橋の真ん中で握り飯を食って新世界を待つ 樫本大進&プラハ交響楽団
2019年 01月 18日
神童がベルリンフイルのコンサートマスターに抜擢されて従来の演奏法を変える提案をするエピソードなど、面白かった。
その樫本ダイシンのコンサートに行けることになって
こいつァ春から縁起がいいわい

ふたりともあまり大きくない、でも後ろの80人以上もいるだろう大オーケストラのメンバーが巨躯ぞろいだからそう見えたのか。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲、どうだ、これがブラームスだ、よく聞いとけといわんばかりの威風堂々たる名曲、だった。
素養がない僕の耳はどこが樫本らしくインネキンなのかを聞き分けることができないのではあったが、心地よい45分。
アンコールに、なんと指揮者・インネキンと共演で、コミカルな演奏を聞かせて場内は大喜び。
後で、見たら


「新世界より」!もしかすると、僕が一番よく聴いたことのあるクラシックかもしれない。
最初から最後まで、いっしょにハミングしたくなる懐かしさ。
とくに第二楽章ラルゴ、「遠き山に陽は落ちて」、小学校の音楽教科書にも載っていた、学校や地区の夕方に帰宅を促す曲でもあった。
聴衆のなかにも、そうしたいろんな思い出を重ねて聴いていたかもしれない。
中学の音楽室に初めて大きなステレオが入ったとき、針を落とすと静まり返った音楽室に埃の音が響いてみんな驚いたっけ、あの時の曲はこれだったか。

蒼穹が時々刻々と色を変えて夜のしじまとなるときに聴こえてくる心の中の音楽、宇宙、時の流れ、人々の喜怒哀楽、思い出、、うっとり、わくわく、没入しつつもいろんな雑念=イメージが湧く。
音楽は見る物でもあるなあ。
中央てっぺんのノッポのティンパニの、人形のように長い手を振り体を前後左右にする、楽しくてしょうがないような笑顔。
リレーのようにパートが変わるとウエービング・ドミノ倒しのように演奏者が波をたてる。
プラハのオーケストラだからか、僕がそういう先入観で見聞きしたのか、俺たちの音楽だよ的楽しさが溢れていた。

上野駅のパンダ橋↑のど真ん中でコンビニで買った「紅鮭お握り」を立ち食いした。
半月を仰ぎ、喧騒をはるか下に見て、「新世界より」を聴く前の儀式としては最適だったかもしれない。

冷たい風が好い気持なりき。
誘われて「仕事の流儀」の動画を観ました。
樫本大進さんの個性がいいなぁと思える番組でした。演奏家が楽しまなくっちゃ聴く人も楽しめないというのは全くその通りですね。いやぁそれにしてもすごい人だ。
演奏者たち自身が楽しんでいる音楽を、出来る事なら、見ながら聴きたいものです。
LIVEで聴きたいです