津軽の音と匂い 映画「津軽のカマリ」

カラカラっと缶の音に目が覚めると、イケネ、7時15分、雨の朝とはいえ寝坊をしてしまった。
よく寝てる僕を起こさないようにとカミさんが資源ゴミを捨てに行ったのだ、すまん。
朝のFM「音楽遊覧飛行」は、子供の歌うクリスマスソング。
せんじつスタバで聴いていやになった、大人のひねくった歌い方じゃないから、懐かしく聴けた。
そのあとの、せんげつ76歳で亡くなったアレサフランクリン特集もよい。

雨の朝、ぜいたくしてストーブを背中にしてコーヒーを飲みながら、少し音を大きめにして軽音楽を聴くのも悪くない、ずんずん低音が響いたりして。



きのうは、恵比寿の東京都写真美術館に行って、映画「津軽のカマリ」を観た。
頃さんのお薦め、「カマリ」とは臭い/匂い、雪と北風の大地に棲む人々のカマリを、津軽三味線の初代・高橋竹山の一生と音楽に重ねて、感じさせてくれる映画だ。
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1910年生まれ、2・3歳の頃麻疹で眼が見えなくなる。
小学校に行ったが、いじめが凄まじく二日で行かなくなる。
食うために、三味線を弾いて「門付け」、いわば物乞いをして生きてきた。
音楽産業なんてない時代、飢饉で人口の三分の一が餓死するような時代・津軽で、三味線で食っていく、いつも死と隣り合わせの日々だった。
だから、ほかの誰にも出せない音を出せるようになった。
私はね、自分で自分の罪を恨んで三味線を弾いてるんですよ、、、まあ、いかべ
北海道で行き暮れて死にそうになったときに助けてくれたのは朝鮮人、竹山はアリランを弾く。
沖縄で白梅の塔などに参って沖縄の悲劇を知る竹山。
弥三郎節も流れる画面。
差別に泣かされ耐え抜いてきた人が感じる、ゆえなき差別に対する怒りと愛しみ。

きついことをいえば、欲張りすぎてまとまりのない映画、それなのに、もっともっと続けてくれ、続けて竹山の声や尺八や横笛を聴かせてくれ、津軽の人々の皺だらけの顔、曲がった腰を見せてくれ、津軽の山野に啼く鳥や川の流れの音を聴かせてくれ、吹雪で僕の心を浄めてくれ、、と念じていたようだ。

厳しい人生を語りながらも、そこに漂うユーモアと強さが惰弱に生きた根無し草・僕を慰めるのはどうしてか。
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映画が終わると、監督があらわれて「ほんとは前回だけなんですが、ちょっと時間を貸してください」と映画を作った経緯、さいしょは流氷の十三湖をみて津軽を描きたいと思っていたが、偶然に竹山ゆかりの人たちに遇えて、竹山が中心になった、竹山の存在が大きくて竹山に偏りすぎたかもしれないが、それでよかったと思う、などと語る。

控室にいるから、お話がある方はどうぞというから、急遽パンフレットを買ってサインを頼み「映画の中で西川洋子が、アリランが竹山のラストソングだった、というがその経緯は?」と尋ねると「ああ、あれは西川さんの勘違いです、さいごの演奏は映画の中に出てくる故郷の温泉でのコンサートです」と。
西川洋子の語りが軽妙だったということなど、話して立とうとすると、握手を求めてきたので「がんばってください」と激励した。
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映画の前に同じ写真館で開かれていた、「小さいながらもたしかなこと」展をみたら、あの「ルポ 川崎」の写真家・細倉真弓のコーナーもあった。
差別の町、川崎にも竹山はきたのだろうか。
ラップで有名になった写真の若者たちは、竹山の三味線を聴いたことがあるのだろうか。
意気投合したかもしれない。
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Commented by pallet-sorairo at 2018-12-17 15:37
昔、渋谷のジャンジャンで竹山のライブを聞いたことがあります。
三味線は今思い出しても心を揺さぶるような迫力あるものでしたが
合間合間に津軽弁で何か話したんだけれど
外国語みたいで全然わからなったのを覚えています。
この映画まだやっていたら見に行って見ようかな。
Commented by unburro at 2018-12-17 16:33
昨日、ご紹介頂いた、加藤周一の言葉の中にもあった「差別」は、人間の根源にかかわるもので、まったく難しいものです。
竹山の津軽三味線を初めて聴いたのは、小学生の頃だったでしょうか。
怖いような迫力と、切なさ、に混乱するほど興奮したことを思い出しました。
以来、私が魅かれる音楽は、ヨーロッパのロマ(ジプシー)の音楽や、アフリカ、ラテンアメリカなど、何故か、差別されてきた人々の、声や音の様々です。
陽気な音楽でも、その底に流れる哀しさがあってこそ、
心を震わせる厚みがあるのだと思います。

