暗闇が懐かしいぞ 狂言「狐塚」能「小鍛冶」

まだ5時を過ぎたばかりなのに、すでに暗く、おや電灯の灯りに霧のような雨が浮かんでる、傘を取りに戻ろうか、いやいっそのこと、寒いからか甘えて離れないサンチと一緒にいて読みかけの本を読み上げてしまいたいような心持になった。
仕事でもないのに、「がんばって」向かう先は国立能楽堂。
今日はせんげつと同じ演目、それは「演出の様々な形」という趣向、待ち構えている楽しみの方に頭を切り替えて(傘もささずに)足を速めた。
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今月は「道成寺」なども取れず、これだけが脇正面で取れた。
12月は見たい行きたいものが多いので、取れないくらいでちょうどいいの。
取るときは気楽に取るが、予定が立て込むと予定に追われるようでろくなことにならない(支払い請求のことはさておいて)。
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(大きな誤植、気がつきましたか)

穂に穂が咲いて、豊年を狙う鳥追いに行かされる、大蔵流は太郎冠者と次郎冠者が二人で行かされるが、和泉流はコストカット、太郎冠者だけが命じられる。
臆病者の太郎冠者、背中が丸く腰がひけてるぞ。
鳥追いの鳴子の紐を脇柱にクルクル括り付けて(あれ、落ちてこないのはなぜだろう)を引っ張り動かして音を立てる。

次郎冠者ついで主が、太郎冠者が暗い狐塚で寂しいだろうと見舞いにやってくる。
スマホがないから、遠く(一の松)から呼びかける、太郎冠者は狐が人間に化けてきたと思い込み、騙されたふりをして、大声で返事をする。
身体を傾けて耳を澄ます、萬斎の形がきれいだ。

暗闇の中で太郎冠者と見舞いに来た男がお互いを探す様、そうだよなあ、真暗なんだよなあ、と出てくるときの夕闇のことを思いだす。
真暗闇が身の回りにある時代、そんなに古くはないのだ。
帰って寝る前に聴いた志ん生の「たぬさい」でも、以前は真暗になって、そのころは狸や狐みたいなものがよく出た、と言うではないか。

大蔵流「小唄入り」は鳴子の紐を二人でもって、揺らしながら唄をうたう、その姿が楽しかったが、喜多流はセリフと写実的な動きが面白い。
ここに書けばどうということのないような素朴な滑稽が場内の笑いを誘う。
テレビのお笑い(僕は笑えない)とは違う笑い、僕でも笑える笑いだ。
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橘道成の声が高くエラそう、安倍政権の側近のイメージ(よくないなあ、こんなところでもアベの清明じゃない、幻に惑わされているって)。

後場で白狐がちょっと幕前に出て来て宗近が祈る姿を望見していたと思ったら、幕に引っこみ、すぐに登場する、その動き、歩くときの「狐足」という歩き方、狐だあ。

一噌幸弘の笛の出番が少なかったような気がする(もっと爆発するのを期待していた)。
地謡が、なんとなくメリハリがないような生彩を欠いたようなのが残念。

小書き「白頭」、加齢によって霊力を得る、いいね。
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8時半前に終わったので「はじめ」に寄りたい、だけど寄ればついつい飲み続けて遅くもなるし「自己管理」に反する、昨日も行ったし。
迷った末に初めての階段を上がって
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ドラフトビールと五島うどんの店に行ってみた。
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スエーデンのナンタラいうビールがさっぱりしているくせに濃厚な味わい、つまみに頼んだ「キノコのソテー」が期待外れにいけて、「五島うどん」をさいしょにオーダーしているのを覚えつつ「牡蠣のグラタン」を頼んで、三重県のカンタラビール(マスターのお薦め)を飲んだ。
後で、と言ったうどんが出て来て「大丈夫ですか、量的に」とマスターが云うてくれたけれど、量的というより質的にダメで、量的にダメだったと断って帰宅した。
好いビールをこのくらいでやめとくと後がいいね。
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国立能楽堂でアンケートに答えたらくれた小さな色鉛筆(容器は鉛筆削り)、可愛いけれど使うかな。
毎日の業務日記(個人)を何色かのボールペンでつけていた先輩がいた。
事柄によって色分けしてるのだと見せられて眩暈がしそうになった細かい字でびっしり。
僕の業務日誌は、一日の終わりとか始めではなく、事象が終わるや否や、忘れないうちに殴り書きのメモ的日誌だった。
徹夜の連続でいろんな連中と鍔迫り合いをしていると、誰が何を言ったか、すぐに付けとかないと、忘れてしまったり、悪賢い連中が云った云わないで、僕を困らせたのだ。
あの日誌、納戸の奥にしまいこんだままだ、僕亡きあとにあれを読める人はいない、読めても意味不明なあの混乱怒涛の日々だった。

Commented by mother-of-pearl at 2018-12-14 19:09
気づきました〜!(^。^)
間違い探しゲームのようで楽しかったです。
狐が瓜にでも?と思いましたが、担当の方はきっと何かを念じながら書いたのでしょうね。

能や狂言には一回行ったきりで、それも説明のヘッドフォン無しでは言葉も聴き取れぬお粗末でした。
脈々と受け継がれる古典の世界で、ヒョロリと八頭身の若い世代が演じる頃、また行ってみたくなりました。

(映画の記事⬇︎で、陸橋やツリーに見覚えがある、と思いましたが、そのはずです。
ポプリの大先生の薫陶を受ける為に訪れた場所でした!)
Commented by saheizi-inokori at 2018-12-14 19:25
> mother-of-pearlさん、私もしばらくきづかなったのです。新聞の見出しをとんでもない読み方をすることも多くなりました。

狂言はともかく能の言葉はなかなか聞き取りにくいですね。国立能楽堂の定例公演は前の椅子の後ろに詞章を教えるディスプレイがあるので助けになります。
あらかじめ大略の筋立てを予習しておくのも有益ですが、何にも分からなくてもあの姿やお囃子の世界に浸るのが好きです。
Commented by nicoru1nicoru2 at 2018-12-15 07:59
「どうしたらこの文字になったのか、誰も気づかなかったのか」これが校正のこわさ。特に1行目、大文字など。

40年前編集部に入ったばかりの頃、編集長が「おい、これ校正してみろ、1個見つけたらコーヒー1杯おごるぞ」と渡された新刊本。
「ハイ」と受け取って、数十秒後。「あのー『はじにめ』と書いてありますけど」
なぜか「馬鹿野郎!」とゲンコツ1個もらいました。
いつも憧れのまなざしで拝見しております。野次馬コメント失礼でした。(ikuohasegawaさんの後輩です)
Commented by saheizi-inokori at 2018-12-15 10:38
> nicoru1nicoru2さん、理不尽な拳骨でしたね。
コーヒーは奢ってもらったのですか。
むかし「校正畏るべし」という本を読んで校正の面白さも教わりましたよ。
野次馬コメント?どうぞどうぞ!
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by saheizi-inokori | 2018-12-14 11:37 | 能・芝居・音楽 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori