文子の墓に参る 「余白の春 金子文子」(瀬戸内寂聴)
2019年 03月 19日
瀬戸内寂聴は、文子が自殺しようかとまで思いつめた悲惨な暮らしをした朝鮮の村と墓を朝鮮人関係者と訪ねる。
その墓は寒村からさらに車で5時間も山を越えて走り続けた、その先の山道を小一時間も歩いたところにあって、郭公と山鳩の声が追いかけて、鶯の声が天から降ってくる樹海に分け入るような感じのところ、土饅頭が盛り上がり、丈高く夏草がびっしり生い茂って、その夏草には紫や白やピンクや黄の、小さな花々が咲いて、ほたるのように土饅頭を飾っている。
そこまで瀬戸内を案内してきた、かつての文子の同志老人が、白い野茨をさしだしたかと思うと、突然、がばと身を倒して、土饅頭に全身を投げかけ、しっかりと墓に抱きついて「文子さん、文子さん、来ましたよ。あんたはこんな淋しいところにひとり何十年も眠りつづけて…」号泣しながら語りかける。
文子の選んだ死刑は文子の魂の生であった。しかし、与えられた無期刑の生はむしろ文子にとっては魂の死であった。文子はこの死に挑戦して、ふたたび自分の意志で死を選び獲ることによって、永遠の生を掴み獲ろうと図ったのである。と、獄中の縊死を描き、そのあとに、1972年に瀬戸内が栃木刑務所墓地に埋葬されていた文子の火葬される前の遺体を掘りだした場面にいた男に案内されて、その場所に行ったことを書く。
その死は、だからこそ、赫々とした生命そのものの夏の朝陽に向かって遂げられたのであろう。
私たちはしばらくそこに、ことばもなく立ちつくした。中天に近づいた冬の陽光が春のようにあたたかく降りそそぎ、樹々の影がすがれた雑草におおわれた地面に短く落ちている。あたりは私たちの外、人影もない。街道を走る車の音もここまでは聞こえてこない。静かだった。物音ひとつしない静寂がふとこの世のものとも思えなくなった。颯と風が鳴ったように思い、私は天を仰いだ。貧相な檜葉の枝をゆるがせて、鳥が一羽声もなく枝移りした。ここまで読んだ僕は上に引いた朝鮮の墓参りの情景を思い浮かべた。
そうだった、続く文章は
ふいに私の耳に降るような遠い鶯の声がよみがえってきた。細い鶯の声を縫い、時々山鳩と、郭公の声が聞こえる。それらが止むと、しんと、耳の底から鳴るような静寂があたりを包む。私はたちまち自分が南鮮の山奥の秘境の、あの樹々に囲まれた文子の墓地に運び去られるのを感じた。これにて一巻の終わり。
名も知らぬ雑草におおわれた土饅頭の上に、身をなげかけて慟哭している陸老人の号泣が、私のまわりをひしひしと取り囲んでくる。樹々を渡る颯々の風の音がそれに重なる。
こんな僕でも少しは文子の墓に参ること許されたような気がした。
虚無主義者であり無政府主義者。
大逆事件にしても、使用目的が定まらぬまま先行して用意していた爆発物を警察に詰問され「皇太子(後の昭和天皇)を狙った。」と何の計画性も持たぬまま大風呂敷を広げただけ。
獄中の縊死も死因の真相はわかってないのが現状です。
だいたい、世のため人のために何かをしたわけでも何でもない人がどれだけ凄い人なのか、私にはまったく理解できませんが、
桜の美しさだけはよくわかります。
色んな事が有りそう、、 人の世だから、、
先ずは自分自身を家族を大切に、 金子を「きんす」と呼んで「とうた」りして俳句、文学は難しいですね、、