戦争を煽る維新のエリート代議士
2019年 05月 14日
雨が降っているせいもあって、今朝は目は覚めてもベッドの中でグズグズしていた。
雨もまた、いや雨が好きだなんて言ってた俺はどこにいったか。
新聞を取りにおりたついでに空や濡れた道を眺めていたら、掃除のおばさん(87歳)が「どうでしたか」、は?一瞬なんのことか分からなかった。
きのう、クリニックに行くときに遇って、そういったのを覚えていてくれたのだった。
「血圧は?」と尋ねられたその会話がよみがえった。
大したことはなかったというと、「よかったですね、お大事に」と微笑んでくれた。
彼女が改まって「じつは先週亡くなりました」、数年前にも同じようなことがあって、そのときは犬が突然死んだという挨拶だった。
え?ちょっと戸惑っているとご主人がガンで亡くなったのだという。
ときどきお会いする、元気そうな方だったが、膵臓癌が見つかった時は余命二週間と言われた由、「今でも海外出張から帰ってくるような気がします」「この犬がいてずいぶん救われました」、、気の利いた言葉も返せずひたすら頭を下げ続けた。
マンションの建て主が、盛大な葬儀に行ってきた、現役で58歳だったと教えてくれた。
次男が会社の関係で知っている人で、やはり葬儀にでた、でもここに住んでいるとは知らなかったと驚いていた。
都会は人間関係がドライで、その方がさばさばしていいのかとも思うが、ちょっと寂しい気持にもなる。
僕が死んだら、「そう言えばあのワンちゃんを連れていた、面白い帽子を被っていた、ゴミ出しをしていた」お爺ちゃんのことを誰か噂するのかな。
ずいぶん前から「日本精神史」の「宗達と光琳」のくだりのことを書こうと思いながら、いざ書こうとすると気が乗らない。
幼稚園の子供の絵の方が僕にはあっているのかもしれない。
改憲派の本音が出たのだろうが、国会議員の発言として歴史に残る重大発言であり、国際問題にもなりかねないと思う。
ツイッターでは、「やめろ!維新幹部も責任を取れ」(過去にも酔っぱらって人を噛み、二度と公私にわたって酒を飲まないという誓約書をかいたことがある、そんな男を推薦している責任は維新にある)の声が吹き荒れているが、けさの新聞は朝日、東京ともそれほど大きくない。
経産省庁内で現役エリートが麻薬注射をしていたというニュースも芸能人のそれに比べると新聞もテレビもささやきみたいなものだった。
そういえば、この丸山も元は経産省エリートだ。
なんかどんより厚い雲がたれこめている日本の空だ。
ドリス・デイ、高校生の頃、よく聞いたなあ。
馬鹿な国会議員を弁護する代表が「表現の自由」という言葉を使っているのに驚きました。
どんどん腐っていく日本を目の当たりにし続けていて滅入りますが、そんな事はしばし忘れて楽しいことを考えています。救助すべき花の植え替え先とか夏の花壇をどうするかとか他愛のないことを。
市井の居酒屋談義では昨今、そんな話はいくらも交わされています。丸山氏のような人が国会議員に選ばれてしまう土壌が今の日本にあるということなんでしょう。
人よりちょっと過激な勇ましいことを言って、もてはやされ、のぼせあがり、間違って国会議員になってしまった若者の典型だと思います。
本人も悪いが、もてはやした人間も悪い!!
集団安保決議のときに強行採決の口火を切ったヤクザもんです。
ご近所さんは戸建てばかりのせいか
年に何回お顔を拝見するか?話は皆無ですから
どちらの家族関係も知りませんし、
まして両隣のご主人が亡くなった時にも
全く知りませんでした。
(我が主人が59歳で他界の時は、私からお知らせし
葬儀にもお越し頂いたのですが、、、)
私が1か月以上入院でいなくても気づかなかった様で
きっと、私が孤独死しても白骨になるまで
誰も気づかないのでしょうね(^^;
戦争をして北方領土を取り戻すなんて馬鹿な事を
若手議員が考えていたことに驚きました!
そういう空気が国会内に蔓延しているという事か?
トカゲの尻尾切ってお終いにせずに、親分を正して!
Gonna take a sentimental journey
は子ども心に口ずさんでいました。戦後のジャズの思い出は、これと「ボタンとリボン」の「指輪と飾りでバッテンボー」です。
維新の議員は揃いも揃って酷いのばかりですね。ああいうのを選んだ方も悪いですが。