刑死も辞せず 「東アジア仏教史」(石井公成)
2019年 04月 12日
起きてもしょうがない、ずっと寝ころがっていてもしょうがない、亡母が老人性鬱なんていってたのは、こういう症状なのだろうか。
洗濯機をまわしてルンバのブラシを掃除していたら、やっと毎日を続ける気持ちになってきた。
きのうは読みかけの小説が面白くなってエンジンがかかってきたし、魚屋に行きがてらの散歩で新しいカフェに入りグリーンスムージーとやらを飲んだりして元気だったのに、とつぜん無気力になる。
番組改訂でFMの音楽番組にやたらに饒舌でNHK臭ふんぷんの女性が起用されたこと、スマホからブログへのログインができないのをいくら訴えてもエクサイトは通り一遍の返事しかよこさないこと、シャレや皮肉・逆説が通じない世の中であること、お金がまったく増えないのに(働かないから)減る一方で長生きするのが怖いこと、、、。
ブログに書いているような楽しいことを右の皿に、面白くないことを左の皿に乗っけて、左の皿が下がる日が多くなったのかもしれない。
なによりも「無為の徒」であることが、、。
法朗(507~581)およびその弟子であった居士の傅縡(ふさい・530年代~580年代)や、パルチア系商人の子であって中国で出家した吉蔵(549~623)らになると、三論学派は次第に先鋭化していった。彼らは、細かな解釈について論争している学僧たちがよりどころとしている『成実論』は小乗の論書にすぎないと決めつけ、言葉にとらわれて論争をしてはならないと強い言葉で批判して反発を招いた。つまり、論争をやめよと激しい調子で非難攻撃し、論争を巻き起こしたのだ。傅縡などは、皇帝にまでさからったため、刑死させられている。
若者よ、刑死も辞せず論争せよ、たとえ論争を禁ずる学派であろうとも。
ご飯を作って食べて・・・・の繰り返し
でもこれが生きるってことかなー
年寄りの課題かなー なんて思ったりしています
落語を芸能を楽しむこともお酒を楽しむこともなくですー・・・
庭の草を抜きながらの日々です
今一番集中できるのは絵を描いている時間です