奇跡の人たち 「エリザベスの友達」(村田喜代子)

野生の山羊は絶壁を登る。
介護付き有料老人ホームのリビングで、てんでんばらばらに呆然としている認知症の老人たちは、その山羊たちのようだ。
絶壁はね、年寄りが一人一人抱えているのよ。決してあの人たちは一塊にまとまらず、眩暈のするような自分だけの絶壁にたった独りで張り付いてる。滑落しそうで、でも夢のようになぜか全然墜ちなくて、わたしたちが助けに行けない場所に引っ掛かってる。
97歳の初音さんを見守る姉妹の会話だ。
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初音さんは天津の租界で奥様同士が英語名で呼び合う(戯れに)ような、当時の日本人が思いもつかないような豪奢な夢の生活を送っていたが、敗戦で昨日まで住んでいた屋敷や財産を捨てて、着の身着のままで帰国する。
さいしょの船に乗り切れず、いったん昨日までの家に帰り、昨日までの召使に拝みこんで一夜の宿を乞う。
そんなことを思い出しつつ、懐かしい天津の友だちにあおうと裏口から忍び出るから油断はできない。

牛枝さん(親が牛なら国に取られないからとつけた名前)がうとうとしていると、、軍馬に取られた、姉弟のように暮らしていた馬、ハヤトに、ナルオに、ミツルが揃ってやってきて、「姉っさ、しばらくぶりでやんす。今日はとうとうみんなで話し合うて、おめえさを迎えにめりやした」という。
馬の眸というものは何と大きくて、優しくて、従順で、つぶらで、愛らしいものだろう。こんな大きな体をして、こんな子どものような魂をいつまでも持ち続けている、こんな子らを海を越えた遠い戦地に行って死なせ、あるいは生きたまま見殺しの置き去りにして、人間たちは帰ってきたのだ。
牛枝さんは寝たまま手を差し伸べる。温かい生き物の体熱が掌に沁みてくる。
許せ、許せ、人間ば許してくれろよ。
そういって、馬の背に跨って旅立つ。
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僕は亡母が遺した「女達の手紙文集 花 総集編」を引っ張り出す。
遠く離れた、または近所の女たちに呼びかけて手紙を書いてもらい、それをガリ切りしてみんなに配ったものをまとめた文集だ。
そのなかに、終戦の日前後にどうしていたかを書いてもらったものがある。
東京、大阪、富山、高雄、空襲の記憶や食べ物に困ったことなどをいろんな方が書いている。

亡妻の母が敗戦を迎えたのは満州の奉天(今の瀋陽)、七歳を頭に四人の子供がいて、まもなく奉天大会戦が行われるという噂、隣組から婦女子は朝鮮に疎開せよという通達があって、七歳の長女と義母が一人づつおんぶして駅まで歩くが汽車は関東軍が使っていて一般人は乗れない。
大連に行こうか、あの人ごみの中に入ったら子供が踏み殺されはしないか(「エリザベスの友達」のなかに無蓋貨車のなかで幼児が踏みつぶされる話が出てくる)、などと困惑しているときに、とつぜん暗闇の中から男が現れ「奥様!いま動くのは危険です。二、三日で情勢が変わります。家でじっと待ちなさい」と言って消えた。
あの声は間違いなく天の声だった。
青酸カリをいつ飲もうかと、神棚に置いて四人の子供の寝ている蚊帳のすみで明け方まで眠らなかった、と書いている。
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亡母は24歳、朝鮮の木浦にいて夫と僕・二歳、お腹の中に六カ月の弟がいた。
強度の近視で、丙種だった父にも召集令状が来たのが8月13日、近所の人たちに出すご馳走の算段に気を揉んでいた。
敗戦後、狙われているといわれて、早目に引き揚げることにしたのが9月始め。
まだ暑いのにできるだけ多くの衣類を身にまとって、汗びっしょりで駅に向かった。
私は長男を背負っておなかにもう一人、夫は大きな黒いリュックと今から思うとコッケイだが、ナベやフライパンをリュックに結び付けて、、。それらは、引き揚げの途中、駅に寝たりしながら、一つ、又一つと捨てられていく運命にあったのだ。
と書いている。
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僕と亡妻が結婚して子供たちが生まれ育って孫も育っているのは、奇跡としか言いようがない。
奇跡を生き抜いて奇跡を起こし奇跡を遺してくれた老人たちの物語が本書だ。
会話ができなくなっていた老人たちがボランテイアの歌う懐かしい歌に幽かな記憶の糸をゆすぶられて歌を歌いだす。
初音さんも「チンライ節」を歌いだす。
喜んだ者たちが名前を尋ねると「あたしは、、エリザベス」と答えた。



