焦らされる楽しさ C・J・チューダー「白墨人形」
2018年 12月 28日
遺された娘が西部の自死することを知らなかったようなニュアンスで話していたのが意外だった。
彼の最後の著書「保守の真髄~老酔狂で語る文明の紊乱」には、死ぬ直前の夜に娘と新宿で呑んで娘が酔っ払いと喧嘩したようなことが書いてあって、なんとなくその時に娘は父の死を知っていたように読めて、さすがに凄い親子だと思ったのだ。
確かめるために、この本を探したがみつからない。
西部邁とは面識もないし、彼の思想も勉強したことはない。
ただ、僕もまもなく彼の年齢78歳になるから、人ごとのようには感じられない死に方なのだ。
「スタンドバイミー」を、(と書きかけたらFMがスタンバイミと歌ってる!シンクロニシテイの多い日々だ)「スタンドバイミ―」を思わせるような、子供たち(売れない作家の父と堕胎手術をする母親の子・語り手、居酒屋を経営する親の子、貧しい母子家庭の子、牧師の娘で喧嘩も強い子、歯列矯正用金具をつけた、ちょっと狡猾な子、みんなどこか他の普通の家庭の子とは違った子供たち)の友情と冒険、イギリス南部1986年。
その30年後の、一昨日引いた「大人になるなんてただの幻想、本当の意味で大人になる人間などいない」とつぶやいている彼らの物語。
今と昔を行ったり来たりして、そのたびに30年前に起きたいろんな事件が語られる、ホラーもあって、じらし戦術のミステリだ。
あっと驚くタメゴロー的最終場面、というほどではなかった。
どんな人間にも人に知られたくない影の部分があって、とんでもない悪いことをする、なんてことに驚くには、年を取りすぎている、ましてそういうことがウリのミステリを読んでいるという自覚があるのだから。
仲間と親の間で揺れ動く子供のいろいろ、町の普通の人たちの残酷さも、巧く描けている。
最後まで謎が説きあかされないエピソードもあったような気がする。
錯綜する話の展開で、僕の頭がおいてかれたのかもしれない。
文藝春秋