東京地獄を抜けて日暮里で日が暮れた
2019年 01月 06日
どこにという当てもなく、近所ではない裏通りみたいなところを歩きたいと思って、等々力駅の方にぶらぶら歩いたら、東京駅南口行というバスが来たのでふらふらと乗ってしまう。
乗って、しまったと思ったのは以前このバスで東京駅まで行ったことがあるのだが、途中で降りたくなりそうな場所が思いつかなかったのだ。
ダンテとラ・ロシュフコー侯爵を案内人にして、世界戦争の核爆発で消滅した地球のあおりを食って崩壊した神曲の地獄めぐりをするという、奇想天外抱腹絶倒エログロ反骨辛辣皮肉機知横溢の物語だ。
飢餓の地獄、飽食の地獄を経て酩酊の地獄の途中から読む。
バスは目黒通りの高級外車販売店や家具店を横目に見て、目黒駅から白金を抜けて、桜田通り、慶応義塾大学、東京タワー、高輪、芝、日比谷、皇居、丸の内と、はとバスのように都心の表通りを走る。
小説の地獄には、飢えて死ぬ石川啄木や戦後の闇市場で餓鬼になっていた人々の惨状(地獄に来てまで!)から、小島政二郎、檀一雄、吉田健一、山本嘉次郎などの食通たちが下半身を便器に変身させて、ひたすら貪り食う場面や、稲垣足穂、江利チエミ,黒田清隆、田沼意次、エドガー・アラン・ポーなど名だたるノンベイたちの壮絶悲惨な飲みっぷりが、これでもかこれでもかと描かれる。
有名人、政財界の大物ばかりかシモジモも食らい飲む化け物になっている。
すると窓の外を流れる整然とした日本の栄華のシンボルのような町は見せかけ・張りぼてで、その裏側には、欲望に囚われ破滅の道をひた走る業突く張りや酔いどれ、ブタ化した食いしん坊たちが蠢いているような気がしてくる。
バスに乗っているのは錯覚で、僕も妖僧ラスプーチンの御する馬車に乗って東京という欲望地獄を彷徨っているようではないか。
鶯谷のラブホテルをちらっと見せて日暮里に止まる。
おや、あれはなんだ?
あの喜多八贔屓がやっている店なのか。
串から外して食うのはご法度なんだろうな。
こんどはもっと早く家を出て、あんなバスに乗らないで歩かないとつまらないと反省。
懐かしい「川むら」で蕎麦でもたぐりたい。
考えてみると昼飯もなにも飲まず食わずの半日散歩だった。
今年も楽しみに伺います。
宜しくお願いします。
バスに乗っているのは錯覚で、僕も妖僧ラスプーチンの御する馬車に乗って東京という欲望地獄を彷徨っているようではないか。」
この一節がいいですね。「神曲崩壊」を読んだ事はありませんが、佐平次さんのこの表現で妙に納得しました。同じ顔をしたゾンビの群れからさっと身をかわしたのは流石ですね。
クリスマスに、youtubeで観た10年前のドラマ
[BSF] Sayonara Bokutachi no Youchien の
アメと青い夜を思わせてくれました~
かつて払暁にブルートレインが雪を乗せて帰ってくるのを見たのは、ここだつたか、オバサンたちはそれぞれの思い出に重ねていたのでしようね。
『人間臨終図鑑』が最高興味深かったです。私のブログは「樹と花と」といいます。よろしくお願いいたします。
「人間臨終図鑑」とダブル臨終場面もあるかもしれません。
彼の戦中戦後日記は貴重な文献になっているのではないでしょうか。