母たちのチンライ節はなんだったろう。


Commented by antsuan at 2019-06-30 12:22
奇跡ではなくて悲劇と言うべきではありませんか。
私の親戚もシベリアに眠っています。
支那大陸に居た40万人の日本人は無事に引き上げて来れたのに、満州や朝鮮にいた日本人は悲劇に遭ってしまいました。樋口季一郎中将か根本博中将が満州にいたらこんな悲劇は起こらなかったと思います。
Commented at 2019-06-30 13:51
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by soymedica at 2019-06-30 15:58
そうですか。昭和8年生まれの母も新京から終戦の翌年に両親と引き上げてきました。「開拓地から引き揚げてきた日本人が怖かった(あまりにボロボロだったので)」と記憶するほど恵まれた引き上げだったそうです。
なぜ翌年だったかというと、家族をおいて「新生中国をちょっと見てくる」と、祖父がどこかに行ってしまったそうで…。
最後の引き上げ船に間に合って、一家で乗り込んだら、高粱入りのご飯が出てまずくて食べられなかった、と何回も聞かされました。
Commented by ikuohasegawa at 2019-06-30 16:14
満鉄職員の父、母、姉たちが終戦を迎えたのはハルピンだったそうです。往時のことは多くを語ろうとしませんでした。
Commented by saheizi-inokori at 2019-06-30 16:52
> antsuanさん、帰ってこれたのですから、奇跡と喜び感謝したいです。
Commented by saheizi-inokori at 2019-06-30 16:55
> 鍵コメさん、驚くほど同じような経験をした人がいますね。
でもそのうち引き揚げの苦労など喋っても分からない人ばかりになってしまいます。
満州雄などという名前もなくなってしまう。
Commented by saheizi-inokori at 2019-06-30 16:57
> soymedicaさん、恵まれた引き揚げもあったのですね。
本書に描かれる初音さんの引き揚げの船の惨状はひどいです。
もうそういうことが分からない人が多くなりましたね。
Commented by saheizi-inokori at 2019-06-30 16:59
> ikuohasegawaさん、亡母の父親も満鉄だったそうです。
本書には、とつぜんみんなに謝りはじめる老人が登場します。
Commented by hanamomo60 at 2019-07-01 22:32
こんばんは。
娘の小学校5.6年の時の担任が終戦を迎えたのも奉天だったようです。千代田小学校という名前の学校があったようです。
saheiziさんのルーツを感慨深く拝見しました。そうですね、いまこうしてたくさんの家族ができた事は奇跡ですね。

村田さんのエリザベスの友達、図書館に予約しました。
いい本の御紹介ありがとう。
Commented by saheizi-inokori at 2019-07-01 22:51
> hanamomo60さん、今白岩焼きの花瓶について読んできたばかりでした。
私のおいたちが、けっきょくこれまでの人生を規定してきたのだなあと、慨嘆することが多いです。
母はそんなつもりは毛頭もなかったのに、弱虫の人間でした。
Commented by jyon-non at 2019-07-02 12:13
胸を締め付けられるお話ですね。そしてまぎれもなく戦争で翻弄された市民の人々の話。ある日を持って人生は一変し、家族は離散。あるものは戦地へ誘導され、信じられない状況の中、殺され、殺さなければならない。それもこれも、時の権力者たちが、決定したこと。今の夜は、表面は戦争もなく清潔な社会で生きて行ってるような錯覚に陥りがちですが、とんでもない。怖くて 
物も言えないような時代の入り口に連れてこられていますね。
Commented by saheizi-inokori at 2019-07-02 13:47
> jyon-nonさん、まさかこの日本の総理大臣に戦争に賛成する人がなろうとは、この老人たちは思わないでしょうね。こういう人が六年も一強として民主主義を壊し続けるなんて!
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by saheizi-inokori | 2019-06-30 11:35 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori