ほんとの裏切り者は誰か 「贖罪の街」(マイクル・コナリー)上下
2019年 08月 19日
テイクさんのブログの写真をみてください。
とみに涙もろくなって、この間はテレビで高校生たちがアメリカ人のコーチで自分の埋もれていた力を見出す「奇跡のコーチ」という番組でも涙腺が崩壊したけれど、テイクさんが紹介してくれた写真でこみ上げた涙はもっと重い。
引きこもって家事と読書と夕方の小一時間ほどの散歩という毎日だった。
ただでさえ塞ぎがちな気分が、「死ぬまでにやっておくべきこと」みたいな新聞広告に脅かされたり、ウン〇まみれのオリンピックだの韓国であれほどの人たちが「反アベ」の声を上げてくれているのに、肝心の日本がそれに答えていなかったりで、、腹ふくるることのみ多かりき。
過激化すれば民心が離れるかと思ったが、そうは問屋が卸さない。
平和な、他人に迷惑をかけない示威行動の限界を感じる。
刑事警察に身を置いた人間が、弁護側で働くのは一種の裏切りという見方があって、ハリーは渋るが、いろいろあって「あちら側に渡る」、原題が「THE CROSSING」たる所以。
僕は現役時代は経営側の端っこにいたのに、考えていることやブログの記事は労働側、しかもこの偏った時代では左寄りになってしまったかもしれない(内容はそんなに変化しているとは思わないけれど)。
ハリーも僕も現役の頃から、ちょっと変わっていて、同僚や組織のなかで孤立することがあった。
ミステリとしての出来もさることながら、このシリーズが好きなのはそういうところかもしれない。
もっとも、ミステリに限らずエンタメには村八分になってもがんばるヒーローが多い(僕はヒーローどころかハズレ者にすぎないが)。
現実には身過ぎ世過ぎで独り狼にはなれないから、憧れるのかもしれない。
そのくせ、目の前にそういう人物が現れると「変わりもんだから」として、嫌って支持しないのだ。
逆に、毒にも薬にもならない無能な人物が、なにかのときに保身のためになすべきことを果たさなくても、自分たちのグループにいると「あいつはいい奴だから」と庇う。
それが自分たちに害となってはねかえってきても。
ほんとの裏切り者は誰かっていうことなんだけど。
そのこと自体は悪いことではないと思うが、その発言内容は軽薄でアベ政権を利するものが多い。
お笑い芸人などは、どうしたら客の心を開いて笑わせるかのプロであり、そのためには自らを「いい奴」に仕立て上げる。
そういう「いい奴」の垂れ流す、いい加減なアベチックな発言(つまり現状容認)を「いい奴の言うことだから」と受容して一緒にネトウヨ的になっていく世の中のことなんかも、思いつつハリーの大活躍を読んだ。
いや、ほんと、ハリーが向うに渡ったと聞いた途端にかつての同僚が縁切りメールを送り付けてくるのだ。
もっとも、そこがアメリカかな、日本だとこそこそ話で八分にする。
古沢嘉通 訳
講談社
何をこの頃考えていたのか。戦争も、貧乏も、生活の大変さを考えない子供であったと思われます。知っていたら生きるの大変。楽しく遊び通してた記憶だけです。私まだは生きているけど、この子はいないのですね。申し訳ない気持ちになっています。ちゃんと生きていないから。
今どこにどうしているのかなー あのころみんなおかっぱ頭で
まん丸い顔して ボロボロの服着て藁草履履いて
走り回っていました きっと公ちゃもどこかで70歳くらいになっているでしょう
saheiziさんの仰られる事一つ一つが胸に突き刺さります
腹ふくるることばかり どうなっちゃうのー?