読売嫌い
2019年 03月 20日
最大の理由は、新聞販売店のオヤジが嫌いだったことにある。
まだ売春防止法が成立してはいなかったが、売春宿の経営者が転身したことは小学生の僕は誰から聞いたのか、その意味も解っていなかった。
その店から少し離れた表通りに面している営業中の店の前に暇そうに屯している女がいて、夕方そこを歩くと、へらへらしながら「ボク、遊んで行きなよ」などと言ってバカ笑いをしたことがあって、いささか自尊心を傷つけられた僕は、母にあれはいったいどういうい人たちなのかと尋ねて一緒にいた近所のオバサンが笑ったことは覚えている。
読売新聞配達店のオヤジは、いつも機嫌が悪くて僕たち子供を何かというと怒鳴った。
束ねた新聞をかじかんだ手で引っ張り出すときに破いてしまったり(雨や雪の日は最悪)、自転車が転んで汚したり、間違って部数が不足すると、弁償させた。
遠足の日に休ませてくれなかった。
あまり辛いので、朝日新聞店にかわったら、仏様のような店主だった。
休みは早く言えば代わりの人を用意してくれたし、弁償はなくなった。
なにより、やさしく接してくれたのが父を早く亡くした僕には嬉しかった。
お年玉500円をもらって岩波の英和辞典を買ったときの嬉しさは500円をいれた財布をなくしたと思って絶望的になったこと、それが篭球部のボール入れのボールの下から出てきた(尻ポケットに財布をいれてボールに寝ころがったりして遊んでいたのだ)ときの喜びとともにまざまざと覚えている。
篭球部室の汗臭いような湿った臭い、新しい辞書の印刷と紙の匂いまで。
坊主憎けりゃ袈裟まで、あれから読売が嫌いなのだ。
自分の金で新聞が取れるようになってからはずっと朝日、その朝日もそろそろやめようかと思う。
スポーツ新聞のようだもの。
でも読売は取る気はない、新聞配達の恨みとは関係なく。
金子文子のことを2日に渡って書いた。
「世のため人のために何かをしたわけでも何でもない人がどれだけ凄い人なのか、私にはまったく理解できません」というコメントをもらって、深く考えもしないで「ニヒリストが世のため人のために何かしたらシャレになりません。」と返信した。
文子は自分を捨てた母親のことを悪しざまに罵っているが、縊死する少し前に母が栃木の刑務所まで(塩山から)面会にきたときのことを
意外にも母が来りき郷里からと歌っている。
獄舎に暮す我を尋ねて
逢ひたるはたまさかなりき六年目に
つくづくと見し母の顔かな
何がなと話続けて共に語る
時延ばさんと我は焦りき
なぜ文子に惹かれるのだろう。
僕は、どうせ俺は、両親も揃い家もある友人たちのように一人前の生活なんてできやしないんだから、みたいな子供の頃の気持ちをそのままもって生きて来たような気がする。
幸いにして子供にも恵まれ一家の長としていちおう衣食住にも困らない生活をしているが、これもなにか「とりあえず」「かりそめのモノ」みたいな感じが、いつもしている。
文子のニヒリズムや火のような生命力、本質をつかむ直観力と思考力に憧れているのかもしれない。
生のみが一切現象の根本である。生を肯定してのみすべては定義を持ちうる。僕は野蛮人にもニヒリストにもなれない。ま、しょうがない、野蛮人とニヒリストがそんなにいちゃァ困るか。
より強く生を肯定してこそそこにより強い生の否定と叛逆とは生まれるのである。だから私は生を肯定する。より強く肯定する。そして生を肯定するが故に、生を脅かそうとする一切の力に対して奮然と叛逆する。
生きるとはただ動くという事じゃない。自分の意志で動くという事である。即ち行動は生きる事の全部ではない。そして単に生きるという事には何の意味もない。行為があって初めて生きていると言える。したがって自分の意志で動いた時、それがよし肉体を破滅に導こうとそれは生の否定ではない。肯定である。
「何の意味もない」かも知れないが、もう少し生きるとしよう。
男優さん(名前は忘れました)の眉間に縦皺があるだけでファンになったり。
昨日のコメント欄を読ませていただいて、数分間クククっとなっています。
「ニヒリストが世のため人のために何かしたら・・・」イメージしただけで笑いのツボに。
残念。
石碑のない土饅頭を丈の高い夏草の茂る中探すのはまず不可能で、がばと身を崩して墓を抱きしめるというのも困難でしょうから、おそらく季節は夏ではなく晩春、そしてここに書かれている花はハルジオンのような膝くらいの背丈の花なのでしょう。
私は何度も人知れず埋もれている旧跡を捜し歩いたことがありますから、その光景は容易に想像できますし、事実誤認も見抜けます。
瀬戸内寂聴は、そういう意味でちょっと盛りすぎです。
今、韓国の若者たちの間では「日韓併合時代は本当に日本だけが悪だったのだろうか。韓国人には本当に何の責任もないのだろうか。我々はあの時代から、もっと多くのことを学ぶべきではないか。」という声が高まっています。
これに対し韓国国会は「歴史歪曲禁止法」なる法案を上程、日韓併合時代を肯定的に捉える団体と個人を刑法で取り締まろうというもので、これはネット上での言論にも適用されます。
私は韓国と日本の紛争を望みません。
韓国と日本が、平和的に、争うことなく幸せに生きる道があるなら、出来うる限りの協力を惜しまないと思ってます。
金子文子なる人物の生き様は、果たして韓国と日本の協調や共存に、どれだけの貢献をしたというのでしょうか。
購読してるのは朝日。新聞購読者が少なくなる中支えて下さいよ、佐平次さん!
