人は私が知る限り 日本人によい印象を持っています
アベに何を伝えたくて大統領は来日したのか 派兵で返す極道
当事国である独日本大使館前のイラン人デモが悲しいです  
Commented by saheizi-inokori at 2020-01-06 20:30
> そらぽんさん、困ったらいつでも呼べ、助けてやる、と本気で考えている寅さん、まっすぐ信じる満男。
得難い存在、関係ですね。胸がすきます。
Commented by j-garden-hirasato at 2020-01-07 06:23
これは、今、観たい映画の一つです。
上映が終わる前に行かねば…。
Commented by at 2020-01-07 06:58 x
「俳句」新年詠には「賀状まづ 小三治様と 書き始む」(黒田杏子)があります。
「男はつらいよ」。師弟で評価が分かれるようで、談志はつまらんと言い、志らくは全巻語れるほどのマニアです。忖度すれば、談志は落語の長屋の人間模様の単純化にすぎない、と感じていたのかもしれません。
Commented by saheizi-inokori at 2020-01-07 09:05
> j-garden-hirasatoさん、正月らしい、楽しい映画です。
Commented by saheizi-inokori at 2020-01-07 09:10
> 福さん、落語の長屋の人間模様のほうが複雑高尚だとでもいいたいのでしょうか。
私は全てを見たわけではなし、半分も見なかったけれど、テレビで再放送しているときも見ませんが、好きですね。
談志がつまらないのは、そこかな(そことはどこだ?)。
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by saheizi-inokori | 2020-01-06 11:40 | 落語・寄席 | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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