「グリーンブック」とは似て非なる「ブラッククランズマン」
2019年 03月 25日
ひさしぶりにカミさんもいっしょに散歩するとサンチは大喜び、はしゃぎながらも僕が先に帰ろうとすると一生懸命ついてくるのがいじらしい。
足任せの散歩でも、頭のどっかでトイレのありかを確認する、もし目の前にあれば、ちょっとでも出しておく。
駅まで歩いて行こうと思ったら、猛烈な鼻水、マスクをかけている暇もないほど、こりゃいかんとバスに乗ってしまう。
駅前のコンビニでマスクとテイッシュを備蓄する。
歩かなかったから早く着いたが、街歩きをする気にもなれず、早くから座って待つ。
映画が始まったら、あまり気にせず見られてよかったが、終わりころにトイレに行きたいのではないかという恐れが襲ってきた、早く座りすぎたからだ。
鼻水は上映中は止まっていた。
出す話ばかりで恐縮です。
「グリーンブック」とアカデミー賞を争い、本作で脚色賞を先に獲っていたスパイク・リー監督は、当然オスカーも獲ったと思っていたら、同じ黒人問題を扱った「グリーンブック」の作品賞という発表に怒って席をたった、という記事を読んだ。
どちらもコメデイタッチで、今だに、というより今なおさら深刻かつ激化しつつある黒人問題がテーマだ。
しかし、「グリーンブック」は白人が黒人に心を開いていく、こころ温まる物語なのに、こっちは黒人警官が暴力的白人至上主義者の犯罪集団であるKkkに潜入して、彼等の犯罪を阻止するスリルに満ちた物語だ。
阻止しても、心温まらないし、白人至上主義者たちの跳梁跋扈にブレーキはかからずむしろ燃え盛る(ご存知の通り)。
黒人がどうしたら、こんな秘密組織に潜入出来たかといえば、声で潜入したというのが面白い、オレオレ詐欺だね。
優秀な黒人警官・ロンは非の打ちどころのない英語を駆使して、KKKの幹部(国会議員も含めて)を騙してヘイトに満ちたジョークの応酬で信用を勝ち取り、同僚の白人(ユダヤ人、KKKはユダヤ人も嫌い、潜入が見つかれば殺される)警官がロンに化けて悪魔たちの巣窟に出向いて、バレやしないかとドキドキハラハラさせながらも支部長にまでなりおおせる。
主役二人が楽しく適役だと思うが、警察内部の署長、部長、性悪にして暴力的なヘイト差別主義警官、KKK内部の、マニアック・暴力嗜好、性差別、憎悪を日々のエネルギーにしているような者たちの一人一人が、いかにもそうだろうなあ、こういう連中なんだろうなあ、と思わせるようで、こういう連中がふつうの市民としてあっちこっちに素知らぬ顔をして暮らしている社会の恐ろしさを感じた。
なんて、よそ事みたいに見ていてはいけない。
今歩いてきた渋谷にも人種差別、歴史修正主義、暴力大好き(どちらかと言えば無智破廉恥)な人がいるのかと思う。
トランプの「アメリカファ―スト」は、単なる経済的なアメリカ保護主義だけでなく、「白人のアメリカファ―スト」という意味が強いのだと分かった。
「ブラッククランズマン」がこちらで上映されることになったら見たいと思います。
いろいろ意味があるのですね。
そういえば職場のTVでメッカ巡礼の大集団を見ていたスタッフが「こいつら狂信者だ」というので、「向こうから見たら明治神宮の初詣もそうだよ」と言ってみました。通じなかったみたい。
本人は気がつかない。
KKKの考え(なんてものがあるのか?)や行為は軽蔑の対象です。ヘイト行為を繰り広げている日本の連中も同じくです。