恐ろしい黛敏郎が起動した日本会議は恐ろしい
2019年 02月 06日
症状(口中違和感)は改善されず、かみ合わせもよくない、ときどき歯が凶器のように感じられて口を取り替えたい。
悪くなるまでの間「好い歯」でいられたのをよしとして、できるだけ口のことを忘れるようにして残された人生を過ごすか、そう長いことでもなかろう。
何ごとかと思ったら、明治大学の乳歯が、じゃねえ入試だ(歯科医のことを書いたらパソコンが間違って忖度しやがった)、が終わって受験生がぞろぞろ歩いてきた。
自分の大学入試のことを思いだす。
白雲靡いてはいなかったが、駿河台を歩いて神保町から帰った。
彼はなぜ「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」という異質な二つの団体をまとめて「日本会議」にするキーパーソンたり得たか?
片山杜秀のいうところを聴こう。
ジャズバンドでピアノを弾いて稼ぐこともあった。
音楽学校在学中にパリに留学、その地で三島由紀夫と会い、意気投合する。
留学を一年で切り上げて帰国した黛はヴァレーズやメシアンなどの陶酔的で熱烈な力強い音楽、あるいは磁気録音テープの出現に伴って誕生したばかりのミュージック・コンクレートや電子音楽に関心を深め作風を大きく変えていく。
片山は当時の黛の問題意識を岡本太郎に似ていたかもしれないという。
抽象の中に、あくまでも人間の原初的で根源的で強烈で暴力的ともいえるエネルギーを探求すること黛は漲る力をいつも感じていたい人、いつも怒張するものを求めるところは、戦争や軍隊や何か暴力的なものの相性を極めてよくしてしまう。
その黛が京都で梵鐘の音と遭遇する。
梵鐘の響きに忘我の陶酔的境地を味わい、深い瞑想に誘われてきた、日本人の根底的美意識に覚醒する。
その結果、さまざまなスキルを使ってオーケストラで梵鐘風の音色を鳴らし、そこに佛教声明を模す男性合唱を加え、ストラヴィンスキー風の原始主義、メシアン風の神秘主義、ウエーベルン風の点描スタイルを相乗させて、1958年「涅槃交響曲」を発表する。
僕にはほとんど分からないけれど、この曲はラジオで聴いたことがある。
以後の黛は、雅楽、能、歌舞伎、神道、禅などありとあらゆる日本の伝統を吸収し、アジア諸地域の文化も再評価して、それらのなかに始原的な生命力やエネルギーを見出していく。
さらに、京都佛教よりも荒削り、粗野でさえある自由闊達・エネルギッシュな奈良仏教にのめり込んでカンタータ「悔過(けか)」を作曲する。
黛は薬師寺の法要を素材として自分の芸術家としてのオリジナルテイを発揮しようとしてはいません。黛は薬師寺の声明にまいってしまって、ほぼ模写に徹し、作品に仕立てている。「涅槃交響曲」にはまだ梵鐘や声明を使って自分の作品にしようとする芸術家の自我が強くあるのですが、カンタータ「悔過」二なると亡くなってしまう。1963年というと黛敏郎はまだ34歳にすぎません。その年齢でそこまで悟って伝統に頭を垂れたのか。黛の恐ろしさですね。なるほどなあ。
戦後18年、歌舞伎も文楽も能も狂言も、京都奈良のお寺も、もはや古臭いもので生き残れるかどうかが危ぶまれている頃に、時代の先端を行く日本文化のシンボル・黛敏郎が梵鐘や声明こそ現代に通じるパワーに満ちた音響・音楽であると言い出した。
救世主・黛の登場、黛の音楽観は、戦後日本に伝統復権をはかろうとする宗教者たちの運動にとって大きな灯明となった。
薬師寺の指導者である橋本凝胤、高田好胤とのつながりは、黛の右派宗教界、政界、財界人との交流を深めた。
多くの宗教団体からの作曲依頼も多くその中には、後に「日本を守る国民会議」となる元号法制化実現国民会議と重なる活動をしていた生長の家政治連合のために讃歌「護国の神剣」も含まれる。
三島由紀夫が自衛隊の国軍化を呼びかけ、割腹自殺する、その三島の意思を受け継ごうとした黛は、政治と芸術を分離して考えることができない、子供じみた飛躍の思考の持ち主だった。
純情居士としての黛の人格・人柄が「日本を守る会」の代表する宗教と、「日本を守る国民会議」の代表する文化とを結合させて、日本会議を受肉化した、
かくも美的な見地に立った運動家が魂を入れた日本会議とは、やはり並大抵のものではありますまい。政治団体が政治団体的であるためには妥協を知らなければならないが、一途な美には妥協はない。宗教にも文化にも妥協はない。折衷を容認しないならば、その核心の部分において、日本会議は政治的ではなく美的・宗教的であるから、恐ろしいのです。と片山はいう。
そういう日本会議が嘘と妥協の塊のようなアベ政権とどうして仲良くしているのだろうか。
それはまた稿を改めて紹介します。
白山社は「歯苦散」とも呼ばれ歯のお悩みを解決してくれる神社として昔から信仰の篤い神社です。
白山社は全国各地に点在し世田谷区内、近郊区外でもスマホで探せばたくさん見つかるはずです。
参拝がてら散歩も楽しめ一石二鳥ですよ。
高齢になると歯の治療やお医者さん通いも多くなりますね・・・
映画もお好きなようなのでよろしければ3月9日から全国公開の「きばいやんせ!私」という映画を見て下されば有難いと思います。私の出身地鹿児島県南大隅町の最南端の映画です。私の同級生の姪の人で愛華みれさん(元宝塚トップスター)も食堂のおかみさん役で出演されます。同じ南大隅町です。舞台女優さんになられましたので舞台では主役で演じられていると思います。
それは面白そうですね。忘れないで見にいきましよう。
鹿児島は二度行ったかな、暑い日に流しソーメンを食べたこと、鰹節の工場に行ったことを覚えています。テレビなどでいろいろ見せられると又行きたくなりますよ。
生活保護費以下の生活者多数!! まあ、生き延びるから吉とするか、、
口の違和感は嫌ですね!! 生き延びる元気が無くなります。
ちょっと怖いですね。
オペラ「美濃子」の初演が黛の都合で流れてしまい、三島が激怒して断絶、その後、「金閣寺」のオペラ化について直接あって許諾を取り付けたのが最後の面談とあります。
黛敏郎と言えば題名のない音楽会ですが・・・・
ある時期から私は見なくなりました
あの頃若い私にも感じるところが有ったのかなー
今野国会のノラリクラリにはあきれてしまいます
これが自分の国の自治のトップなんですもの