だから、苦労や差別も必要だ、なんてことは全く無い!
ワケで…
美しいものの裏にあるものに想いを巡らす「想像力」が大切だ!というようなことを、私は言いたいのです。
小さな声でも、こう言い続けなくては!と思う今日この頃です。
Commented by saheizi-inokori at 2018-12-17 17:02
> pallet-sorairoさん、二代の襲名披露もじあんじあんでやって初代は病気をおして出たそうです。
今週の金曜日まで恵比寿でやっています。
Commented by saheizi-inokori at 2018-12-17 17:10
> unburroさん、おっしゃる通りだと思います。この映画には二代竹山も大事な役割を果たしています。彼女が長い間青森に受け入れられずにいて、漸く青森公演をしたときの様子が感動的なのですが、そのとき彼女の弾いた曲は中南米の土着の音楽を感じさせました。
Commented by koro49 at 2018-12-17 20:59
観て下さってありがとうございます。
確かに『津軽のカマリ』を初代竹山さんに求め過ぎたかもしれないけど、竹山さんは『津軽のカマリ』を日本中、世界中に届けた人だと思うから、それで良しですね。
竹山さんのユーモアは、厳しい暮らしから生まれたものだと思うし、竹山と言ったら初代竹山を思い浮かべる人が多いと思う青森県人として、二代目竹山さんの存在にスポットを当てたことも嬉しい。
昭和8年に三陸沖津波で初代竹山が土地の人に背中を押してもらって助かった地に、二代目竹山が同じ地に東北大震災の慰問で訪れ演奏をする。二代目はいつも竹山さんと一緒なんでしょうね。
故郷の温泉での最後のコンサートでは、孫に三味線を支えながら弾いていて、聴く人はほとんど地元の人たち。周りから止められても行った竹山さん。
二代目に「何か食べたいもの、やりたいことある?」と問われ、「なんもね!!」と即答。
私も旅立ち間近になったら、そのように答えたいと思いました^^。

『カマリ』・・・そこに生きる人たちの全てが詰まっているんですね。
Commented by saheizi-inokori at 2018-12-17 22:32
> koro49さん、教えてもらってありがとう。
今日も竹山の三味線を聞いていました。
とても優しいのですね。
二代目のことを記事に書こうとおもいなから余裕がなくなりました。
あの青森公演の二番目の演奏は初代とは違う地平を切り開いたような感じでした。
太宰治のこともちらっと思いました。
Commented by pallet-sorairo at 2018-12-20 09:12
おはようございます。
一昨日私もこの『津軽のカマリ』を見て来ましたので
関連記事を先ほどアップしました。
saheiziさんのこの記事リンクさせていただきましたので
事後承諾になりますがご了解ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
Commented by saheizi-inokori at 2018-12-20 12:41
> pallet-sorairoさん、津軽弁はフランス語に通じませんか?
怒っていてもユーモラスなんて言ったら叱られるかな。
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by saheizi-inokori | 2018-12-17 11:47 | 映画 | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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