人の縁の不思議
2019年 10月 28日
W君の墓は急な坂道を10分も登った丘の上にあった。
杖がないと帰りがマジ怖いと弱音をはくと、前をいくMちゃんが魔法のように道端から竹の棒を探してくれた。
鬼無里に住んでいたW君が縁もゆかりもなかった我々の旅行に地元の者として、ちよっと信じられないくらいの好意を示してくれたのは、それがいくら朴訥な田舎の人の真心から出たものしても、やはり長野にいた我々の友人F君との出会いなしには考えられない。
それまでは知らぬ者どうしだった二人が我々の旅行を迎えるために下見をしたりして入念なプランを作ってくれたことが、その後三十年にわたって鬼無里会が続く礎を固めてくれたのだ。
墓参りのあと、戸隠の中社に参り大久保の西屋で蕎麦と天婦羅でしこたま酒を飲んだ。
小さい子どもがあたりを汚すのは当たり前だから、どうぞ気にしないでくれ、片付けは店の者がやります。
もちろん蕎麦は文句なし、辛味大根もよし、シコタマになるわけだ。
部屋の窓から、渓谷を見下ろし二日酔いの頭を冷やしている。
泥と落ち葉が濡れていて、滑りやすく、転んだら崖を落ちるような危ない道をあえぎながら登った。

命の恩人だと思った。
思いがけなく、故人の姉、息子とその子どもたちふたり、娘が須坂や稲田から来てくれて、いっしよに登った。
W君が10年前に亡くなってほどなく奥さんも後を追うようになくなり、墓の麓の家は無人となり、息子さんが来ては掃除などをしている。
是非にと言われ、一行は座敷にあがり、仏壇に手を合わせて、うまいリンゴと漬け物をご馳走になった。
ふだんは人のいないきれいな座敷がにぎやかになって、W君は喜んだのではないか。
遺族のみなさんも彼が愛されていたことを知って嬉しかったのなら、我々も山の登りがいがあったというべきだ。


F君とW君が出会って肝胆相照らした、それがまた、知らぬ者同士の鬼無里会のメンバーの交遊に発展して三十年、つくづく人の縁の不思議を感じる。

店にこんな貼り紙があって嬉しくなった。

76歳になる、とても元気な店の主人が書いたのだという。

そして夜は高山温泉で、こんどは150段の急な石の道をくだり渓谷に突き出た露天風呂を堪能、ふたたびシコタマ。

素晴らしいご縁。
素敵なお蕎麦屋さん、良いなあ。
素敵なお蕎麦屋さん、良いなあ。
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> hisako-baabaさん、こういう人と人の温かいつながりを身の丈思想で分断しようとするアベ政権よ、呪われてあれ!
良い話だ!
30年も続く交友を羨ましく思います。
鬼無里→戸隠→高山ですか。
長野横断の旅になりましたね。
長野横断の旅になりましたね。
> takoomesanさん、ほっとしました。
> そらぽんさん、身の丈内閣に分断され破壊されないようにがんばらなくては!
> ikuohasegawaさん、長いようで、あっという間でもありました。
> j-garden-hirasatoさん、その前に姨捨、大町、白馬をまわりました。便利になりましたね。
by saheizi-inokori
| 2019-10-28 05:55
| こんなところがあったよ
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Comments(10)