権ちゃん怒って泣いて笑わせて 「さん喬・権太楼二人会」@末廣亭
2018年 12月 30日
年末に竜宮城で遊び、末廣亭で「さん喬・権太楼二人会」を楽しんで、「僕にはこんなありがたいことを享受する資格がない」と「キョウシュク」する習わしが、今年もありがたく繰り返された。
大行列は例年通り、それを尻目に指定席チケットを手にして、前から七列目の真ん中に座る。
二階席も通路にも立ち見客、既に熱気を感じる末廣亭だった。
前座・寿伴が「一目上り」を歯切れよくやって、
ほたる「強情灸」
明るい話ぶりで、つまらないギャグでも笑わせるのは得な人だ。
もっとも今日の満場の客は箸が転んでも笑う・笑いたい気分ではある。
喬の字「家見舞い」
ほたるが、来年喬の字アニサンと真打になると触れていたのに、おいおい、大丈夫かいこんな話し方で、と思うような滑り出し。
枕もふらないのは、時間内でやらなければと緊張していたせいか。
短い時間でも枕を振って場内の感触をつかむことも大事だとおもう。
暗い、なんとかならないか。
(ハネてから「犀門」で五人の居残り会)
権太楼「蛙茶番」
開口一番「前座さんのあとの二人は無駄でした!、、あ~困ったもんだね、、あとで小言をいいます、、」「時間を限られてやるから」「後輩なんだから、、伸びていくことも限りなくあるんでしょうが、、」、落語協会とちがって芸協の二つ目にはいいのが揃っているといい、松之丞を激賞、小痴楽なども褒める。
「ネタを選べ、五席でいいから得意なネタをもて、大ネタ偏重が落語協会の悪いところ」、独り言のように、、「もう一回出て来ようかな、このままの状態で落語をやれるか」、出直すかと思ったら「定吉‼」、やっとネタに入ってほっとした。
楽屋で聴いていた二人の真打ち候補は身の置き所がないだろう。
前にもこの会で、権太楼は口演中のほたるにセーター姿で出てきて、さん喬の噺とつくからやめろとやったことがある。
こういうのは楽屋を見るようで面白いようでもあるが、客の時間をつかっての弟子教育がどこまで許されるのだろう。
ハネてから、じっくり煮るなり焼くなりしてくれともいいたくなる。
松之丞などの評価は枕として聴く分には面白かったけれど。
(ポテサラ)
ネタは、不機嫌などどこへ行ったかというほどの快調怪演、艶笑落語の面白さをたっぷり聴かせた。
お店の芝居で舞台番をふられてフテクされていた、バカ半ちゃんが、片思いのみいちゃんの名前を出されると、声が裏返って態度が改まる。
フンドシが質草になったのか、ここは幸兵衛さんあたりの考証を待ちたいところだが、その「緋縮緬のフンドシ」を質屋から受けだすに当たって、釜を代わりに取ってくれと、そうしなくては俺の男が立たないと懇願すると「釜で男を立てるな」など際どい下ネタ連発で、大いに笑わせた。
さん喬「寝床」
権太楼が引っ込むと救急隊員が入って来て桟敷で倒れた老人を運びだすハプニング、そのあとのさん喬は、権太楼のハプニング発言に対して、落語協会を評価し、「落語家はお客様の好き嫌いです」とやんわりたしなめる形。
これもさん喬の役割分担だ。
旦那が義太夫発表会を控えて、練習するところをみっちりやってみせる。
「あう~あう~」と低いトドの唸りみたいなのを繰り返し、突如大音声で吠える。
提灯やの名前がブラ衛門だったり、提灯の注文が千とか千五百とか、煎餅やは婚礼の引き出物を千とか千五百とか(婚礼に割れ物なんてありえない、とあとで繁蔵の嘘をとっちめる)、いろんなところで、初めて見る演出が噴出した。
中入り後さん喬「短命」
短くあっさり。
あずみ・三味線漫談
京都育ちの、いままで水泳のトレーナーをやっていたというノッポのお嬢さん。
老人の顔に飽きたタイミングで眼を楽しませた。
権太楼「芝浜」
年末恒例の「芝浜」には、深刻なドラマ仕立てに食傷していたが、熊が仕事に出る時の小道具を省略、さっさと財布を拾ってみせる。
そのあと、急いで帰って妻とふたりで中身を改めるあたりをみっちり、友だちを呼んで大盤振る舞いのあと、財布拾得は夢と知らされて「助けろ」と泣く熊、スムーズな流れに感じた。
年の暮れ、カミさんから夢ではなかった、財布が戻ってきた後もお前さんがまた飲み始めるのが怖くて黙っていた、と告げられたときに熊が一瞬放心状態になって一呼吸おいて「それが女房か、夫婦ってそんなものか」というのが実感があった。
カミさんが勧めた酒を断られても「もういい、また飲んだくれて乞食になるなら私もいっしょに乞食になるから、後生だから飲んでくれ」と懇願する、これも新しい形かな。
「文七元結」「藪入り」など泣きの権太楼に辟易していて、これも泣きをみせたが、これは許容範囲ギリギリの泣きと感じた。
いろいろハプニングや驚きがあるのが、この会の売りかも知れない(救急隊は違うけど)。
さいごは全員(スタッフも)揃って手締めでめでたく今年の落語会納め。
居残り会は「犀門」で、二時間ほどみっちり飲んで語って、飲み会納め。
青物もね。
今朝は6時起床、3時間ほど家事三昧、遊びの罪滅ぼし。
