茶の湯
2019年 02月 28日
昨日はこんな塩梅ではとリハビリを休むことにした、ちょっと肌寒いしサンチが可哀そうだし。
しかしリハビリの往復の5千歩ほどの散歩をしないとどうもムズムズして落ち着かない。
「ちょっとだけ、家の周りだけだよ、待っててな」とサンチにいうけれど、コートを羽織る時点でもう拗ねてこっちを向かない。
ちょっとのつもりでも歩きだすと、もう少しもう少しと6千歩、アル(歩)中だ。
読んでいる時だけ、知れば嬉しい言葉なのだ。
それが再び日本人に広まる、そのきっかけは臨済宗の開祖・栄西が宋の禅院の喫茶の風とすてきな茶種を伝えたこと、禅寺の荘厳な宗教儀礼が、武士や貴族に広がり、娯楽や趣味として、「茶寄合」「闘茶」など猥雑・豪奢・異国趣味の茶寄合は南北朝時代に一世を風靡、しかし東山時代には衰退する。
代わって登場するのが「わび茶」。
村田珠光、武野紹鷗、千利休、受験日本史でもお馴染みの三人のそれぞれについて長谷川は、わび茶の成立発展について『珠光心の文』の全文現代語訳などをして教えてくれる。
慢心と執心の戒め、和物と唐物の区別にこだわるな、経験を積み重ねて道具のよさを知りつくし、心の自然な動きがそのまま「冷えて枯れた」ものになってこそわび茶、初心者は道具などにかかずらうな。
なんか今の僕らのいろいろにも通用するような戒めだと思う。
茶の湯に禅の精神をもちこむことによって賑やかで騒々しい茶を冷え枯れた茶へと方向転換しようとしたのが村田珠光だったとすれば、同じ禅の精神を茶席での一つ一つのふるまいや所作にまで行きわたらせ、冷え枯れた茶を客観的な形をもつ世界として作り上げようとしたのが武野紹鴎だった。その客観的な世界に身を置くとき、紹鴎は、みずからわびを生きていたにちがいない。茶会が精神と外形の調和の上になりたつのに見合って、茶会に身を置く茶人紹鴎は心身の調和を享受しえていたにちがいない。茶の湯の大成者・千利休は、その調和がなりたたなくなった時代にあって必死に調和を求めた。
政治の一環として豪華な北野茶会や金色燦然たる茶室を作って得意満面な秀吉に仕える利休が作ったのは、京都妙喜庵の茶室・待庵(たいあん)だ。
ここにおいて、長谷川は、もともと茶の湯は、飲むこと食べることという、原始より生きていく上に欠かせなかった日常的行為に源を発するものであったことに想いを馳せる…
日常的な飲み食いを「わび」の名で呼ぶ必要などまったくないが、あえてそれを性格づければ、質素で、地味で、ありきたりの基本行為が「わび」に通じる面を多分にもつのは明らかだろう。
派手で豪華な茶室であれ、枯れさびた茶室であれ、また、珍宝・名器を道具とするのであれ、ありふれた雑器を道具とするのであれ、限られた空間と時間のなかでの、体をもって一個人の動作・所作の美しさこそが問題だとなれば、そこにはもう権力も権威も、身分の上下も、さほどに大きな意味や価値をもたない。限られた時空においてであれ、そういう美を生活に通じる一つの価値として明確に提示しえたところに、利休のわびの美学の普遍性があった。
大学に入って寮生活をするまでは、貧しいわが家でも食後にはお茶を淹れて飲んだ。
外出するときには「どんなに忙しくても一杯のお茶を飲むもんだよ」という祖母の(守られない)言葉が意識のなかに生きていた。
寮に入って、ネスカフェの粉末などに親しんでも、ときおり緑茶が飲みたくなって、緑茶の粉末が売り出されたときは買ってもみた(うまくなかった、茶を飲むというのは、単に茶の入った液体を飲めばいいというもんじゃないな)。
わが家の茶はまさにわび茶だったが、心豊かな茶であったと思う。
コーヒーが主体になったのは、いつからか。
さいきん、かつては足を踏み入れなかったカフェでコーヒーを飲むようになったら、なぜかお茶も飲みたくなった。
喉の渇きを癒す、嗜好品というだけでない、茶の湯の入り口に戻ってきたのかもしれない。
冷え枯れた心の茶の湯の。
その「わび」に通じるものがあったらうれしいのですが
田舎の高齢者二人の光景は・・・・・サビしいものです
もう少し若い頃、3000~5000m泳いでいました。
自己流で泳げるようになっただけなので物凄くゆっくりでしたが。
泳いでいる最中に肩を叩かれ、コーチから「気分が良くならないか」と聞かれました。
長く泳いでいると気持ちが良くなって止められなくなると。
その時に例で挙げられたのが、雨が降っても散歩やジョギングを休めないケースでした。
それを思い出しました。私はモル(モルディブ)中です。
お嬢さまの「茶を淹れようか」そしてお祖母さまのお言葉。
「どんなに忙しくても 一杯のお茶を飲むもんだよ」
日本から持ってきた親の旅箪笥を引っ張り出してみようかな
ゆっくり淹れたお茶は安いものでも玉露の味がします、甘露甘露。
それなのに酒を飲まなかった(めったにない)晩御飯のあとは緑茶を飲むんです。
コーヒーは眠れなくなるという思いこみもあるけれど、なんか緑茶は気持ちを落ち着けます。
イイ習慣ですね。