不在に気づかないリアル 「あなたを選んでくれるもの」(ミランダ・ジュライ)
2019年 05月 13日
せんじつの生化学検査結果に内視鏡の写真までもって近所のクリニックへ。
ここに来るのは久しぶりなので(かみさんの順番取りにはなんどか来ている)、目下の体の状況をしゃべる。
循環器、呼吸器、整形外科、眼科、、それぞれの治療部位と薬を、、先生は丁寧に入力しつつ聴いてくださる。
あっちこっち、いまさら驚くくらいに医者の世話になっている。
それをまとめてやさしい女医さん(15年前に開業して以来のつきあい)に報告していると、なんとなく安心感がわいてくる。
葛根湯医者もまんざら根拠がないわけじゃない。
先生の指先をみて視線を動かし、目の検査も。
脳の末しょう神経にちょっと問題があるかもしれない、内耳にウイルスが悪さをしたかもしれない、どっちにしても様子をみてまた症状が出たら、神経内科に行くか耳鼻咽喉科にするか、いずれにしてもうちにきなさい。
懐かしいトラベルミンを処方してくれた。
近くに信頼できるホームドクターがいるのはほんとに有難い。
三年前に読んだミランダ・ジュライ「あなたを選んでくれるもの」、せんじつ紹介した「最初の悪い男」つながりで図書館からひょいと借りてきたのだが、そのときは読んだことがあるとは思わざりし。
じつに面白くて、これならもう一回でも二回でも読みたい、こっちはノンフィクション、しかも楽しい写真がたくさん載っている。
「Lサイズの黒革ジャケット 10ドル」「インドの衣装 各5ドル」「ウシガエルのオタマジャクシ 一匹2ドル50セント」「ベンガルヤマネコの仔 値段応相談」「87色のカラーペンセット 65ドル」「クリスマスカードの表紙部分のみ50枚 1ドル」、、を眺めて、脚本書きが進行しないイライラを紛らわせるミランダが、ふとこの広告を出した人間はどんな人でどんな生活をしているのかと、電話をする。
ほとんどは断るけれど、いらっしゃいと言ってくれた人をカメラマンとボデーガードを連れて訪ねるのだ。
これはおとぎ噺でも教訓話でもなく、本当のことなのだ。わたしは目を閉じて、そう気づかされるたびにいつもやって来る、ズシンという静かな衝撃波を全身で受け止めた。それはわたしがボンネットみたいに頭にかぶって顎の下でぎゅっと結わえつけているちんまりとしたニセの現実が、巨大で不可解な本物の現実世界に取って代わられる音だった。この感覚は、↑の「最初の悪い男」のテーマでもあった。
女性が撮った映画がこの世に皆無に等しいという事実だけが、この仕事を難しくしているんじゃない。問題は、その事実を女たち自身が、このわたしでさえ、当たり前だと思ってしまっていることだった。インタビューに応じた人たちはをパソコンを使わない、パソコンの不在を何とも思わない。
ミランダは、そのすばらしさを想う。
ネットの外にある物事は自分から遠くなり、かわりにネットの中のものすべてが痛いくらいに存在感を放っていた。顔も名前も知らない人たちのブログは毎日読まずにはいられないのに、すぐ近くにいる、でもネット上にいない人たちは、立体感を失って、ペラペラのマンガみたいな存在になりかけていた。この二つの話のつながりは分かりにくいかもしれないけれど、どっちも引用したかった。
人はみな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。そしてそれは美しい、素敵なことなのだ。でも独りだろうと二人だろうと、わたしたちが残酷なまでに多種多様な、回りつづける万華鏡に嵌めこまれたピースであることに変わりはなく、それは最後の最後の瞬間までずっと続いていく。きっとわたしは一時間のうちに何度でもそのことを忘れ、思い出し、また忘れ、また思いだすだろう。思い出すたびにそれは一つの小さな奇跡で、忘れることもまた同じくらい重要だーだってわたしはわたしの物語を信じていかなければならないのだから。こんど読み直してみたら、前回読み落としていたことが沢山出て来て、ここではまとめられない。
さいごに登場する老人が余命二週間の癌を宣告されながらもミランダが完成させた映画に出演するくだりは圧倒的だったこと。
機知溢れる文章にも笑わされたことを付け加えておしまいにする。
ここにも感じ入ったな。
岸本佐知子 訳
小銭しか残っていないようなもの・・・。そんなもんだろうと私も思っていて、でも、心細くならず、それなりに心豊かに残りを生きていきたいです。
おそるおそるコメント欄に侵入しました。
心配なのでアプリでなくウェブから操作します。その違いがわかっているわけではないのですが。
どうぞお大事になさって下さい。
今日、私も我が家のホームドクターである小さな医院で、
義母の近況など、細々と相談して来ました。
家族構成や病歴、家業などを踏まえた上でのアドバイスは
本当に頼りになります。
専門医を探して、原因を追求し、治療する事も大切ですが、
百歳超級の義母には、こういう地元の総合内科が有り難いです。
もちろん、お医者さんの力量、人柄が伴わないと駄目ですが、
先日引退した大先生と、若先生、ベテラン看護師チーム、
それぞれ個性的で信頼できる、ホームドラマのような医院です。