二階席も通路にも立ち見客、既に熱気を感じる末廣亭だった。
前座・寿伴が「一目上り」を歯切れよくやって、
ほたる「強情灸」
明るい話ぶりで、つまらないギャグでも笑わせるのは得な人だ。
もっとも今日の満場の客は箸が転んでも笑う・笑いたい気分ではある。
喬の字「家見舞い」
ほたるが、来年喬の字アニサンと真打になると触れていたのに、おいおい、大丈夫かいこんな話し方で、と思うような滑り出し。
枕もふらないのは、時間内でやらなければと緊張していたせいか。
短い時間でも枕を振って場内の感触をつかむことも大事だとおもう。
暗い、なんとかならないか。
権太楼「蛙茶番」
開口一番「前座さんのあとの二人は無駄でした!、、あ~困ったもんだね、、あとで小言をいいます、、」「時間を限られてやるから」「後輩なんだから、、伸びていくことも限りなくあるんでしょうが、、」、落語協会とちがって芸協の二つ目にはいいのが揃っているといい、松之丞を激賞、小痴楽なども褒める。
「ネタを選べ、五席でいいから得意なネタをもて、大ネタ偏重が落語協会の悪いところ」、独り言のように、、「もう一回出て来ようかな、このままの状態で落語をやれるか」、出直すかと思ったら「定吉‼」、やっとネタに入ってほっとした。
楽屋で聴いていた二人の真打ち候補は身の置き所がないだろう。
前にもこの会で、権太楼は口演中のほたるにセーター姿で出てきて、さん喬の噺とつくからやめろとやったことがある。
こういうのは楽屋を見るようで面白いようでもあるが、客の時間をつかっての弟子教育がどこまで許されるのだろう。
ハネてから、じっくり煮るなり焼くなりしてくれともいいたくなる。
松之丞などの評価は枕として聴く分には面白かったけれど。
ネタは、不機嫌などどこへ行ったかというほどの快調怪演、艶笑落語の面白さをたっぷり聴かせた。
お店の芝居で舞台番をふられてフテクされていた、バカ半ちゃんが、片思いのみいちゃんの名前を出されると、声が裏返って態度が改まる。
フンドシが質草になったのか、ここは幸兵衛さんあたりの考証を待ちたいところだが、その「緋縮緬のフンドシ」を質屋から受けだすに当たって、釜を代わりに取ってくれと、そうしなくては俺の男が立たないと懇願すると「釜で男を立てるな」など際どい下ネタ連発で、大いに笑わせた。
権太楼が引っ込むと救急隊員が入って来て桟敷で倒れた老人を運びだすハプニング、そのあとのさん喬は、権太楼のハプニング発言に対して、落語協会を評価し、「落語家はお客様の好き嫌いです」とやんわりたしなめる形。
これもさん喬の役割分担だ。
旦那が義太夫発表会を控えて、練習するところをみっちりやってみせる。
「あう~あう~」と低いトドの唸りみたいなのを繰り返し、突如大音声で吠える。
提灯やの名前がブラ衛門だったり、提灯の注文が千とか千五百とか、煎餅やは婚礼の引き出物を千とか千五百とか(婚礼に割れ物なんてありえない、とあとで繁蔵の嘘をとっちめる)、いろんなところで、初めて見る演出が噴出した。
短くあっさり。
あずみ・三味線漫談
京都育ちの、いままで水泳のトレーナーをやっていたというノッポのお嬢さん。
老人の顔に飽きたタイミングで眼を楽しませた。
権太楼「芝浜」
年末恒例の「芝浜」には、深刻なドラマ仕立てに食傷していたが、熊が仕事に出る時の小道具を省略、さっさと財布を拾ってみせる。
そのあと、急いで帰って妻とふたりで中身を改めるあたりをみっちり、友だちを呼んで大盤振る舞いのあと、財布拾得は夢と知らされて「助けろ」と泣く熊、スムーズな流れに感じた。
年の暮れ、カミさんから夢ではなかった、財布が戻ってきた後もお前さんがまた飲み始めるのが怖くて黙っていた、と告げられたときに熊が一瞬放心状態になって一呼吸おいて「それが女房か、夫婦ってそんなものか」というのが実感があった。
カミさんが勧めた酒を断られても「もういい、また飲んだくれて乞食になるなら私もいっしょに乞食になるから、後生だから飲んでくれ」と懇願する、これも新しい形かな。
「文七元結」「藪入り」など泣きの権太楼に辟易していて、これも泣きをみせたが、これは許容範囲ギリギリの泣きと感じた。
いろいろハプニングや驚きがあるのが、この会の売りかも知れない(救急隊は違うけど)。
さいごは全員(スタッフも)揃って手締めでめでたく今年の落語会納め。
居残り会は「犀門」で、二時間ほどみっちり飲んで語って、飲み会納め。
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創塁パパ
at 2018-12-30 16:56
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居残り会。ええなあ。来年もよろしくお願いします。
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saheizi-inokori at 2018-12-30 17:26
> 創塁パパさん、こちらこそよろしく、来年の演目は決まりましたか?