朝日としては売るためにスポーツ記事を増やし東京新聞記者に対する菅の暴挙をスルーしているのでしょう。ならばこちらは!でも悩ましいところです。
朴烈は民族主義者だそうですが、それでは朝鮮は蒸気船が開国を迫る前の社会のままでいたほうがよかったとでもいうんでしょうか。
3・1独立運動のとき、朝鮮民族はどのような自治の在り方を世界に示しましたか。ただ朝鮮は独立国だと主張しただけで、現実的な策は何も示さなかったではありませんか。
ですから1945年に日本が撤退した後にあのようなことが起こったのです。
今度東横線に乗る機会があったら途中下車して乗り換えて鶴見まで行ってください。朝鮮人を暴徒から守った警察署長の顕彰碑がありますから。
DPRKのラングーンテロや大韓航空機爆破事件を「なかったこと」にできるのに、関東大震災時の日本の蛮行はいつまでも覚えているのは韓国人のメンタリティではなく、韓国政府が韓国国民を情報操作しているからです。
言論の自由が未だに無い韓国国民がかわいそうです。
金子のやったことについてお尋ねだったから、思ったことを書きました。
日本が朝鮮を支配統合したことを私は間違いだと思いますが、そのことについてこのブログで議論する気はありません。
まして、足を踏まれたのはへんなところにへんな足を出してるお前が悪いのだ、俺が踏んでいたからもっとひどい奴から踏まれないで済んだのだ、というような議論をする気も。
個々の日本人に朝鮮のために尽くした人は少なからずいると思います(金子文子も)よ。
5時前に配達でしょう?頑張られましたね~!
それにしても読売の店主は鬼でしたね!!
私は何も理由はないのですが、朝日好きで
30年ずーーーっと!
でも主人が他界したあと、yahooニュースでいいやと
ペーパーレスしてます(^^;
私は、子供の頃(小学生、昭和30年代後半)の頃から家が朝日新聞だったもので、ずっと人生の半分以上は朝日新聞派でした。週刊朝日も定期購読で毎週家に届いていたので、野坂昭如の小説や写真紀行などもよく読んでいて、週刊朝日の大ファンでもありました(表紙もね)。
新聞ってものは、「慣れ」とでもいうのか、何故か、ずーっと固定的な購読ファンになっちゃうんですね。その頃は、もちろん読売は絶対にダメダメ派。紙面を見て馬鹿にしていたようにも思います。
でも、今はもう完全な「アンチ朝日」なんですよ。そして、同時に読売派となりました。3年半前の安保法制の審議の頃も、私の見るところでは、最も正当な記事にして、正しく伝えてくれていたのは読売だと(私は)認識しています。それと、わが県における約10年くらい前の地方政治マターでも、でした。地方版の記事でも読売はとにかく良かったんですよ。支局員であろう記者が署名入りで立派な記事を書いてくれて、その姿勢には留飲が下がる思いでしたよ。
朝日は、歴史も力もある大報道機関でありながら、女子挺身隊と「慰安婦」を混同して誤報道をしたのが、痛恨のミスでしょうね(と私は思っています)。いわゆる「従軍慰安婦」という言葉まで作っちゃって、、ヒドイ。「従軍看護婦」という言葉は有ったとしてもね、、と思います。
私の母は女学校の時に「挺身隊」に動員されています(本州北端あたりの軍需工場)。そうした女性たちも、もっと朝日を叱らないとダメだよ、、と私はずーっと思ってきました。
新聞とか、政党とか、、何か一つのことで、コロッと完全なアンチになっちゃうことがあるんだねぇ、、と、感慨深く、自分の人生を眺め直しています。
ともあれ、もちろん、思想、信条は自由。日本は良い国ですよね。
私は、読売派というよりは、より正しくは「アンチ朝日派」かな。この新聞選びの点では、「わが人生に悔いはなし」と思っているんですよ。
イチローの引退をこれでもかこれでもかと特集する一方で沖縄や福島、アベノミクスの真実など政権に都合の悪い事実はスルーして、菅官房長官のなりふり構わぬ言論統制を結果的に容認してしまう、そういうジャーナリズムの使命を忘れたメディアは、これが歴史で学んだ大政翼賛への道のりなのかと恐ろしいのです。
間違ったことを、とくに意図的に報道するのは論外、それではジャーナリズムの資格すらないと思います。
ジャーナリズムは、木鐸、体制の監視者としての使命を忘れないでほしいのだけれど、NYタイムスの記者が菅に東京新聞の記者に対するけん制があるのかと質問したことも今朝の朝日はスルーしてます。
ともあれ、そんなことやら、さまざまなことで、自らの考えで新聞を主体的に選んでいくことは、当然の良いことと思っています。そのことこそが重要なことと考えています。
それと、もう一つ、「ジャーナリズムは体制の監視者としての使命」などと(新聞社には)思ってほしくない、、と私はきっと考えていますね。「監視」は有権者たる私たちがします。新聞社は、報道役、ガイド役ぐらいで結構ですから、、というようなスタンスかな。政党の選択もそのような、、です。
私、自分のこと、今、気が付きました。「私自身は「メディアの監視者」になっているなー」って。テレビで、キャスターが単に「従軍慰安婦問題」と発言したりすると、「いわゆる(従軍慰安婦問題)」を付けろーとか、単に「慰安婦」と言えー、、等と、ついテレビに向かって言ってしまいます。人、それぞれ、本質の捉え方にも相違はあると思いますが、それぞれがその本質をきちっと捉えての議論が深化されていくのなら、きっと良い社会になっていくのだろうと思っています。