長野の先生はご無事だった
2019年 10月 13日
さいしょは軽い植木鉢くらいでいいかと思ったが、テレビの脅しもあり、これもあれも、と持ち上げるのに苦労するようなものまでしまい込んだ。
この際、ベランダの片づけにもなるし、と。
あとは、ゆっくり本でも読むかと思ったが、どうも時々刻々の台風情勢が気になって身が入らない。
怖いもの見たさ、野次馬根性もあるのだ。
カミさんが止めるのを振り切って、なんて大げさだが、雨の中を近くをぐるっと回って、スーパーも覗くと、男女半々くらいでレジに行列、日配品は補充されていたが、インスタントラーメンや養生テープは空っぽだった。
夜は一杯飲んでいるうちに多摩川が氾濫、あそこからは急な坂を上って、4キロ近く離れているからと思うが、気持ちのよいものではない。
と、自分だけ助かることを考えて酒を飲んでいるのは、台風前夜フレンチでワインを啜るアベと変わらないのか。
15号のときは窓を叩く雨の音に驚いて目が覚めたが、昨日はトイレに行きたくなって、起きたのが1時半、それほどの風が吹いていないのでふたたび落語をマクラに寝た。
5時起き、近所を一回りしてテレビを見て驚いた。
長野がひどいことになっている。
ヘリコプターの映像では見分けがつかないが、僕の育ったところも危ないのか。
友人の無事を確かめようと、住所録をめくったが、電話番号を書いていない。
昔は電話番号を書かないこともあって、そのままを直しては消し、消しては追加し、、そしてスマホが住所録に成り代わっている。
小学校の先生が同じ地名、ご無沙汰を詫び、ご無事を確かめた。
千曲川があんな風に氾濫するなんて思いもかけなかった、学校の裏の浅川はときどき溢れたねと思い出話も。
90を越した先生は、車の免許を返上して、「世の中にうとくなっている」と、かつてのように同級生の消息をすらすら話すというより、僕の情報も知りたがる。
友人の住所のあたりは大丈夫だろうということで一安心。
話していて気がついたのはその友人は中学の同級生、先生とは学校も違うのだった。
ぜひまたみんなと「いきあいたねえ(あいたい、の長野の言い回し)」となんどもおっしゃり、「はい」と、同級会の幹事をやる気も力もない僕。
なんどかエリアなんとかで、避難準備などの警報があったが、その対象地区を世田谷区のHPで調べるのに、アクセスができない。
区長が自分のツイッターで、ハザードマップやHPの当該ページをツイートしてくれたので助かったが(僕の地区は対象外)、そういうことの出来ない人は知らないままにすぎたかもしれない。
地区のスピーカーの放送は聴き取りにくい。
避難所が、川の近くだったり坂の上だったり、老人が土砂降りのなかをしかも夜中にたどり着くのは無理だろう。
「明るいうちに避難せよ」となんどもいってるくせに、警報の出し方が遅すぎるのではないか。
避難所には寝具も飲食の用意もないという。
大勢の住民のために行政でそれを用意するのも、適当な場所を探すのも大変だろうが、なんとかならないかな。
台東区ではホームレスは避難所に入れないということについて異議を唱えるツイートが多かった。
罪なきホームレスを身代わりに殺して死体を用意するという東野圭吾 の「容疑者xの献身」を想起した。
国会の質疑の要点を文字起こししてくれた。
下部をクリックしてお読みください。
ブログを更新しました。
— 山岸一生 りっけん 立憲民主党 (@isseiyamagishi) 2019年10月11日
10月11日に行われた衆議院予算委員会について実況中継と解説を行いました。#山岸一生#質問王にオレはなるhttps://t.co/niC3Nphgot
我が家周辺は、台風が通過するころ1時間弱くらい強い風が吹きました。
9時過ぎに犬の散歩に出かけましたが、落ち葉がある程度。
バス停が丸ごと倒れていたのと国道を走る車が殆どなかったこと、電気が消えていていつもよりかなり暗かったこと、それらで大型台風を実感しました。
最近、23区内で地震が起き、台風の最中にも。台風も直撃。東京ちょっと変ではありませんか?
お家でお酒を飲むのとヤツがフレンチ行くのは、全っ然違いますから!
山岸さんが立憲民主党と名乗って頑張ってくれているのがチョッとうれしい今日この頃。
ピックアップしてくれている質問はわたしもお気に入りでした。(^^)
山岸の気持ちに答えて拡散しました。
彼はブラインドで入力できるんでしようね。
わたしは、ぽつぽつ片手半、その都度違う指ですから、ミスも多くて時間がかかります。コピーはありがたいのですよ。
”おかみ=官僚に頼らないあり方こそを各地で根付かせていく”災害対策の見直しには社会のあり方の変革が大きく含まれることを見据えておく”近代治水思想の限界 の章
守田敏也 海象社 いまそこにある危険とどう向き合うか より
明治維新後、西洋テクノロジーに習った治水・利水技術は、日本の大地、日本の急流川の条件とは異なるものだったと書かれてあります。
こういった川の改修工事の歴史とか、何故そうなったか、知らなければならないことを知らせる報道も重要だしね。
いかに災害を逃れて暮らすか?
変化を恐れてはいけないのでしょう。