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kogotokoubei at 2018-12-30 17:38
権太楼の小言のことが、もっとも印象に残りました^^
江戸時代の質屋、ふんどしはもちろん質草として、ありえます。
あくまで、質屋と客の信頼があってのことですが、たとえば駕籠かきは、ふんどしが質草の定番。
質屋も必ず出すと信用し、場合によって一分も貸したとのこと。
しかし、質に入っている時は、新品のふんどしは、はけません。
そんなことをすると仲間からも非難されます。
貸し剥がしなんてことする銀行より、ずっと良心的だったんですね。
江戸時代の質屋、ふんどしはもちろん質草として、ありえます。
あくまで、質屋と客の信頼があってのことですが、たとえば駕籠かきは、ふんどしが質草の定番。
質屋も必ず出すと信用し、場合によって一分も貸したとのこと。
しかし、質に入っている時は、新品のふんどしは、はけません。
そんなことをすると仲間からも非難されます。
貸し剥がしなんてことする銀行より、ずっと良心的だったんですね。
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saheizi-inokori at 2018-12-30 18:00
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喜洛庵上々
at 2018-12-30 22:54
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佐平次さん
私、今しがた(23時近く)ようやく書き終えてこちらを拝読しております。色々とありがとう存じます。来年もよろしくお願い申し上げます。
私、今しがた(23時近く)ようやく書き終えてこちらを拝読しております。色々とありがとう存じます。来年もよろしくお願い申し上げます。
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そらぽん
at 2018-12-31 00:32
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urontei at 2018-12-31 06:06
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saheizi-inokori at 2018-12-31 06:24
> 喜洛庵上々さん、おかげさまで楽しい夜を過ごすことができました。明日からもよろしくお願いい申し上げます。
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saheizi-inokori at 2018-12-31 06:28
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saheizi-inokori at 2018-12-31 06:31
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福
at 2018-12-31 06:57
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ほたるが入門したとき、なんであんなに厳しい師匠に、と言われたそうです。権太楼は今や談志の代わりをしているのかもしれません。
それにしても「寝床」「芝浜」・・・嗚呼、やはり落語はいいですね。この二人にかかればなおのこと。
さて、今年もお世話になりました。勉強させていただくばかりで恐縮です。
それにしても「寝床」「芝浜」・・・嗚呼、やはり落語はいいですね。この二人にかかればなおのこと。
さて、今年もお世話になりました。勉強させていただくばかりで恐縮です。
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j-garden-hirasato at 2018-12-31 10:28
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ikuohasegawa at 2018-12-31 11:45
落語会と飲み会。無事納まったようで、おめでとうございます。
「毎日毎年、常に
良いことばかり書いています。
でもまんざらでっち上げというわけてはない。
ありがたいことです。」
心して来年も続けます。
毎日、有難うございました。
「毎日毎年、常に
良いことばかり書いています。
でもまんざらでっち上げというわけてはない。
ありがたいことです。」
心して来年も続けます。
毎日、有難うございました。
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saheizi-inokori at 2018-12-31 12:14
> 福さん、こちらこそコメントをいただいて学ぶことしきりでした。いい意味で少しは緊張感を持った記事にしよう、と、これは明日からの抱負です。よろしくお願い申し上げます。
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saheizi-inokori at 2018-12-31 12:16
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saheizi-inokori at 2018-12-31 12:23
by saheizi-inokori
| 2018-12-30 13:15
| 落語・寄席
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