夢のような夢の噺と酒 柳家小満んの会
2019年 01月 23日
ぐるみ、ぐるみで国民をコケにしやがって!身ぐるみ脱いでおいていけ、喜多八の鈴ヶ森の舌足らずのセリフをなんで、ここで思いだすのか。

前座の駒六が、「去年もこの会に出させてもらいました。大雪の日で、小満ん師匠が傘を差さずにいたのが、印象的でした」といって「無精床」をやった。
雪の横浜に立つ小満んの姿をほうふつさせて好い一筆書きのマクラ、こいつは幸先がいいぞ。
小満ん「天狗裁き」
初夢は顔を洗って忘れけり初なすびが、なぜ出てくるのか、とか名人たちの揃う初席の楽屋で都家かつ江姐さんが文楽や志ん生と丁々発止のやり取りを、ちょいと聞かせてくれるお年玉付きの極上まくら。
初夢や文楽志ん生他五名
早く寝ないといい夢を取られちゃうよ、宝船の絵も敷いたんだから、はやくいい夢をみなさい、眠くもないのにカミさんに寝かしつけられる熊さん。
「おや、嬉しそうに、なにかおいしいものを食べてんだよ、あれ、あんな顔して、イヤだよ、この人いやらしい夢をみてるんだ」、揺り起こして「なんの夢をみたの」尋ねても「俺は夢なんかみちゃいねえ」「嘘いいなさい、あんたが夢をみてるのを、わたしゃ、ここで見ていたんだから」、現行犯というわけだ、内心の自由どころか夢まで監視しようって安倍内閣の共謀罪かい。
この噺は夢の内容を白状しろ、見てない、の夫婦喧嘩に隣りの友人が入り、またもや喧嘩になり、大家が入り、奉行が入り、天狗まで登場して「話せ」「みてない」を繰り返し、さいごは天狗の鋭い爪で八つ裂きになろうとするときに、カミさんに揺り起こされるというループの噺。
ヘタクソがやると、繰り返しが平板で冗長になるのを、小満んは定番のセリフをカットしたり噺の展開を工夫して、ちっとも飽きさせない。
そして、いつも僕が欲求不満になる「なんで適当な嘘をついてしまわないんだ」を、解決してくれた。
話しますから、扇子の代わりに、その羽団扇を貸してくれと、神通力の羽団扇を手にして、夏の両国、大川で夕涼みをしていると、菊一輪のみごとな花火があがって、芸者衆を乗せた屋形船がやってくる、チャラチャラスチャラカのチャン、囃子に合わせて羽団扇を仰ぐと天狗を置いてけぼりにして、熊さんは空に舞い上がって逃げだす。
前座のふった雪の情景から、初夢を見る長屋、さらに夏の隅田川の夕涼みと花火に芸者の鬢の油の匂いまで嗅がせて、空高く浮遊するなんざ、話芸ならではの贅沢三昧、

小満ん「ふぐ鍋」
片棒を担ぐゆうべのふぐ仲間養殖は毒の心配はいらないが、甘さがないからポン酢が勝ってしまう、ショウサイは皮や身にも毒がある、毒がないという鯖ふぐにも毒鯖ふぐというのがある。
ふぐ鍋を食わぬ愚かに食う愚か
今冬、いや去年もふぐらしいふぐは食ってないなあ、あれは「はじめ」では出ないもんな。
初めてふぐを食う旦那が幇間の一八を招待する、毒見をさせたい魂胆。
おべんちゃらが着物を着てきたような一八は、はじめは出された「このこ(ナマコの生殖巣、バチコになる前の生の塩辛)」を「これは箸なんかで食うもんじゃありません」なんて御託を言って、爪楊枝で「茜色の糸をひいて、おけっこうでやんすな」舌を鳴らして見せているが、鍋の「お魚の名称」がフグとしるや、尻込みする。
そこに台所に乞食が来たと聞いて、そうだ、あいつに毒身をさせようと奥座敷の悪だくみが成立する。
「効き目がないといけないからこれも入れましょう」なんてホンマに悪よのう。

閑話休題、東野圭吾の「容疑者Xの献身」では、主人公探偵がほんとに罪もないホームレスを殺してしまう。
あの小説についていろいろ書いたなあ。
何故直木賞?許せないサイテーな主人公 東野圭吾「容疑者Xの献身」
「容疑者Xの献身」再論 納得できない人権無視
「容疑者Xの貢献」について 再々論
他にも書いている、よほど頭に来ていたんだあの頃。

さて本題に戻って、
フグをやって乞食がのんびり生きていると聞いた二人はフグを食い始める。
それでも怖いから、フグを食うふりをして白菜やネギを食ってお互いに見咎めあったりして、このあたりはホウフグの笑い。
ああ、こんなにうまいなら乞食にやるんじゃなかった。
そこへ、乞食が再来して、旦那にフグを食べたか尋ね、食べたと答えると「じゃあ、私もいただきます」。
東野圭吾より救いがある。

小満ん「紺屋高尾」
吉原第一の花魁におかっぽれして飯も喉を通らない(恋煩いなどという病気があった懐かしい時代のオハナシ)、神田の紺屋の職人が三年間必死に働いて金を貯めて、主人やお玉が池のお医者さんの後押しで、身なりを整え、爪のあいだの紺はメジロの糞を湯に溶いて落とし(ディテイルの楽しさ!)、言葉遣いも習って野田の大尽の触れ込みで、恋焦がれた花魁・高尾太夫と一夜を共にする。
「こんどいつおいでなます」問われた久蔵は、思わず泣き出して「じつは私はしがない紺染め職人、こんど給金を貯めてあえるには三年後、そのとき花魁がいなかったら!」と語る。
高尾はほだされて夫婦になろうという。
つくづく好い時代、いえ吉原のことではありません、人情のこってす。
純愛を描いたと(アホな評論家が)いう「Xの献身」とは大違いだ(しつこいね、我ながら)。

シャンパンならぬ百楽門のどぶろくで乾杯してフキノトウの天ぷらを始めに、いろいろ食って話して笑って夜が更けた。

翌朝かすかに残る酔い、夢ではなかった、夢のような一日でしたよ。
小満ん、三席とも結構でしたね。
居残り会も、もちろん、大いに楽しい時間でした。
三月で、この会が終わるのは、なんとも寂しいです。
明日の出番は予定していた昔話を変更だ。「天狗裁き」のひとくさりやっちゃおっと。
すんまへんえらい軽いノリで。落ち込むよりいいでしょ?このくらいでないとやってられまへん。
最高の夜でしたね。
今度作るとき、わかめも入れましょう。

近所の酒屋のバーで酒屋のお兄ちゃんは盛大に失敗して半分くらいをシャワーにしてしまいました。
