世阿弥覚悟の天皇批判 能「蝉丸」
2019年 09月 21日
醍醐天皇は、廷臣の清貫に盲目の第四皇子・蝉丸を捨ててこいと命じる。
清貫が蝉丸と逢坂山に差しかかると、蝉丸が「いかに清貫」と呼びかける。
その声は侵し難い品格を感じさせた。
このあとも僕は蝉丸(大槻文蔵)の美しい謡を堪能する。
さて我をこの山に捨ておくか。清貫は、「我が君は昔から国を治め、民を憐れむ聖天子であるのに、意外な命令です」と答える。
蝉丸は、「父・帝は盲目に生まれた私の過去の罪業を消滅させようというお慈悲なのです」と答える。
美しく哀切な謡が蝉丸の面にぴったりだ。
涙ながらに清貫が去っていくと、山の中に一人っきり、盲目の皇子は泣き崩れる。
そこへ、博雅の三位が来て、蝉丸を憐れみ藁屋を作って、用があるときは申しつけてくれと言って去る。
怒りのために狂乱し、髪が逆立ったのだ。
狂人の印である笹を右手に持って肩にのせているのだが、その笹がぶるぶる小刻みに揺れている。
よく見ると垂らした左手も震えている。
怒りの表現か、それともシテ・野村四郎の体調のせいか、後者だとしてもむしろ迫力があるといってもよい。
逆立つ髪を子供たちに嘲笑されると、「花は地に埋まって、そこから木が天に昇り、月は天にかかっていても、その影は水底に沈んでいる。私は天皇の子として生まれ、今は平民となった。これは順逆の理によってそうなったのだ。私の髪もまた順逆の理だ」という。
「物狂い」は、心の清い人間が、この世で心の汚い人間の迫害を受けてなるもの。
「狂」の中に本当の人間がいる。
義満に愛され(順)、義教に疎んぜられていた(逆)世阿弥が、流罪あるいは死罪を覚悟して、醍醐天皇=権力者を批判した作品だと梅原猛(「梅原猛の授業 能を観る」)はいう。
喜ぶとともに、互いの逆境を嘆きあう。
そして「行かないで」と頼む弟をおいて姉は去っていく。
二人ながら涙で終わる。
笛が嫋々と鳴り大鼓がパシッとしめる。
定めなき世のなかなかに、憂きことや頼みなるらん冒頭に蝉丸と清貫一行が謡う。
それほどに絶望的な能なのだが、帰り道はあんがいすっきりしたカタルシスを感じていた。
ここまで徹して開き直る、か。
首尾よく女は現れるが、、。
モラハラ・セクハラは時代の産物でしょうがないけれど、ちょっといまだし。
お惣菜と「会津ほまれ」。
日本人の自分でもそう思うくらいだから、
外国人は、なおのことでしょうね。
野村の手の震え、あれは持病(病気ではないんですが)の一種です。
この蝉丸、戦時中は「不敬」ということで上演禁止になっていたそうです。
野村四郎、そうでしたか、それはそれで迫真の演技でした。